放射光(X線)で小さなものを観察する大きな2つの施設

ガラスがより硬く割れにくく変身する過程を直接観測
~放射光X線マルチスケール構造解析に基づく構造変化モデルの提案~


2024年4月19日
NIMS(国立研究開発法人物質・材料研究機構)
公益財団法人高輝度光科学研究センター(JASRI)


1.NIMSとAGC株式会社、JASRIからなる研究チームは、ガラスが部分的に結晶化し、強度や耐熱性が向上したガラスセラミックスと呼ばれる材料に変化する初期過程を観測することに成功しました。さらに、放射光計測を中心としたX線マルチスケール構造解析の結果に基づき、ガラス中に結晶の核が生成するメカニズムを原子レベルからナノメートルの空間スケールで矛盾なく説明できるモデルを提案しました。

2.ガラスセラミックスを得るためには、熱処理によって部分的に結晶が析出するように組成を設計・制御したガラスを合成することが必要となります。ガラスセラミックスの構造については、母相であるガラスの中に結晶の種である結晶核が生成し、そこから結晶粒子が成長していくと考えられていますが、ガラスの中に結晶核がどのように生成・成長してガラスセラミックスが得られるのかは明らかにされていませんでした。

3.今回、研究チームは、応用面で最も一般的かつ重要な酸化ジルコニウム(ZrO2)を添加したリチウムアルミノケイ酸塩ガラスを対象に選び、そのガラスがガラスセラミックスに変化する初期過程を、放射光計測を中心としたX線マルチスケール構造解析によって観測しました。ナノスケールでの構造計測では、熱処理前のガラスにもともと存在したジルコニウム(Zr)が豊富な領域とZrが希薄な領域の間の分離が熱処理によって促進され、Zrが豊富な領域でナノサイズの微小な大きさを保ったまま結晶核の形成が進行することが明らかになりました。さらに、Zrを選択的に観測できる構造計測技術を駆使することによって、ZrO2結晶核の周囲にはZrが酸素(O)を介してシリコン(Si)やアルミニウム(Al)と連結したZr–O–Si/Al結合が存在することを初めて見出し、初期の結晶核の構造を明らかにしました。そして、ガラス中に結晶核が生成するメカニズムを原子レベルからナノメートルの広い空間スケールで矛盾なく説明できるモデルを提案することに成功しました。



4.本研究で用いられた構造解析手法は、複雑な組成と乱れた原子配列を有する実用材料にも適用できるものです。今後は、様々な実用材料の機能発現メカニズムを明らかにし、その知見を基にした新規高機能材料の合成を目指していきます。

5.本研究は、NIMSマテリアル基盤研究センターの小野寺陽平主任研究員、小原真司グループリーダー、AGC株式会社の滝本康幸マネージャー、土屋博之マネージャー、李清マネージャー、JASRIの田尻寛男主幹研究員、伊奈稔哲研究員からなる研究チームによって、日本学術振興会科学研究費助成事業・学術変革領域研究(A)「超秩序構造が創造する物性科学」(20H05878、20H05881)、基盤研究(C)(19K05648)の一環として行われました。

6.本研究成果は、日本時間2024年4月19日9時に学術誌「NPG Asia Materials誌」にオンライン掲載されました。


論文情報
雑誌名: NPG Asia Materials
題名 :Formation of a zirconium oxide crystal nucleus in the initial nucleation stage in aluminosilicate glass investigated by X-ray multiscale analysis
著者:Yohei Onodera, Yasuyuki Takimoto, Hiroyuki Hijiya, Qing Li, Hiroo Tajiri, Toshiaki Ina, Shinji Kohara
DOI:10.1038/s41427-024-00542-y


【研究の背景】
 ガラス※1は古くから人類によって作られ、利用され続けている機能材料であり、現在も我々の生活に欠かせないものとなっています。ガラスを高温に加熱すると結晶化しますが、組成を制御して合成したガラスを適切な条件で熱処理すると、ガラス中に微細な結晶粒子を析出させることが可能であり、このような材料をガラスセラミックスと呼びます。ガラスセラミックスはガラス特有の透明性、絶縁性といった性質を有したまま、割れにくく、急激な温度変化にも強いというガラスの弱点を補う特性を示し、モバイル機器のカバーガラスや、IHクッキングヒーターなどの調理器具のトッププレートとして用いられています。また、近年では人工歯などの生体セラミックス材料としても応用が進められるなど、次世代材料としても注目されています(図1)。
 ガラスセラミックスの機能の発現には、ガラスの母相中に析出した数ナノメートルの微細な結晶粒子が重要な役割を果たすことが知られています。微量の核形成剤を添加することで、核形成剤由来の結晶粒子を効率よく生成することができ、ガラスセラミックス合成においては一般的な手法となっています。ガラスセラミックスの構造については、結晶粒子が十分に成長した状態についての研究例は数多く報告されているものの、ガラス中に結晶粒子が出現し始める結晶核形成の初期過程の観測、特に、乱れた構造中の最近接原子間距離を超えたスケールに形成される構造(中距離構造と呼ばれる構造)の観測はこれまで行われていませんでした。


図1  ガラスとガラスセラミックスの違いを図説

図1  ガラスとガラスセラミックスの違い



【研究内容と成果】
 今回、研究グループは、核形成剤として微量の酸化ジルコニウム(ZrO2)を添加したアルミノケイ酸塩ガラスを原料とし、その熱処理によって結晶化度を制御して合成したガラスセラミックス試料の構造変化を実験的に調べました。解析方法は放射光※2計測を中心として用い、あいちシンクロトロン光センターのBL5S1およびBL8S3を利用した従来の回折・散乱・吸収分光に加えて、大型放射光施設SPring-8※3のBL13XUではZrO2結晶粒子中のZr周囲の構造を選択的に観測できるX線異常散乱法※4を導入しました(図2)。従来用いられてきた元素選択的な構造計測としてX線吸収分光(XAFS)がありますが、X線異常散乱法ではXAFSでは観測が難しいガラスのような原子配列が乱れた材料の中距離構造を解析することができます。本研究では、XAFSとX線異常散乱、X線回折、そしてX線小角散乱という複数の手法を併用することで、原子サイズから数十ナノメートルまでの広い空間スケールでの構造解析を実現しました(図3)。
 熱処理前のガラスと、結晶化の初期過程にあるガラスセラミックスのX線異常散乱データを比較したところ、広い空間スケールでZrに関連する構造が変化していることが示唆されました(図4左)。特に、Zr周囲の中距離構造を実空間で解析した結果、Zrは酸素を介してガラスの骨格構造を形成しているSiやAlと結合を形成していることがわかりました。このZr–O–Si/Al結合は、Zrを中心とした多面体とSiまたはAlを中心とした四面体の稜を共有しています(図4右)。一般的なガラスには見られない構造である、このような稜共有構造がガラスの熱処理によって増加していくことが、今回、X線異常散乱法によって初めて観測されました。
 さらに研究グループは、ガラス中に結晶核が生成するメカニズムを説明できるモデルを原子レベルとナノメートルの空間スケールで提案しました(図5)。ナノスケールにおいては、熱処理前のガラスで既にZrが豊富に存在する領域とそうではない領域の分離が起こっており、熱処理によってその傾向がさらに進行すること、結晶粒子の析出はZrが豊富な領域で起こっていることが示されました(図5上)。一方で、最近接原子間距離から中距離の空間スケールにおいては、Zrが豊富な領域において、熱処理によってZrの凝集が起こり、ナノメートルサイズのZrO2結晶格子に類似した周期的な構造が形成されることがわかりました。さらにZrが凝集した領域の周囲はSiやAlによるガラスの骨格を形成するネットワーク構造によって囲まれており、そのような構造がガラスセラミックス形成における初期の結晶核となることが示されました(図5下)。提案された構造変化のモデルは、本研究で実施されたすべての構造計測データを説明できるだけでなく、先行研究において他の手法で実施されたナノスケール構造計測や、ガラスにおける結晶核形成の理論研究の結果とも矛盾しないものとなっています。
 本研究ではX線異常散乱法の導入により、これまで計測が困難であった中距離構造をも観測できる先駆的な構造解析を実現させました。そして、本手法によるZr–O–Si/Al結合の発見が、ガラス中に生成する初期の結晶核構造を決定づけることにつながりました。


 

図2  X線異常散乱の原理図

図2  X線異常散乱の原理


(左)X線吸収端付近では吸収端元素のX線散乱能力が異常分散項f’の影響で大きく変化する。
(中央)X線異常散乱実験では、ある元素の吸収端の近傍で、吸収端に近いエネルギー(Near edge)とやや遠いエネルギー(Far edge)の2つのエネルギーのX線を用いて試料のX線散乱パターンを計測する。
(右)AとBの2つの元素で構成された物質について、元素Aの吸収端近傍の2つのエネルギーのX線を用いてそれぞれX線散乱パターンを測定し、その差分をとることで、元素Aに関連する構造情報のみを抽出したデータを得ることが可能となる。元素A以外の元素のX線散乱能力は変化しないので、元素Aが関連しない構造情報(例えば元素B同士の相関)は差分をとることで消去される。

図3 本研究で実施されたX線マルチスケール構造解析手法群と各手法が解析できる空間スケールを図説

図3 本研究で実施されたX線マルチスケール構造解析手法群と各手法が解析できる空間スケール


図4 (左)ガラスおよび結晶核形成初期過程にあるガラスセラミックスのX線異常散乱データの比較図。
(右)X線異常散乱データから得られた実空間関数の図

図4 (左)ガラスおよび結晶核形成初期過程にあるガラスセラミックスのX線異常散乱データの比較。
(右)X線異常散乱データから得られた実空間関数

図5  本研究で明らかになったガラスとガラスセラミックスのナノスケール〜原子スケールでの構造変化を図説

図5  本研究で明らかになったガラスとガラスセラミックスのナノスケール〜原子スケールでの構造変化



【今後の展開】
 今回の成果は、これまで観測が困難であった乱れた原子配列の中に秩序が生まれる過程を明らかにしたもので、広く研究されてきたガラスセラミックスの研究分野において、既報の研究結果とも矛盾なくガラス中に結晶核が生成するメカニズムについて新しい知見を提供するものです。また、本研究で実施した構造解析アプローチは、複雑な組成と乱れた原子配列を有する実用材料中の特定元素周囲の構造観測にも適用可能です。今回確立された元素選択的な計測を中心としたマルチスケール構造解析法によって、今後、様々な実用材料の構造と物性の関係性の理解が進み、新しい高機能材料の合成がより活性化することが期待されます。


【用語解説】


※1. ガラス
原子が規則的に並び、ある構造単位が長周期的に繰り返される構造(長距離構造)を有する固体である「結晶」に対し、長距離構造を持たない固体は「非晶質」とされ、その一部がガラスに分類される。ガラスは原料物質を高温で加熱し融液としたものを急速に冷却し、結晶化を経ずに固化させることで得られる。高温融液を結晶化が起こらない速度で冷却すると、融点(凝固点)よりも低い温度まで冷却されても固体化せず、過冷却液体となる。さらに冷却が進むと結晶化が起こらずに固化し、ガラスが得られる。過冷却液体からガラスへの転移を「ガラス転移」と呼ぶ。ガラスの定義は「非晶質」かつ「ガラス転移」を示す固体とされている。実用されているガラスの大部分は酸化物を主成分とする酸化物ガラスであり、酸化物ガラスは単独でガラスの骨格を形成する網目形成酸化物と網目を切断し修飾する修飾酸化物、網目形成と修飾の両方の働きをする中間酸化物から成る。ガラスの一般的な材料特性としては、透光性(透明)、絶縁性、化学的耐食性、組成の自由度が挙げられる。


※2. 放射光
ほぼ光速で進む電子が、その進行方向を磁石などによって変えられると接線方向に電磁波が発生する。この電磁波を「放射光(シンクロトロン放射)」と呼び、電子のエネルギーが高く進む方向の変化が大きいほど、X線などの短い波長の光が含まれるようになる。放射光が利用できる施設は国内に複数あり、本研究では、兵庫県播磨科学学園都市の大型放射光施設SPring-8、愛知県瀬戸市のあいちシンクロトロン光センターにおいて放射光実験を実施した。


※3. 大型放射光施設SPring-8
理化学研究所が所有する兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高性能の放射光を生み出す大型放射光施設で、利用者支援等は高輝度光科学研究センター(JASRI)が行っています。SPring-8(スプリングエイト)の名前はSuper Photon ring-8 GeVに由来。SPring-8では、放射光を用いてナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究が行われています。


※4. X線異常散乱法
試料に入射されたX線が試料中に含まれる特定の元素の持つX線を吸収するエネルギー(吸収端)に近いとき、その元素に対して選択的にX線散乱能力に大きな変化が起こる(異常分散効果と呼ばれる)。X線異常散乱法は、この各元素の異常散乱効果を利用し、特定元素周囲の構造情報のみを実験的に抽出して解析できる手法である(図2)。本研究では、SPring-8の世界最高性能の放射光を利用することでZr元素を対象としたX線異常散乱実験を実施した。


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(報道・広報に関すること)
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〒305-0047 茨城県つくば市千現1-2-1
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電気が流れる交互積層型電荷移動錯体の実現
――常識を覆す、大量合成可能な新種の有機伝導体材料――


2024年4月16日
東京大学
自然科学研究機構 分子科学研究所
岡山理科大学
高輝度光科学研究センター
科学技術振興機構(JST)


発表のポイント


◆電気がほとんど流れないことが通説であったドナーとアクセプターからなる交互積層型の電荷移動錯体の高伝導化に成功しました。
◆ドナーとアクセプターの分子軌道のエネルギーと対称性を考慮した新しい分子設計により、両者の分子軌道が強く混成した特異な電子状態を実現しました。
◆大量合成が可能で、溶液加工性にも優れた新種の塗布型有機伝導体材料としての有機電子デバイスへの応用が期待されます。



ドナーとアクセプターの軌道混成の形成によって、これまで電気がほとんど流れないとされてきた 交互積層型電荷移動錯体の高伝導化に成功(株式会社サイエンスグラフィックス)  


 電子の豊富なドナー分子と電子の不足したアクセプター分子からなる交互積層型電荷移動錯体※1は、電荷輸送に携わる実効的なキャリアが少ないことから電気が流れにくいというのが通説でした。東京大学物性研究所の藤野智子助教(JSTさきがけ研究者)・森初果教授らの研究チーム、同大学院新領域創成科学研究科の岡本博教授・有馬孝尚教授の両研究チーム、分子科学研究所の中村敏和チームリーダー、岡山理科大学の山本薫教授、高輝度光科学研究センター(JASRI)の中村唯我研究員らは、分子軌道に着目した新しい設計により、交互積層型電荷移動錯体の高伝導化に成功し、一次元単結晶において室温・常圧で最高の伝導度を達成しました。ドナーとアクセプターの分子軌道のエネルギーと対称性を考慮した設計のもと、中性とイオン性の境界領域で、ドナーとアクセプターの分子軌道が強く混成した特異な電子状態を実現することができました。溶液状態で安定かつ大量生産が可能な新種の有機伝導体材料は、いまだ基礎研究の段階にある有機伝導体の材料研究をデバイス研究へと繋ぎ、両研究分野の相互発展を促す次世代の有機伝導体材料になりうると期待されます。
 本成果は英国科学誌「Nature Communications」オンライン版に4月16日(現地時間)に掲載されました。


論文情報
雑誌名: Nature Communications
題名 :Orbital hybridization of donor and acceptor to enhance the conductivity of mixed-stack complexes
著者:Tomoko Fujino,* Ryohei Kameyama, Kota Onozuka, Kazuki Matsuo, Shun Dekura, Tatsuya Miyamoto, Zijing Guo, Hiroshi Okamoto, Toshikazu Nakamura, Kazuyoshi Yoshimi, Shunsuke Kitou, Taka-hisa Arima, Hiroyasu Sato, Kaoru Yamamoto, Akira Takahashi, Hiroshi Sawa, Yuiga Nakamura, Hatsumi Mori*
DOI:10.1038/s41467-024-47298-1


発表内容


 <研究の背景>
 有機伝導体の材料研究は、単結晶-構造相関研究を通じた豊富な知見の蓄積があるにも関わらずいまだ基礎研究の段階にあり、デバイス研究との間に隔たりがあります。有機伝導体単結晶は溶液加工性に乏しく、また大量合成に不向きであると考えられているからです。こうした隔たりを繋ぎうる次世代材料として、電子の豊富なドナー分子と電子の不足したアクセプター分子とで形成される電荷移動錯体への期待が高まっています。電荷移動錯体は、ドナーとアクセプターが交互に積層した「交互積層型」とドナーとアクセプターが分離して積層した「分離積層型」に分類されます。分離積層型錯体においては、これまでに金属状態を含む高い伝導性を示す錯体が見つかっていますが、比較的得られやすい交互積層型電荷移動錯体はほとんど電気が流れないというのが通説となっていました。こうした伝導性の低さは、ドナーからアクセプターへ移動する電子の量を示す電荷移動量δが、0〜0.4の中性領域、もしくはδ > 0.75のイオン性領域にあることで(図1右)、電荷輸送に携わる実効的なキャリアが少ないことが原因と考えられてきました。中性-イオン性の境界領域にある電荷移動錯体を合成すれば電気がよく流れるのではないかと期待されてきたものの、そうした錯体は数十年にわたって実現されずにいました。


図

図1:本研究で開発したドナーとアクセプターの構造と交互積層型電荷移動錯体の一次元性単結晶の電荷移動量と室温伝導度。


 研究グループでは、電子の豊富なドナー分子としてドープ型ポリ(3,4-エチレンジオキシチオフェン)(PEDOT)のオリゴマー※2モデルを近年開発しています(論文1–3)。その最短の二量体(図1左上2O)(論文1)およびその酸素/硫黄原子置換体(図1左上2S)が、電子不足なフッ素置換テトラシアノキノジメタン類(図1左下F4F2)に対して、中性-イオン性の境界領域の錯体を構築するのに理想的な電子構造をもっていることに気がつきました。こうした境界領域を実現するには、ドナーの最高占有分子軌道(HOMO)※3とアクセプターの最低非占有分子軌道(LUMO)※4の間での小さなエネルギー差をもつことが必須と予想されてきており、2O/2SドナーとF4/F2アクセプターの組み合わせは、そうした条件をよく満たします。さらに電荷移動後の分子軌道形態の対称性もよく一致しており、両軌道が強く混成した良導性のキャリアの伝導経路の実現が期待されます。


<研究の内容>
 ドナー2Oおよび新規合成した2Sと、アクセプターF4およびF2とを有機溶媒中でそれぞれ混合し、数日かけて濃縮したところ、4種の針状の電荷移動錯体単結晶が得られました。X線単結晶構造解析から、いずれの錯体もドナーとアクセプターが交互に等間隔で積層した一次元構造を示しました。アクセプターの結合長の解析から電荷移動量δを見積もったところ、中性-イオン性境界付近にあり、とくに2SF4のδは0.69と狙っていた中性-イオン性境界に位置していました(図1右)。結晶の電子構造を調べるため、単結晶構造情報を基に第一原理計算※5から結晶軌道を算出しました。結晶軌道は、ドナーのHOMO由来の軌道とアクセプターのLUMO由来の軌道が強く混成しており、ドナーとアクセプターのどちらにも非局在化していました(図2)。分子間相互作用も大きく、キャリア間のクーロン反発エネルギーもとくに2Sをドナーとする錯体において小さく、計算上で高い伝導性の発現が予見されました。


図

図2:ドナーとアクセプターの電荷移動錯体結晶中での混成軌道。軌道がドナーとアクセプターのどちらにも非局在化している。ドナーのHOMOとアクセプターのLUMOがほぼ同等のエネルギー準位であり、両者の電荷移動後の軌道対称性が一致していることが鍵となっている。


 単結晶の電気抵抗率測定を実施したところ、合成した錯体の室温伝導度は、これまでの交互積層型電荷移動錯体と比較して極めて高く、とくに2SF4では一次元単結晶のなかで最高となる0.10 S cm–1であることがわかりました(図1右)。この単結晶は、X線構造解析ではドナーとアクセプターが等間隔に積層した構造が示されていましたが、構造の動的変化を反映しやすい光反射率測定からは、ドナーとアクセプターの間での二量化形成を示唆する結果が示されました。ドナーとアクセプターが等間隔に積層した錯体では、平面状分子の示す対称的な伸縮振動モードは、振動方向と直交するπ積層方向において赤外不活性となるはずですが、赤外活性なモードとして観測されました(図3右上)。第一原理計算から、観測されたシグナルが電子-分子内振動(EMV)結合※6に基づいたものであることが示され、ドナーとアクセプターの間で二量化を伴う構造的な揺らぎ(図3右下)を生じていることが示唆されました。これは中性-イオン性境界特有の電子状態が顕れていることが伺えます。大型放射光施設SPring-8※7のBL02B1にて室温での単結晶構造解析を行ったところ、二量化揺らぎを支持する散漫散乱も観測されました。これらの測定結果から、合成した錯体では、二量化に伴うスピンの組み残しなどの効果により高い伝導性が発現したのではないかと考えられます。


図

図3:交互積層型電荷移動錯体の電気抵抗率の温度変化。2SF4は282 Kで抵抗率の異常を示した。同時に対称性破れを伴うπ積層の二量化形成に基づく電子-分子内振動(EMV)結合由来のシグナルが増大した。


 また、興味深いことに、この錯体の電気抵抗率を測定したところ、282 K(9 ℃)において急峻かつ可逆な温度変化を示し、同時にEMV結合由来のシグナル強度の増大(図3右上)が見られました。詳細な構造解析の結果、b軸およびc軸に二倍周期をもつ超格子※8へと構造転移をしていることがわかりました。交互積層型電荷移動錯体において、282 K(9 ℃)とほぼ室温かつ常圧でこうした構造転移を示す例はかつてなく、中性-イオン性境界特有の構造的な揺らぎが反映されたものと考えられます。


<今後の展望>
 本研究では、ドナーとアクセプターの分子軌道に着目した設計により、交互積層型電荷移動錯体を高伝導化し、一次元単結晶のなかで最高の室温伝導度の発現に成功しました。加えて、単結晶X線構造解析と第一原理計算による電子構造解析によって高伝導化の起源に迫りました。本研究で使用したオリゴマー型ドナーは鎖長・配列・末端構造などによる高い分子設計自由度をもっており、アクセプターとの組み合わせによって、多彩な電荷移動錯体を構築できると期待できます。これはオリゴマーの構造制御性を活かして、電子状態(分子軌道エネルギー)を制御、設計できることを示していると言えます。この交互積層型電荷移動錯体は、大量合成が可能で、また有機溶媒への高い溶解性を示し、溶液中でも分解されずに長時間安定に存在することから、塗布型伝導体材料としても高い潜在性を有しています。次世代の有機伝導体材料としての高い可能性に期待が寄せられます。


<参考論文>
論文1:Kameyama, R.; Fujino, T.*; Dekura, S.; Kawamura, M.; Ozaki, T.; Mori, H.*Chem. Eur. J. 2021, 27 (21), 6696-6700. doi.org/10.1002/chem.202005333.
論文2:Onozuka, K.; Fujino, T.*, Kameyama, R.; Dekura, S.; Yoshimi, K.; Nakamura, T.; Miyamoto, T.; Yamakawa, T.; Okamoto, H.; Sato, H.; Ozaki, T.; Mori. H.* J. Am. Chem. Soc. 2023, 145 (28), 15152–15161. doi.org/10.1021/jacs.3c01522.
論文3:Fujino, T.*; Kameyama, R.; Onozuka, K.; Kazuki, M.; Dekura, S.; Yoshimi, K.; Mori. H.* Faraday Discuss. 2024, 250, 348–360. doi.org/10.1039/D3FD00134B.


発表者


 東京大学
  物性研究所
   凝縮系物性研究部門
    藤野 智子 助教 
     兼:科学技術振興機構 さきがけ研究者
    森 初果  教授
 
 大学院新領域創成科学研究科
  物質系専攻
    宮本 辰也 助教 (現:名古屋工業大学 准教授)
    岡本 博  教授
    鬼頭 俊介 助教
    有馬 孝尚 教授
     兼:理化学研究所 創発物性科学研究センター センター長
 
 自然科学研究機構 分子科学研究所
    中村 敏和 チームリーダー
 
 岡山理科大学
    山本 薫  教授
 
 高輝度光科学研究センター(JASRI) 回折・散乱推進室
    中村 唯我 研究員


研究助成


JST戦略的創造研究推進事業さきがけ「物質探索空間の拡大による未来材料の創製」(研究総括:陰山洋、研究代表者:藤野智子、課題番号:JPMJPR22Q8)、JSPS科学研究費助成事業(研究代表者:藤野智子、課題番号JP21K05018;研究代表者:森初果、課題番号:JP18H05225/JP21K18597/JP22H00106;研究代表者:岡本博、課題番号:JP21H04988;研究代表者:出倉駿、課題番号:JP20K15240;研究代表者:吉見一慶、課題番号:JP22K03526/21H01041)、MEXT科学研究費助成事業新学術領域研究:「水圏機能材料:環境に調和・応答するマテリアル構築学の創成」(研究代表者:藤野智子、課題番号:JP20H05206/JP22H04523)、「ハイドロジェノミクス」(研究代表者:森初果、課題番号:JP18H05516:A03-2)、MEXT「マテリアル先端リサーチインフラ」事業(課題番号:JPMX1222MS1002)、公益財団法人 内藤記念科学記念財団(研究代表者:藤野智子)、池谷科学技術振興財団研究助成(研究代表者:藤野智子)、花王芸術・科学財団(研究代表者:藤野智子)、野口遵研究助成金(代表代表者:出倉駿)の支援により実施されました。なお、本研究は出光興産(株)との共同研究により行われました。


【用語解説】


※1. 電荷移動錯体 :
電子が富む官能基をもつ電子供与体と電子が不足した官能基をもつ電子受容体とで構成され、両者の間で電荷の移動が生じて形成した錯体。


※2. オリゴマー :
構成ユニットの繰り返しで構成された分子の中で比較的小さなもの。構成ユニットの数で○量体と表記する。


※3. 最高占有分子軌道(HOMO) :
電子をもっている分子軌道の中で最もエネルギーが高い軌道。


※4. 最低非占有分子軌道(LUMO) :
電子が入っていない軌道で最もエネルギーの低い軌道。


※5. 第一原理計算 :
固体の電子状態や物性を研究する目的で固体物理の分野を起源として発展してきた、量子力学に基づく計算方法。基本的に局所密度近似を使って三次元周期系の電子状態に関する情報が得られる。


※6. 電子-分子内振動(Electron-molecular vibration: EMV)結合:
分子内振動によって分子軌道のエネルギーが変化する分子内振動と電子系の結合。2S-F4の場合、分子の伸縮振動によって分子軌道のエネルギーが変化し、2SドナーとF4アクセプターの間の電荷移動が生じる。


※7. 大型放射光施設SPring-8:
兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高性能の放射光を生み出す理化学研究所の施設で、その利用者支援などは高輝度光科学研究センター(JASRI)が行っている。放射光とは、電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げた時に発生する強力な電磁波のこと。SPring-8(スプリングエイト)では、放射光を用いて、ナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究が行われている。


※8. 超格子:
複数の種類の結晶格子の重ね合わせにより、基本単位格子よりも長い周期構造をもつ結晶格子。


本件に関するお問い合わせ先
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東京大学物性研究所 広報室
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東京大学大学院新領域創成科学研究科 広報室
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自然科学研究機構 分子科学研究所 研究力強化戦略室 広報担当
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岡山理科大学 企画部 企画広報課
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制御効率は従来材料の50倍! 磁化を持たない反強磁性体のスピンを電圧で制御!
-- 低消費電力・テラヘルツ駆動デバイスへ道 --


2024年4月5日
大阪大学
名古屋大学
三重大学
関西学院大学
高輝度光科学研究センター


【お読みいただく前に】
これまでスピントロニクスに利用されてきた磁性(スピン)材料は、マクロな磁化(N極-S極)を持つ強磁性体(磁石)でした。一方、磁性材料の中には、原子レベルでは磁性を持つがマクロな磁化は生じない反強磁性体と呼ばれる材料があります。従来の考え方では、反強磁性体は磁化を持たないため、利用価値に乏しい材料と考えられてきましたが、もし反強磁性体のスピンを利用できれば、強磁性体を用いたデバイスと比較して、動作速度が2~3桁高いテラヘルツ領域での駆動が可能とされています。今回、研究グループは、この反強磁性体において、スピンの向きを電圧で制御することに成功しました。


【研究成果のポイント】
反強磁性体※1であるクロム酸化物(Cr2O3※2において発現する電気磁気効果※3を用いて、磁性の起源であるスピン※4を電圧で制御することに成功
◆電圧(電界)によるスピンの向き(ミクロなN極-S極の向き)の制御効率を、従来材料の50倍以上増大させることに成功
◆低消費電力かつ超高効率にスピン制御が可能で、電圧で動作できるナノスピン材料の開発指針を提示


図1 (a) 本研究で用いたクロム酸化物を含むデバイスの模式図.

図1(a) 本研究で用いたクロム酸化物を含むデバイスの模式図.電圧を加えると,上向き・下向きのスピンの大きさが変わる.
  (b) 固定磁場状態で電圧のみを変化させて、スピン反転によりシグナル(ホール電圧)が変化する様子.
  (c) 印加する電圧に応じたスピン反転磁場の変調.


❖概要
 大阪大学大学院工学研究科の白土 優 准教授、同大学院生 氏本 翔さん(博士前期課程 研究当時)、鮫島 寛生さん(博士前期課程)、名古屋大学大学院工学研究科の森山 貴広 教授、三重大学大学院工学研究科の中村 浩次 教授、関西学院大学工学部の鈴木 基寛 教授、高輝度光科学研究センターの河村 直己 主幹研究員らの共同研究グループは、反強磁性体であるクロム酸化物(Cr2O3)薄膜に対して、低消費電力・高速駆動が可能な電圧によるスピン制御技術を開発しました。また、その制御効率を従来材料である強磁性体の50倍以上に高効率化することに成功しました。
 強磁性体(磁石)は、磁化(マクロなN極-S極)をもつ材料であり、現在の磁性デバイスや磁性材料の主役です。反強磁性体は磁性材料の一種ですが、強磁性体(磁石)のように磁化(マクロなN極-S極)が発生しないため磁場による磁性制御や磁気情報記録が難しく、これまでは利用価値に乏しい磁性材料とされてきました。一方で、反強磁性体材料には、次世代高速通信(Beyond 5G(6G))での利用が期待されるテラヘルツ(テラは1012)の周波数領域で効率的な動作が可能であるという、強磁性体にはない利点があります。そのため、反強磁性体の磁性をどのように制御するかが重要な課題となっています。今回、研究グループは、反強磁性体であるクロム酸化物(Cr2O3)薄膜(図1(a))を用いることで、電圧によって反強磁性体のスピン(磁化の起源となるミクロなN極-S極の対)の向きを制御することに成功しました(図1(b))。また、印加する電圧や磁場の強さによってスピン反転条件を高効率に変調できることを明らかにし、変調効率(単位電界あたり)が従来の強磁性体の50倍以上の高効率であることを明らかにしました(図1(c))。
 近年、IoT技術の発達による情報通信の高速化が予測され、また、AI技術の進展により情報処理デバイスの高速・低消費電力化が必要とされています。本成果は、不揮発メモリ素子として期待される磁気ランダムアクセスメモリ(MRAM)を含む様々なスピントロニクス素子における、低消費電力かつ高速なスピン方向制御技術のための「ナノスピン材料」に関する基礎物理学の理解を進展させるとともに、テラヘルツ領域で駆動可能な低消費電力スピンデバイスの実現に道を拓くものです。


論文情報
雑誌名: NPG Asia Materials
題名:Giant gate modulation of antiferromagnetic spin reversal by the magnetoelectric effect
著者:Kakeru Ujimoto, Hiroki Sameshima, Kentaro Toyoki, Takahiro Moriyama, Kohji Nakamura, Yoshinori Kotani, Motohiro Suzuki, Ion Iino, Naomi Kawamura, Ryoichi Nakatani, and Yu Shiratsuchi
DOI:10.1038/s41427-024-00541-z


❖研究の背景と研究成果
 これまでのエレクトロニクスは、電子のもつ電荷を利用して発展してきました。電子は、電荷の他に磁性(磁石)の起源となる回転運動(角運動量)に基づくスピンという性質を持ちます。スピントロニクスは、電荷とスピンの両方を利用する学術分野であり、例えば、スピントロニクスを利用したメモリデバイスは、高速性・耐久性・高密度・低消費電力性(不揮発性:電源を切っても,情報が失われない)を兼ね備えたデバイスとなります。スピントロニクスデバイスでは、スピンが担う磁化の向き(N極-S極の向き)を情報の「1」と「0」に対応付けて、情報を不揮発に記録しています。このため、これまでスピントロニクスに利用されてきた磁性(スピン)材料は、マクロな磁化を持つ強磁性体(磁石)でした。一方、磁性材料の中には、原子レベルではスピンを持つがマクロな磁化は生じない反強磁性体と呼ばれる材料があります。従来の考え方では、反強磁性体は磁化を持たないため、利用価値に乏しい材料と考えられてきましたが、もし反強磁性体のスピンを利用できれば、強磁性体を用いたデバイスと比較して、動作速度が2~3桁高いテラヘルツ領域での駆動が可能とされています。そこで、反強磁性体のスピンの制御技術の開発が進められています。とりわけ、昨今の情報処理デバイスの低消費電力化の需要と相まって、低消費電力でのスピン制御技術である電圧によるスピン制御技術が注目されています。
 最近、同研究グループは、反強磁性材料であるクロム酸化物(Cr2O3)に対して、スピン情報が強く表れるナノメートル(ナノは10-9)領域まで薄くすることで、反強磁性体のスピンを制御できることを明らかにしましたが(氏本 翔、白土 優 他、Applied Physics Letters, 123巻、022407(全7ページ)、2023年)、デバイスへの適用に向けて、低電力駆動に必要となる電圧による制御が必要でした。しかし、電圧で制御できる材料の性質は誘電性であり、磁石としての特性である磁性を電圧で直接制御することはできません。そこで、研究チームは、「電気磁気効果」と呼ばれる磁性と誘電性の結合効果に着目しました。この効果は、電圧による結晶内での磁性イオンの移動(誘電性)が、磁性イオンのスピン状態を変化させることによって生じる効果であり、反強磁性体においても適用できる効果です。研究グループは、この効果を利用して、クロム酸化物(Cr2O3)薄膜のスピンを電圧で制御することを試みました。その結果、磁場を変化させず電圧の変化のみで反強磁性体のスピン方向を反転できることを明らかにしました。スピン反転条件は、電圧や磁場の強さによって変化させることができ、その変調効率(単位電界あたり)が従来の強磁性材料を用いた場合と比較して、50倍以上も高効率であることを明らかにしました。また、電圧の向きにより、情報の「1」と「0」に対応するスピンの向きを選択できることも明らかにし(図2)、将来的なメモリ動作の可能性も実証しました。観測された現象の起源解明のために、大型放射光施設SPring-8※5のビームラインBL25SU(軟X線固体分光ビームライン)、BL39XU(磁性材料ビームライン)において元素選択的な磁気測定(X線磁気円二色性※6測定)を行い、クロム酸化物(Cr2O3)と電極金属(Pt)との接合界面にあるクロム(Cr3+)スピンが反転しており、電気磁気効果による磁性制御に重要な役割を果たしていることや、強磁性体で観測される金属膜(Pt)自体の磁性による効果が無視できるほど小さいことから、観測された高効率のスピン制御が従来の強磁性体とは異なるメカニズムで発現していることを明らかにしました。さらに、電気磁気効果は磁性材料の中でも特殊な材料でのみ生じるものと考えられてきましたが、実験結果と第一原理計算※7を用いた理論的考察により、反強磁性体と金属の接合面において、結晶内部とは異なる原理で電気磁気効果が誘起できることを見いだし、他の材料系への適用指針も示しました。


図2 磁場と電圧(電界)に対する安定なスピンの向きの図

図2 磁場と電圧(電界)に対する安定なスピンの向き.電圧(電界)と磁場の組み合わせにより、上向きスピン状態と下向きスピン状態を選択できることを示している.


 磁化の向きを変えるには、磁化が向きを変えるための駆動力が、その向きを固定しているエネルギー障壁の高さを超える必要があります。駆動力は、磁化(マクロなN極-S極)と磁場の積で決まります。反強磁性体では磁化がないため、駆動力がほぼありません。これが、「反強磁性体のスピン(磁化の起源)が制御できない」とされてきた理由です。強磁性体では、電圧によってエネルギー障壁を低下させることを原理にした研究が進められていますが、これは、強磁性体では、磁化が電圧によって変化せず、電圧を印加した場合でも駆動力がほぼ変化しないためです。一方、研究グループが着目した電気磁気効果は、電圧によって一時的にマクロな磁化を生成する効果であり、この効果により、電圧によって磁化を反転させるための駆動力を変化させることができます。今回の成果は、この効果を利用することで、本来は磁化を持たない反強磁性体のスピンも制御できることを示したものであり、また、強磁性体とは異なる原理を使うことで、高い効率でスピンの向きを制御できることを明らかにしたものです。この発見は、今後の反強磁性体のスピン制御の指針を与えるとともに、電圧駆動型のスピントロニクスデバイス設計に向けたナノスピン材料の設計指針を与えるものとなります。


❖本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)
 反強磁性体は、次世代高速通信(Beyond 5G(6G))での利用が期待される磁性材料であり、その磁性を担うスピンの低消費電力・高速制御が期待されています。今回の研究により、本来はマクロな磁化を持たない反強磁性体においても、電気磁気効果を利用することでそのスピンを制御できることが明らかとなりました。とりわけ、電圧によるスピン制御が実現したこととともに、接合界面を用いた他の材料への展開も示したことは、低消費電力・高速スピンデバイスの実現に向けて、新たな道を拓くものです。この成果は、電圧で駆動できるスピン材料の開発指針に関する重要な知見を提供するものであり、この知見に基づき材料探索を進めることで、より高い性能を有する電圧駆動型のナノスピン材料を見出すことができると考えています。


本研究は、主に、以下の事業の支援を受けて行われました。
・科研費基盤研究(B) 研究課題「交差相関材料における分極反転メカニズム」(課題番号:22H01757)
・科研費挑戦的研究(萌芽) 研究課題「薄膜成長プロセス制御による複合酸化物薄膜の強磁性化」(課題番号:22K18903)


❖参考URL
白土 優 准教授
研究者総覧URL https://rd.iai.osaka-u.ac.jp/ja/a6295197f53987b2.html


【用語解説】


※1. 反強磁性体
強磁性体とは、磁石につく性質をもった磁性体のことを指す。また、それ自身で磁石になりやすい性質も持つ。強磁性体の中では、磁化(電子のスピン)が同じ方向を向こうとする。それに対して、反強磁性体の中では、隣り合う電子のスピンは互いに反対方向に向く。このため、反強磁性体は、外部に磁束を発生しないため磁石につく性質をもたない。


※2. クロム酸化物(Cr2O3
クロム(Cr)と酸素による化合物であり、化学式としてCr2O3をもつ化合物が最も安定となる。結晶中で、クロムは3価のイオン(Cr3+)として存在し、酸素は2価のイオン(O2-)として存在する。磁性材料としては、クロム(Cr3+)が磁性を担うスピンを持ち、隣り合うスピンが反平行に配列することで、反強磁性を示す。


※3. 電気磁気効果
電界(=電圧/膜厚)によって、反対方向に向いたスピンの大きさが変わる現象であり、これによって正味の磁化が発生する。また、磁場の印加によって、誘電分極が発生する。通常の磁性体では、電界(電圧)と磁化(スピン)は結合しておらず、片方の変化がもう一方に影響を及ぼすことはないが(物理的には,非共役と呼ばれる)、電気磁気効果を利用することで、磁性と電界(電圧)を結晶構造を介して結合させることができる。


※4. スピン
電子は負の電荷を持ち、電荷は静電気や電流の起源となる。また、電子が回転運動している場合、電子の回転運動に対応して、磁気モーメントが現れる。回転運動には、原子核の周りをまわる軌道運動に加えて、自転に相当するスピンと呼ばれる運動がある。磁気モーメントの大きさを決める主な原因は、スピンである。スピントロニクスとは、電子の電荷とスピンの両方を利用することで、一方の性質のみを利用したデバイスを凌駕する新しい機能を創出する学術分野である。


※5. 大型放射光施設 SPring-8
SPring-8は、兵庫県播磨科学公園都市にある理化学研究所の大型放射光施設で、利用者支援などは高輝度光科学研究センターが行っている。SPring-8(スプリングエイト)の名前はSuper Photon ring-8 GeVに由来。世界最高性能の放射光を生み出すことができ、固体物理、素粒子実験等の基礎科学研究からバイオ、ナノテクノロジーといった応用研究にまで幅広い研究が行われている。


※6. X線磁気円二色性
X線は光や電波と同じく電磁波の一種であり、X線が進む方向に沿って電界と磁界の波が空間上を伝わっていく。円偏光とは、電界が螺旋状に回転しながら伝わる電磁波のことを指す。円偏光したX線が磁気をもつ物質に吸収されるときには、物質中の電子の磁気的状態によって吸収量が異なる。また、電界の回転方向が右回りか左回りかによっても吸収量が異なる。この現象を利用して磁性体に含まれる元素ごとの磁性を選別して解析する方法を、X線磁気円二色性(X-ray Magnetic Circular Dichroism: XMCD) 分光法という。


※7. 第一原理計算
物質を構成する基本粒子である原子核と電子の運動、及びその間に働く相互作用のみを入力パラメータとして物質の性質を探る物理計算手法。実験とは独立して近似の範囲内では非常に高精度に、物質の物性を計算することができる。


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超伝導技術で可視化する微量ウランの真の分布状態
~ 環境中のさまざまな微量元素の移行挙動把握への期待 ~


2024年4月9日
立教大学
日本原子力研究開発機構(JAEA)
東京大学大学院理学系研究科
東京都立大学
中部大学
理化学研究所
量子場計測システム国際拠点(WPI-QUP, KEK)
大阪大学
岡山大学
明治大学
高輝度光科学研究センター(JASRI)


原子力発電用燃料として用いられるウラン(U)の環境中での移行挙動の把握は、放射性廃棄物の埋設処分時の安全性評価において重要です。環境中でのUの移行挙動の正確な把握には、試料中の多くの元素の信号の中から、微量のUの信号のみを検出する新たな分析技術が望まれていました。
立教大学理学部 山田真也 准教授、東京大学大学院理学系研究科 高橋嘉夫 教授、日本原子力研究開発機構 蓬田匠 研究員、高輝度光科学研究センター(JASRI) 宇留賀朋哉 任期制専任研究員、新田清文 研究員、関澤央輝 主幹研究員らは、高いエネルギー分解能で特定のエネルギーの信号を検出できる超伝導転移端検出器(Transition Edge Sensor; TES)(※1)の利用を推進する複数の研究機関との共同研究を行っています。今回、大型放射光施設 SPring-8(※2) のビームラインBL37XUにおいて、マイクロビームX線を用いた蛍光XAFS(X線吸収分光法)(※3)分析のための検出器として世界で初めてTESを適用し、通常の半導体検出器では捉えることのできない、実環境試料中の微量のUの分布状態を把握することに成功しました。
本研究により、環境試料中の超微量元素をマイクロメートルサイズの空間分解能で分析できると共に、元素の移行挙動のメカニズムを原子・分子スケールで解き明かすことで、Uだけでなくさまざまな元素の環境移行挙動研究への展開も期待されます。
また、TESは宇宙X線観測、原子分子、核物理などさまざまな応用に向けて、装置開発や応用性の研究が進められています。実環境試料を非破壊で分析できた今回の成果により、将来の小天体サンプルリターン計画で得られる地球外試料の非破壊分析など、地球・環境・地球外試料・生物試料への適用も広く期待されます。
本研究は、英国王立化学会発行の「Analyst」誌に2024年4月9日(日本時間16時)にオンラインで掲載されました。


論文情報
雑誌名: Analyst
題名 :Application of transition-edge sensor for micro-X-ray fluorescence measurements and micro-X-ray absorption near edge structure spectroscopy: a case study of uranium speciation in biotite obtained from uranium mine
著者:Takumi Yomogida, Tadashi Hashimoto, Takuma Okumura, Shinya Yamada, Hideyuki Tatsuno, Hirofumi Noda, Ryota Hayakawa, Sayuri Takatori, Shinji Okada, Tadaaki Isobe, Takahiro Hiraki, Toshiki Sato, Yuichi Toyama, Yuto Ichinohe, Oki Sekizawa, Kiyofumi Nitta, Yuichi Kurihara, Shigeru Fukushima, Tomoya Uruga, Yoshihiro Kitatsuji and Yoshio Takahashi
DOI:10.1039/D4AN00059E


【研究の背景】
Uは、原子力発電用燃料として世界で広く利用されています。その際に生じる使用済みの原子力発電用燃料については、再処理せずに処分する直接処分か、再処理を行いその際に生じる放射性廃棄物を処分する間接処分かの2つの方法が検討されています。いずれの場合も放射性廃棄物は地下に埋設される予定であり、特に前者の場合、地下環境中でのUの移行挙動を把握する研究が重要とされています。Uはその化学状態によって水への溶解性が大きく異なるため、環境試料中のUの化学状態や分布状態を知ることが、Uの移行挙動の推定につながります。
蛍光X線を利用した放射光X線吸収微細構造法(蛍光XAFS法)は、試料から発する蛍光X線・散乱X線のエネルギーを精密に計測することで、原理的にあらゆる元素の化学状態(価数や結合状態)の解析が可能な手法です。さらに、試料に照射するX線をマイクロメートルサイズまで集光することにより、高い空間分解能で元素の分布やその化学状態を調べることが可能です。しかし、さまざまな元素が含まれる環境試料においては、一般的に用いられる半導体検出器を用いるとエネルギー分解能が足らず、微量のUからの蛍光X線が、地殻中に多量に含まれる他の元素(ルビジウム(Rb)など)の蛍光X線に埋もれてしまい、正確な分布状態・化学種の把握が困難であるという課題がありました。研究グループは、超伝導転移端検出器(Transition Edge Sensor; TES)という、高いエネルギー分解能と高い検出効率を併せ持つ分光装置に着目し、この課題の解決に挑戦しました。



【研究の成果】
研究グループは、SPring-8のビームラインBL37XUに持ち込んだTES(米国NIST製)と、半導体検出器(シリコンドリフト検出器:SDD)を用いて、TESの動作実証を行いました。図1は、SPring-8 BL37XUにおける実験のセットアップの様子と、今回の分析で用いた環境中から採取された黒雲母試料の外観です。図1の右の部分で示した範囲において、SDDとTESで、マイクロビームX線を用いたマッピング分析結果を比較したものが図2です。従来のSDDでは、黒雲母中に多量に含まれるRbの蛍光X線ピークしか観測できず、微量のUの信号を正確に検出できていません。そのため、Uの分布はRbの分布と似通ってしまい、正確なUの分布状態を得ることができません。一方、TESを用いて分析した結果が図2の右側です。蛍光X線スペクトルの測定結果では、SDDでは抽出不可能な、微量のUからの蛍光X線を分離して測定できていることがわかります。さらに、Uの信号を正確に抽出できた結果、RbとUの分布が異なっている様子が確認できます。これらの結果から、TESを用いることによって、従来の検出器では分析困難な、微量のUの分布状態を正確に把握することに成功しました。また、同時に行ったXAFS測定の結果から、黒雲母中に含まれるUの化学状態の分析にも成功し、黒雲母中のUの一部が還元されていることが明らかになりました。このことは、Uが黒雲母に還元・固定された結果、地層中で動きにくくなったことを示しており、黒雲母がUを保持するメカニズムの一端を解明することができました。
今回の実験では、環境試料中のUとRbに着目して研究を行いましたが、TESが17 keVという高いエネルギー領域まで高いエネルギー分解能を持つことが確認できました。したがって、TESを用いることによって、Uのみならず17 keVまでのエネルギー領域に蛍光X線が存在する、他の元素の分析にもTESが適用可能なことが示され、今後さまざまな環境試料への応用が期待されます。



図1.(左)SPring-8 BL37XUにおける実験のセットアップの外観画像



図2.(左)従来の半導体検出器を分析に用いた場合の蛍光X線スペクトルとマッピング分析結果の図


【今後の展開】
 従来不可能だった広いエネルギー範囲での高エネルギー分解能による計測や、計測時間の飛躍的な短縮により、試料損傷の大幅低減の実現も可能になります。TESのテクノロジーは日進月歩で進化しており、高速化や大有効面積化が進むことで、環境試料・宇宙化学試料・生物試料中の超微量元素の化学状態分析へ応用が期待されます。今後、より高いエネルギー分解能を実現することで、さらに高度な高エネルギー分解能蛍光X線検出によるX線吸収端近傍構造法(HERFD-XANES法(※4)などの発光分光法への展開も期待されます。研究グループでは、今後も技術の成熟化を推し進め、宇宙X線観測、原子分子物理、核物理などの基礎科学、将来のサンプルリターン計画における非破壊分析、持続可能な社会実現に資する環境科学など、世の中に幅広く役立つ分野にTESを用いた研究を発展させたいと考えています。


【研究サポート】
本研究はJSPS科研費(18H05458, 19H01145, 19H01960, 19K15606, 19K21893, 19K23432, 20K20527, 20K15238, 20K14524, 21H00162, 21H03585, 21H05443, 21K18649, 21K18917, 22F21313, 22H00166, and 22K18277) の助成および、JASRI/SPring-8の研究課題(2022A0174, 2022A0180, 2021A1610, 2019A1523, 2019B1498, and 2020A0174)、高エネルギー加速器研究機構(KEK)フォトンファクトリーの研究課題(2022G126, 2020G670, 2020G081, and 2018S1-001)に支援頂きました。


【用語解説】


※1. 超伝導転移端検出器(Transition Edge Sensor; TES)
TESは、超伝導-常伝導の相転移点近傍の急峻な抵抗-温度特性を利用する検出器です。その動作方式を図3に示しました。X線が検出器の熱を吸収する部分に当たるとTESの温度が上昇し、TESの抵抗値も上昇し、回路を流れる電流の変化を検出することで、入射したX線のエネルギーを推定することができます。相転移温度近傍にある超伝導体は、この時の抵抗値の変化量が極めて大きいことから、エネルギーを精度よく測定できます。


図3:TESの動作方式の原理とTES画素の概念図


※2. 大型放射光施設 Spring-8
兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高性能の放射光を生み出す理化学研究所の施設で、利用者支援等は高輝度光科学研究センター(JASRI)が行っています。SPring-8(スプリングエイト)の名前はSuper Photon ring-8 GeV(ギガ電子ボルト)に由来します。放射光とは、電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げたときに発生する、指向性が高く強力な電磁波のことです。SPring-8では、この放射光を用いて、ナノテクノロジーやバイオテクノロジー、産業利用まで幅広い研究が行われています。


※3. 蛍光XAFS(X線吸収分光法)
蛍光XAFS(Fluorescence detection X-ray Absorption Fine Structure)法とは、X線を物質に照射した際に発生する様々な波長の蛍光X線を分析して得たX線吸収微細構造から、その物質に含まれる元素や種類、化学状態を調べる方法です。


※4. X線吸収端近傍構造法(HERFD-XANES法)
蛍光XAFS法の1つであるHERFD-XANES法(High-Energy-Resolution Fluorescence Detected X-ray Absorption Near Edge Structure)は、特定の蛍光X線の波長を細かく分離する(高いエネルギー分解能で分光する)方法のことです。従来は分光のために結晶を使用する必要があり、多くの有用な情報を捨ててしまうという難点もありましたが、TESのような非分散型の分光器を活用することができれば効率のよい計測ができると考えられています。


本件に関するお問い合わせ先
(本件に関する報道関係の問い合わせ)
 立教大学 総長室広報課 担当: 藤野
 TEL: 03-3985-2202 E-mail: このメールアドレスはスパムボットから保護されています。閲覧するにはJavaScriptを有効にする必要があります。

(SPring-8 / SACLAに関すること)
公益財団法人高輝度光科学研究センター
 利用推進部 普及情報課
 TEL:0791-58-2785 FAX:0791-58-2786
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白金(プラチナ)電極の粗面化や溶出を抑制する新しい手法を発見
 〜活性と耐久性を両立する電極触媒開発に期待〜


2024年3月22日
国立大学法人千葉大学
公益財団法人高輝度光科学研究センター


 千葉大学大学院融合理工学府博士後期課程学生の久米田友明氏(研究当時、現所属:物質・材料研究機構)、同大学大学院工学研究院の中村将志 教授、星永宏 教授、高輝度光科学研究センターの坂田修身 常務理事らの研究チームは、これまで考慮されてこなかった電解液中のイオンが白金(Pt: プラチナ)電極表面の粗面化や溶出に影響を及ぼすことを明らかにしました。
 白金は、燃料電池や水電解に用いられる重要な電極触媒です。本研究で得られた知見を応用することにより、白金の反応活性の向上や、燃料電池の耐久性・コスト削減につながることが期待されます。
 本研究成果は、2024年3月20日に、米国化学会誌 Journal of the American Chemical Society オンライン版に掲載されました。


論文情報
タイトル:Surface extraction process during initial oxidation of Pt(111): Effect of hydrophilic / hydrophobic cations in alkaline media
著者:T. Kumeda, K. Kondo, S. Tanaka, O. Sakata, N. Hoshi, M. Nakamura
雑誌名: Journal of the American Chemical Society
DOI:10.1021/jacs.3c11334


【研究の背景】
 貴金属である白金は、燃料電池や水電解などの様々な電気化学反応に高い活性を示します。このため、腐食性の強い電解質を用いた電気化学デバイスの電極材料に用いられています。耐腐食性のある白金ですが、燃料電池では、起動・停止を繰り返していくと、白金の溶出や凝集が起こり、発電性能が徐々に低下していくことが課題となっています。
 現在のところ溶出する理由は次のように考えられています(図1)。燃料電池の起動・停止により、電極触媒である白金の電極電位が変動します。①白金の電極電位が正電位になると水(アルカリ中では水酸化物イオン)と反応し、白金表面に水酸基や酸素原子が吸着。②白金原子と吸着酸素の原子位置が変わる原子位置交換と呼ばれる現象が発生。③その結果原子位置交換した白金が、電極電位を負電位側に還元し容易に溶出。
 これまでの燃料電池触媒の研究では、酸化されにくい電極触媒を用いたり、酸素源である水が反応しにくいように疎水性物質を触媒表面に吸着させたりする取り組みにより、耐久性を向上させていました。今後は、さらなる活性化や耐久性の向上に向けて、異なるアプローチが求められています。



図1:白金表面原子の溶出過程の図解

図1:白金表面原子の溶出過程


【研究の成果】
 本研究では、白金表面から少し離れた場所にあるイオンに着目しました。水溶液中においてイオンは水和※1されていますが、水との親和性はイオンの種類によって大きく異なります。アルカリ金属イオンの場合、イオン半径の小さなリチウム(Li)イオンは、水と親和性が強く親水性となりますが、カリウムイオンやセシウムイオンは親水性が弱くなります。水との親和性の弱いアルキル基をもつアルキルアンモニウムイオンは強い疎水性となります。このような親水性や疎水性に着目し、様々なイオンを電解質に用いて、大型放射光施設SPring-8※2放射光実験施設フォトンファクトリー(PF)※3を利用した表面X線回折法※4により白金表面の構造を決定しました。また、表面酸化物を振動分光法※5により調べました。
 これまでの研究から親水性イオンは白金表面の水酸基と強く相互作用するため、表面構造を安定化しやすいと考えられていました。しかし、疎水性であるテトラメチルアンモニウム(TMA)イオンを用いても、高電位側において白金の表面が平滑であり原子位置交換が起こりにくいことが分かり、予想と反する結果でした。一方、水との親和性が中程度のカリウム(K)イオンでは、原子位置交換がより低電位から起こり、白金の電極電位が変動することによって、粗面化しました(図2)。つまり、原子位置交換の起こりやすさは、陽イオンの親水性と密接に関係しているのです。アルキルアンモニウムイオンは、平滑な白金電極の燃料電池反応を活性化する効果もあるため※6、活性と耐久性の両立が可能となります。
 さらに振動分光により吸着酸素と吸着水酸基の観測を行ったところ、原子位置交換の起こりやすさには、吸着水酸基と吸着酸素が関与していることが分かりました。図3のように中程度の親水性陽イオン(K)は、吸着水酸基と相互作用します。同時に吸着酸素も存在しますが、どちらも負の電荷を帯びているため互いに反発します。この負電荷同士の反発力を低減するために、白金原子が表面から持ち上げられることが原子位置交換を促進します。白金表面の酸化過程は複数の酸化状態をとり複雑な構造となりますが、最先端な分析を駆使することにより、詳細な構造や酸化メカニズムの解明につながりました。


図2:水酸化カリウム(KOH: 寒色)溶液中では白金原子の溶出や原子位置置換による粗面化のため不可逆的に回折強度が減少する。

図2:水酸化カリウム(KOH: 寒色)溶液中では白金原子の溶出や原子位置置換による粗面化のため不可逆的に回折強度が減少する。水酸化テトラメチルアンモニウム(TMAOH: 暖色)溶液中では、回折強度が変化せず表面が平滑であることを示している。


図3:各陽イオンと白金表面の相互作用の図。

図3:各陽イオンと白金表面の相互作用。白丸は水素原子、赤丸と黄丸は酸素原子。Li+は吸着水酸基と強く相互作用するため原子位置置換が起こりにくい。


【今後の展望】
 本研究により、白金溶出の前段階である表面原子の位置交換の起こりやすさは、表面近傍の親水性・疎水性イオンの影響を受けることがわかりました。とくに疎水性イオンは平滑な白金電極で起こる燃料電池反応の活性を著しく高めることが知られています。そのため、今回明らかとなった疎水性イオンによる粗面化の抑制は、高い触媒活性の維持につながると考えられます。本研究の成果により、活性と耐久性を両立した電極触媒の開発につながります。


【用語解説】


※1. 水和
水溶液中において、水分子が溶質であるイオンや分子と相互作用して取り囲むこと。


※2. 大型放射光施設SPring-8
SPring-8は、兵庫県の播磨科学公園都市にある理化学研究所が所有する世界最高性能の放射光を生み出す大型放射光施設で、利用者支援等は高輝度光科学研究センター(JASRI)が行っている。SPring-8(スプリングエイト)の名前はSuper Photon ring-8 GeV(ギガ電子ボルト)の略。放射光を用いてナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究が行われている。


※3. 放射光実験施設フォトンファクトリー (Photon Factory, PF)
PFは、茨城県の筑波研究学園都市にある高エネルギー加速器研究機構(KEK)が所有する放射光実験施設で、1982年に完成した日本で最初の放射光X線源加速器である。SPring-8と共に、物質、材料、生命科学など様々な分野の研究に利用されている。


※4. 表面X線回折法
表面にX線を入射することにより、表面各原子からX線が散乱する。原子が規則的に配列していれば、散乱X線は干渉され回折が起こる。検出器によって回折強度を測定し、構造解析から表面原子の電子密度分布や熱振動の情報が得られる。


※5. 振動分光法
測定対象に赤外線や可視光などの電磁波を照射し、透過光、反射光や散乱光を分光することにより、分子の振動や結晶格子の固有の振動数がわかる。固有の振動数から化学種の同定を行うことができる。


※6. 詳細は以下リリースを参照。
燃料電池反応を活性化する電極反応場を発見 ~最高で8倍の活性化に成功~(2018年11月5日)
https://www.chiba-u.ac.jp/about/files/pdf/20181106.pdf


本件に関するお問い合わせ先
〈研究内容に関するお問い合わせ〉
千葉大学大学院工学研究院 教授 中村将志 
TEL: 043-290-3382 メール: mnakamuraatfaculty.chiba-u.jp

〈広報に関するお問い合わせ〉
千葉大学広報室
TEL: 043-290-2018 メール: koho-pressatchiba-u.jp

高輝度光科学研究センター
 利用推進部 普及情報課
TEL: 0791-58-2785 メール: kouhouatspring8.or.jp

(SPring-8 / SACLAに関すること)
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