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オオムギのアルミニウム耐性を担うクエン酸輸送体の構造的基盤を解明
2025年8月10日
(2025年8月5日 岡山大学プレスリリース)
岡山大学
◆発表のポイント
・オオムギの根からクエン酸を分泌し、酸性土壌※1でのアルミニウム毒性を緩和するクエン酸輸送体AACT1タンパク質について、これまで不明だった立体構造を解明しました。
・この構造解析により、クエン酸を輸送する仕組みも明らかになりました。
・本成果は、AACT1タンパク質の働きを応用すれば、安定して収穫できる作物の開発に役立つことが期待されます。
岡山大学学術研究院先鋭研究領域(異分野基礎科学研究所)の菅倫寛教授の研究グループは、同領域(資源植物科学研究所)の馬建鋒教授、三谷奈見季准教授、同領域(異分野基礎科学研究所)の篠田渉教授、浦野諒助教(特任)らと共同で、オオムギ由来のクエン酸輸送体AACT1タンパク質の立体構造を明らかにしました。この立体構造の解析から、AACT1がクエン酸を放出する仕組みの構造的基盤が解明されました。
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本研究は、彼女の粘り強い努力と、共同研究者の多大な支援のもとで実現された成果です。
■発表内容
<現状>
土壌の酸性化は、世界中の作物生産に深刻な影響を及ぼす広範な問題です。耕作可能な土地のおよそ30〜40%が酸性土壌であり、その主な原因として、降雨、肥料施用、有機物の分解、農作物の収穫などが挙げられます。特に日本は多雨な気候のため、土壌中のカルシウムやマグネシウムなどの塩基が雨水により流出しやすく、酸性化が進行しやすい傾向があります。酸性土壌ではアルミニウムがイオン化し、植物の根に吸着してその成長を阻害します。
一方で、酸性土壌に適応し、その環境ストレスを緩和するように進化した植物も存在します。オオムギはイネや小麦と比べて酸性土壌での生育が難しいとされていますが、一部の品種では、根からクエン酸を分泌することでアルミニウムの毒性を軽減し、生育を可能にしています。オオムギは古くから世界各地で栽培されてきた作物であり、ビールや味噌の原料として私たちの生活に欠かせません。
これまで馬教授のグループは、特定のオオムギ品種がアルミニウムイオンを感知すると、これを無毒化するためにクエン酸を根から放出し、クエン酸がアルミニウムと結合することで、生育阻害を回避することを明らかにしてきました。また、このクエン酸の放出には、AACT1(Al-Activated Citrate Transporter 1)と呼ばれるアルミニウム活性型クエン酸輸送体タンパク質が関与することも、同グループによって発見されています。しかし、これまでAACT1タンパク質の立体構造は明らかにされておらず、クエン酸放出の分子メカニズムは不明でした。
<研究成果の内容>
オオムギ由来のクエン酸輸送体AACT1の立体構造を、X線結晶構造解析※2という手法により3.2 Å(1 Å = 1×10-10 m)の解像度で決定し、その構造的基盤を明らかにしました。解析の結果、AACT1タンパク質はアルファベットのV字型をした構造をもち、細胞の外側に大きく開いた状態をとっていました。輸送体の中央には大きなくぼみが形成されており、その内側には一方に正電荷、他方に負電荷が分布していました(図1)。
クエン酸は負の電荷をもつため、この正電荷を帯びた領域に引き寄せられ、結合した後、細胞外へと輸送されると考えられました。加えて、くぼみの負に帯電した領域は、輸送体の動作に必要な正電荷をもつ水素イオンを引き付けている可能性も示されました。
この仮説を検証するため、クエン酸が結合すると考えられるアミノ酸を人為的に変異させたところ、その部位がクエン酸の効率的な輸送に不可欠であることが明らかになりました。さらに、理論化学計算によっても、その部位にクエン酸が結合することが裏付けられました。
細胞膜を介した物質の輸送は、生物学における基本的かつ重要な研究テーマです。本研究は、AACT1の立体構造を初めて明らかにしただけでなく、クエン酸の輸送において、構造中の正電荷および負電荷を巧みに利用する仕組みを示した、初の報告となりました。
なお、本研究の回折実験は、大型放射光施設SPring-8(BL41XU)にて実施しました。
<社会的な意義>
土壌の酸性化は、作物生産において世界的な課題であり、主な原因はアルミニウムのイオン化による植物根への吸着と、それに伴う成長阻害です。
一方で、植物は進化の過程でアルミニウム耐性を獲得し、酸性土壌に適応してきました。AACT1タンパク質のように、アルミニウム耐性に関与するタンパク質の立体構造と機能の詳細を解明することは、酸性土壌でも健全に育つ作物の開発に直結する重要なステップです。
この知見は、農業の持続可能性向上や食糧安全保障の強化に資するものであり、今後の品種改良や農地利用の最適化において大きな社会的意義を持つといえます。
■研究資金
本研究は、日本学術振興会・科学研究費補助金「特別推進研究」(課題番号:JP16H06296)、「基盤研究S」(課題番号:JP21H05034)、「基盤研究B」(課題番号:JP23K27143)、JST・創発的研究支援事業JPMJFR230W、日本学術振興会・論博事業等の支援を受けて実施しました。
【用語解説】
※1. 酸性土壌
土壌中の水素イオン濃度を示す指標であるpHにおいて、7.0より小さいものを酸性、7.0を中性、7.0より大きいものをアルカリ性と定義される。土壌のpHが5.5以下になると、土壌中のアルミニウムがイオン化して溶出し、土壌微生物の活動や作物の生育に悪影響を及ぼす。日本の土壌の多くは黒ボク土であり、アルミニウムを多量に含むことに加え、多雨な気候のためにカルシウムやマグネシウムといった塩基が雨水によって流亡しやすく、酸性化が進行しやすい特徴がある。このような背景から、酸性土壌は日本における農作物の生産を制限する重要な要因の一つとなっている。
※2. X線結晶構造解析
原子と原子との結合距離は1 Å(1 Å = 1×10–10 m)程であり可視光(400-800×10–9 m)よりもはるかに短いため、光学顕微鏡で拡大して観察することができない。このため、分子の形を詳細に観察するために、分子を結晶化して可視光よりも波長の短いX線を照射することで立体構造を決定するX線結晶構造解析という手法が用いられている。
本件に関するお問い合わせ先 |
本件に関するお問い合わせ先
岡山大学 学術研究院先鋭研究領域(異分野基礎科学研究所)
教授 菅 倫寛(すが みちひろ)
岡山大学 学術研究院先鋭研究領域(資源植物科学研究所)
教授 馬 建鋒(ま けんぼう)
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応力発光半導体でスピンドープ強磁性を発見
エネルギー関連材料の機能革新に大きく寄与
2025年8月7日
国立大学法人 佐賀大学
国立大学法人 東北大学
国立大学法人 筑波大学
国立大学法人 九州大学
高エネルギー加速器研究機構
J-PARCセンター
【発表のポイント】
●応力発光半導体に少数のスピンをドープして従来にないタイプの強磁性を発現した。
●磁気カップリングが通常隣接原子間しか存在しないという常識を超えた超長距離磁気カップリングの存在を観察した。
●従来磁性を示さない応力発光半導体に強磁性を付与したことで未踏の力・光・スピントロニクスに道を拓いた。
固体中の電子の電荷と、電子が持つ小さな磁石のような性質「スピン」の両方を工学的に利用、応用する「スピントロニクス」(注1)と呼ばれる分野において「希薄磁性半導体」(注2)が注目されています。一般的に、強磁性(注3)などをもたらす交換相互作用(注4)は隣接原子間距離程度の近接作用に限定されています(金属では伝導電子を媒介した別機構の磁性体の例外が存在する)。一方、相転移のユニバーサル理論であるパーコレーション理論(注5)は隣とのパス(磁気転移の場合は隣の磁性原子との結合に相当)が高密度に存在しなければ相転移しないと予測しており、量子スピン系の磁気転移でもこのパーコレーション理論が厳密に成立することを研究グループは最近実証しています(注6) |
【詳細説明】
研究の背景
一般的に、強磁性などをもたらす交換相互作用は、磁性を担う電子の波動関数が隣の磁性原子の電子の波動関数と重なり合うことで磁気モーメント間に相互作用が生じます。そのため、隣接原子間距離程度の近接作用に限定され、強磁性体となるには高濃度の磁性原子の存在が必要とされています。ところが、1992年に従来の理論に反する画期的な実験報告が大野英男氏(東北大前総長)らによって発表されました【Phys. Rev. Lett. 68 (1992): 2664.】。半導体物質(In,Mn)Asに数パーセントの磁性原子Mnを添加(ドープ)することにより、絶対温度7.5度以下の低温で磁気抵抗に変化が見られたことから、部分的な磁気転移が示唆され、希薄磁性半導体として知られるようになりました。その後、ZnO等の半導体において室温以上での希薄磁性の可能性が提唱され【Science 287 (2000): 1019】、一大ブームを成して今日に至っています。
しかし、真性半導体(注8)での希薄磁性の証明は30年以上の長い期間にわたっても達成されていません。希薄磁性の実験報告の殆どは不純物汚染に影響されやすい磁化測定結果をもとになされたものであり、電子顕微鏡などを用いた多くの微細構造研究は外因性不純物汚染の可能性を強く示唆しています(注9)。そのため、希薄磁性が本当にあるのか、その実在性が物性物理学を中心に強く疑問視されています。
一方、相転移のユニバーサル理論であるパーコレーション理論は隣とのパス(磁気転移の場合は隣接磁性原子との結合に相当)が高密度に存在しなければ相転移しないと予測しており、量子スピン系の磁気転移でもこのパーコレーション理論が厳密に成立することを研究グループは最近実証しています。
外因性不純物の影響を払拭するには先端量子ビームを用いた中性子回折(注10)とミュオンスピン分光(注11)が有効ですが、今までこれらの高信頼性実験手段による希薄磁性の実証は成功していません。
今回の取り組み
本研究は、素粒子の1種であるミュオンを利用した応力発光のメカニズム研究において、予期せずに真性希薄磁性を発見しました。ミュオンスピン分光という実験方法はもともと(小さな内部磁場しか作り出さない)希薄磁性の検出に最適な実験手段です。ミュオンのスピン緩和信号の大きさは測定試料中の磁性相の体積分率に比例します。そのため、微量外因性不純物汚染があってもその影響を完全に払拭できます。本研究は、代表的な応力発光物質EuxSr1-xAl2O4 (x = 0.2−2%)において、4化学結合原子以上の距離にわたる超長距離磁気カップリング(注12)の存在を明らかにした上、強磁性相に転移することを発見しました(図1)。
更に、光を照射しながら行った磁化測定実験によって希薄磁性の発現機構にポーラロン(注13)が関わっていることを明らかにしました(図2)。
この光照射効果は同時に、光による希薄磁性半導体の制御ができることを示しています。本研究は、希薄磁性の存在を実証した点が高く評価されました。さらに、本研究によって発見された強磁性応力発光半導体では微量の添加希土類原子が同時に発光性と磁性を担うことから、本研究は機械的な力・光・スピントロニクスの相互制御と多元エネルギー変換という未踏技術に道を拓くものとして評価されます。
なお、本研究では、大型放射光施設SPring-8(BL02B1およびBL41XU)を利用して測定実験を行っています。
【今後の展開】
本研究成果は、少数のスピンを希薄ドープすることにより超長距離磁気カップリングが発生し、強磁性が実現されることを初めて明確に実証したものです。基礎物理学への貢献とともに、応力発光半導体でのスピンドープ強磁性実現により、機械的な力・光・スピントロニクスの相互制御と多元エネルギー変換という未踏技術に道を拓きました。現時点での強磁性発現が低温に限られていますが、図1の磁気カップリングがひと桁以上、高い温度まで続いていることから予想できるように、ポーラロン密度を増やす等の構造制御によって転移温度の大幅向上が可能です。量子工学などの研究への波及効果が見込まれ、新しいエネルギー変換デバイスや電子機器の開発への応用が期待されます。
【謝辞】
本研究はJSPS科研費(19H00835、22H00269、25H00790、20K20912、23K22799、24H00415、21H05235)の助成を受けました。また、本研究では、九州大学低温センター、高輝度光科学研究センター大型放射光施設SPring-8(課題番号: 2020A0068(BL02B1)、 2024A1003(BL41XU)、2024B1006(BL41XU))、J-PARC物質・生命科学実験施設(MLF)(ミュオンビームラインS1、課題番号:2022B0190、2023A0209)を利用して測定実験を行いました。また、掲載論文は東北大学「2025年度オープンアクセス推進のためのAPC支援事業」によりOpen Accessとなっています。
【研究者】
代表者:佐賀大学理工学部 教授 鄭旭光、東北大学大学院工学研究科 教授 徐超男(論文共同責任著者)
分担者や協力者:佐賀大学理工学部 山内一宏准教授、筑波大学 数理物質系/エネルギー物質科学研究センター/高等研究院 ホウ化水素研究センター 西堀英治教授、Tomasz Galica助教(当時)、九州大学大学院工学研究院 河江達也准教授、高エネルギー加速器研究機構 物質構造科学研究所 ミュオン科学研究系 幸田章宏教授、中村惇平技師
【用語説明】
注1. スピントロニクス
固体中の電子が持つ電荷とスピンの両方を工学的に利用、応用する分野のこと。スピンとエレクトロニクス(電子工学)から生まれた造語です。
注2. 希薄磁性半導体
化合物半導体の結晶内の原子のわずかな分量を、磁性を持つ原子(鉄、マンガン、クロムなど)で置換した磁性半導体。磁性を持たせることができます。
注3. 強磁性
強磁性体の中では、原子の中の電子がもつ小さな磁石のような性質(スピンと呼ばれる)が、同じ方向にそろいやすくなり、全体として強い磁場を発生させます。この性質により、強磁性体は外部からの磁場がなくても磁気を持つことができ、冷蔵庫の磁石などの身近な磁石がその例です。
注4. 交換相互作用
磁性を担う電子の波動関数が隣の磁性原子の電子の波動関数と重なり合うことで、磁気モーメント間に相互作用が生じることを指します。
注5. パーコレーション理論
浸透理論とも言います。スポンジへの水の浸透や、伝染病の感染等の普遍現象を単純化したモデルで、その浸透率、感染率(確率)に応じて、ある値を境に様相が一変するという現象(臨界現象)が起きる。その値(臨界確率、閾値)がいくつなのかという問題を考えた理論。
注6. 東北大・佐賀大等2024年11月28日共同プレスリリース
https://www.saga-u.ac.jp/koho/education/2024112835140
注7. 応力発光
材料が受けた力学的なエネルギーに相関して繰り返し発光する現象のこと。1990年代に徐超男教授らによって提唱されました。
注8. 真性半導体
真性半導体とは、不純物を一切加えていない純粋な状態の半導体を指します。この純粋な半導体は、半導体科学における基礎材料であり、数々の応用技術の出発点となっています。
注9. 外因性不純物汚染の可能性を強く示唆しています
例えば、解説論文Journal of Physics D: Applied Physics 50 (2017): 393002;https://doi.org/10.1088/1361-6463/aa801f
注10. 中性子回折
結晶による中性子線の回折現象を利用して、物質の結晶構造や磁気構造の解析を行う手法。
注11. ミュオンスピン分光
ミュオンのスピン軸に対し非対称に放出される陽電子の検出を利用して、ミュオンスピンの運動を観測する手法であり、物質内部の磁場を探索するための物性手法の一つとして広く利用されています。中性子回折よりずっと小さい磁気モーメントを敏感に検出できることが特徴。
注12. 超長距離磁気カップリング
2つの磁性原子が関係し合っている状況を磁気カップリングと言います。金属で自由に動く伝導電子の働きによって強磁性をもたらす長距離磁気カップリングが知られています。超長距離磁気カップリングは本研究によって定義された科学用語で、伝導電子が無い絶縁体で強磁性をもたらす4化学結合原子以上にわたる磁気カップリングを指しています。
注13. ポーラロン
固体中の電子と原子の間の相互作用を記述するために用いられる準粒子。結晶格子と強く関わりを持つ電子をひとつの仮想的な粒子とみなしたもの。
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(研究に関すること)
佐賀大学理工学部 教授 鄭 旭光(東北大学大学院工学研究科特任教授)
(報道に関すること)
佐賀大学 広報室 広報企画担当
TEL: 0952-28-8407 Email: sagakohomail.admin.saga-u.ac.jp
東北大学大学院工学研究科 情報広報室
TEL: 022-795-5898 Email: eng-prgrp.tohoku.ac.jp
筑波大学 広報局
TEL: 029-853-2040 Email: kohosituun.tsukuba.ac.jp
九州大学 広報課
TEL: 092-802-2130 Email: kohojimu.kyushu-u.ac.jp
高エネルギー加速器研究機構広報室
TEL: 029-879-6047 Email: presskek.jp
J-PARCセンター 広報セクション
TEL: 029-287-9600 Email: pr-sectionml.j-parc.jp
(SPring-8 / SACLAに関すること)
公益財団法人高輝度光科学研究センター
利用推進部 普及情報課
TEL:0791-58-2785 FAX:0791-58-2786
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木材が曲がる瞬間をナノ・ミクロの世界で初めて観察!
―放射光で明かされたマルチスケール構造変化―
2025年7月25日
京都大学
【研究のポイント】
・木材にマクロな変形を与えたときのミクロ・ナノ構造の変化の検出に世界で初めて成功した。
・木材の曲げで生じる引張・圧縮ひずみに伴うミクロクラック発生・細胞圧密がそれぞれ検出された。
・引張・圧縮ひずみに伴うセルロースミクロフィブリル※1の間隔の増加・減少がそれぞれ検出された。
木材を大きく曲げると、肉眼では見えないナノ~ミクロスケールの構造にどのような変化が起きるのでしょうか。この度、京都大学生存圏研究所の田中聡一助教・今井友也教授、京都府立大学大学院生命環境科学研究科の神代圭輔准教授、産業技術総合研究所マルチマテリアル研究部門の堀山彰亮研究員らの研究グループは、大型放射光施設「SPring-8」で行った小角X線散乱(SAXS)と広角X線回折(WAXD)による「その場観察」で、木材が曲がる瞬間のナノ・ミクロ構造の変化を世界で初めて捉えました。木材を曲げると、凸側(外側)は引っ張られて伸び、凹側(内側)は圧縮されて縮みます。得られたSAXSデータをフィンランド・Aalto大学(現Jyväskylä大学)のPenttilä博士が開発した「WoodSASモデル※2」で解析した結果、引っ張られた外側では微小なクラック(ひび割れ)が発生し、圧縮された内側では細胞が圧密化(細胞が密集して密度が高くなる現象)することが検出されました。同時に、細胞壁を構成するセルロースミクロフィブリル同士の距離(数ナノメートル)が、引っ張られることで広がり、圧縮されることで狭まることも検出されました。この成果は、外力によって木材のナノ・ミクロ構造を制御する新たな可能性を示すものであり、革新的な木質系材料の開発や木材加工技術の向上に貢献するとともに、地球上最大規模のバイオマス資源である木材のさらなる有効活用にもつながると期待されます。 |
【背景】
木材は、目に見える大きさから顕微鏡でしか見えないナノレベルまで、非常に複雑な階層的構造を持っています。この多様な構造が木材の強度や柔軟性といった機械的性質を決めています。木材を効率的に加工することに加え、優れた性能をもつ木質系材料を開発するためには、これらの構造が変形時にどのように変化するかを詳しく理解することが重要です。しかし、これまでの研究では、マクロな変形に伴うナノ~ミクロスケールの構造変化を同時に直接観察することが困難でした。
一方で、近年では放射光施設を利用したX線による散乱・回折測定(SAXS/WAXD)が材料科学分野で広く用いられており、木材の微細な構造解析にも利用されています。この技術ではオングストロームから数百ナノメートルオーダーの構造解析が可能であるとされてきました。しかし、SAXSやWAXDにはそれらの構造が集まってできたより大きなミクロンオーダーの構造までが全て影響します。近年、フィンランド・Aalto大学(現Jyväskylä大学)のPenttilä博士らは木材のSAXSのデータより構造情報を求める「WoodSASモデル」を提案し、このモデルが木材のナノ~ミクロ構造変化を適切に評価できることを明らかにしました。そこで、本研究では、SAXS/WAXD測定を木材が変形している最中に行い、SAXSのデータをWoodSASモデルで解析することで、マルチスケールな階層構造がどのように変化するかを明らかにすることを目的としました。
図1. 木材のマクロな曲げ変形とそれに伴うミクロ構造・ナノ構造の変化
【研究の成果】
SPring-8のBL40B2ビームラインの高輝度X線を用いて、飽水状態※3の木材に曲げ変形を与えながらSAXS/WAXD同時測定を行い(図1)、木材中のナノ~ミクロ構造のその場観察を行いました。そのために、水中で木材を曲げながらX線を通す特殊な治具を作製してSPring-8に持ち込みました。木材を曲げると、凸側(外側)は引っ張られて伸び、凹側(内側)は圧縮されて縮みます。得られたSAXSデータから引張と圧縮によって細胞の形状が変化することが示唆されました。また、SAXSデータをWoodSASモデルで解析することにより、細胞壁を構成するセルロースミクロフィブリルどうしの距離が引張によって増加し、圧縮によって減少することが示唆されました。さらに、圧縮による圧密化の際に細胞壁が折りたたまれることが示唆され、引張によって微小なクラックが生成することも示唆されました。一方、WAXDのデータから評価されるセルロース結晶の格子間隔や結晶サイズに大きな変化は認められませんでした。これらのことから、十分に水分を含んだ木材の変形は、主にセルロースミクロフィブリル周辺のマトリクス成分※4が担うことが示唆されました。
【研究の意義と今後の展開や社会的意義など】
本研究によって、木材が曲げられた際のナノ~ミクロスケールでの構造変化を世界で初めて詳細に検出できました。一方で、今回用いた解析モデルには木材の構造を反映しきれていない部分も残っています。今後、一層データを蓄積して新たなモデルを構築することで、検出精度を向上させるだけでなく未知の構造変化を明らかにしていくことが課題です。
この研究は、木材をナノ・ミクロスケールで制御する新技術につながる可能性があり、次世代の革新的な木材加工技術や新素材の開発への応用が期待されます。今後は、さらに多くの樹種や加工条件について構造変化を詳しく調べることで、木材利用の新たな可能性を広げていきます。
【研究助成】
京都大学生存圏研究所のミッション4・生存圏科学研究およびJSPS科研費(課題番号25K02072)の支援を受けて実施されました。
【用語解説】
※1. セルロースミクロフィブリル
木材細胞壁の主成分で、強度や柔軟性を与えるナノスケールの繊維状構造。
※2. WoodSASモデル
フィンランドのPenttilä博士が開発した、SAXSデータから木材の構造を解析するためのモデル。
※3. 飽水状態
木材が水分を最大限に含んだ状態で、細胞内腔(細胞内部の空間)がすべて水で満たされ、細胞壁が十分に膨潤し、それ以上水を吸収できない状態。
※4. マトリクス成分
セルロースミクロフィブリル間を埋めるヘミセルロースやリグニンなどの物質。
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(研究に関するお問い合わせ先)
京都大学生存圏研究所 助教 田中 聡一
(報道に関するお問い合わせ先)
京都大学広報室国際広報班
TEL:075-753-5729 FAX:075-753-2094
E-mail:commsmail2.adm.kyoto-u.ac.jp
(SPring-8 / SACLAに関すること)
公益財団法人高輝度光科学研究センター
利用推進部 普及情報課
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新鉱物・アマテラス石の発見
―日本の国石「ヒスイ」から見つかった新種の鉱物―
2025年8月7日
東京大学
山口大学
高輝度光科学研究センター
京都大学
リガク・ホールディングス株式会社
発表のポイント
◆日本の石文化を象徴する国石「ヒスイ」から発見された新鉱物。
◆日本神話に登場する天照大神の名を冠して「アマテラス石」と命名。
◆ヒスイに対する新たな視点を提供し、結晶学的な理論と観察をつなぐ実例としても注目。
図1. アマテラス石(黒緑色部)を含む鉱物集合体(褐色部はルチル、あんず色部はタウソン石)。画像幅は約2mm。
東京大学物性研究所の浜根大輔技術専門職員、山口大学大学院創成科学研究科の永嶌真理子若手先進教授、高輝度光科学研究センターの森祐紀研究員、京都大学大学院理学研究科の下林典正教授、リガク・ホールディングスのグループ会社である株式会社リガクの松本崇グループマネージャー、アマチュア鉱物研究家の大西政之氏と田邊満雄氏からなる研究チームは、日本鉱物科学会により日本の「国石」に選定されている「ヒスイ」の中から、新種の鉱物(新鉱物)を発見しました。 |
発表内容
研究の背景
ヒスイは、その堅牢で緻密な性質から道具として、またその美しさから装飾品や宝石として、古代より人々に用いられてきました。日本におけるヒスイの利用は、世界最古のヒスイ文化としても知られています。鉱物・岩石学的に見ると、ヒスイはプレートの沈み込み帯(注2)、すなわち日本列島の深部のような特殊な環境でのみ形成される、地球の活動を物語る希少な岩石です。こうした文化的・科学的な重要性から、ヒスイは2016年に日本鉱物科学会により日本の「国石」に選定されました(注3)。
ヒスイはヒスイ輝石という鉱物で主に構成される岩石ですが、ヒスイの中に少量含まれる鉱物はストロンチウム(Sr)やチタン(Ti)に富む組成を示すことが知られています。このような特徴に着目した研究によって、これまでにヒスイから蓮華石や松原石が新鉱物として発見されてきました(注4)。これらは長らく、新潟県糸魚川地域のヒスイに特有の鉱物と考えられてきましたが、研究チームは岡山県大佐山地域のヒスイからも同様の鉱物が産出することを確認しました。さらに大佐山地域のヒスイには、未知の鉱物が複数含まれていることも明らかとなりました。そのうちの一つが、このたび新鉱物として承認されたアマテラス石です(図1)。
アマテラス石とは
新種の鉱物として認定されるには、既知の鉱物とは化学組成または結晶構造、あるいはその両方において明確な違いが求められます。アマテラス石は、化学組成・結晶構造のいずれにおいても新規性を有しており、基準を十分に満たしていたことで、国際鉱物学連合の新鉱物・命名・分類委員会によって新鉱物として承認されました。
アマテラス石の理想化学組成は「Sr4Ti6Si4O23(OH)Cl」で表され、ストロンチウムとチタンに加え、ケイ素(Si)、酸素(O)、水素(H)、塩素(Cl)が主成分です。この元素比率は、これまでに報告されたどの鉱物にも見られない独自のものであり、全く新しい形成反応の存在を示唆します。
鉱物は、地質作用の産物でもあります。すなわち、新鉱物の発見は、未知の地質環境や作用の存在を示すものでもあります。従来、ヒスイは沈み込み帯で形成されることが知られていましたが、その中からアマテラス石のような新鉱物が見つかったことは、ヒスイの成因や進化を考察するうえで新たな視点を提供します。
アマテラス石の結晶構造は、大型放射光施設SPring-8(注5)のビームラインBL02B2を用いた粉末X線回折実験と、山口大学所有のリガク社製ハイエンド単結晶構造解析装置「Synergy-DW」により詳細に解析され、高精度で決定されました。
その結果、アマテラス石の結晶構造には特筆すべき特徴があることがわかりました。それは、単位胞(ユニットセル)に異なる2種類の構造要素を同時に含むという、いわば二面性をもつことです(図2)。アマテラス石の結晶構造はこれまで理論的に予測されてはいたものの、実際に観察されたのは今回が初めてです。この成果は、実在する結晶構造の多様性に対する理解を大きく前進させるものとなりました。
このようにアマテラス石は、新鉱物としての鉱物学的な価値に加え、ヒスイに対する新たな視点を提供し、結晶学的な観点からは理論と観察の橋渡しとなる重要な実例ともなり、多方面にわたって意義のある存在です。
命名の経緯
アマテラス石は、日本の国石であるヒスイから発見された新鉱物であり、二面性を示す特異な結晶構造を有しています。その命名にあたっては、こうした背景を踏まえた検討が行われました。
最終的に、日本神話に登場する天照大神の名が候補として挙げられました。天照大神は日本を象徴する存在であり、象徴性という点で日本の国石であるヒスイと重なります。また、神霊が持つ「荒魂」と「和魂」という二面性は、鉱物に見られる結晶構造の二面性に通じます。こうした要素を総合的に踏まえ、日本の石文化への敬意もこめて、新鉱物は「アマテラス石(学名:Amaterasuite)」と命名されました。この名称は、国際鉱物学連合の新鉱物・命名・分類委員会により正式に承認されています。
発表者・研究者等情報
東京大学物性研究所
浜根 大輔 技術専門職員
山口大学大学院創成科学研究科
永嶌 真理子 若手先進教授
高輝度科学研究センター
森 祐紀 研究員
京都大学理学研究科
下林 典正 教授
株式会社リガク
アプリケーションラボ ライフサイエンスグループ
松本 崇 グループマネージャー
アマチュア鉱物研究家
大西 政之
田邊 満雄
研究助成
本研究は、文部科学省(MEXT)先端研究基盤共用促進事業(課題番号JPMXS0440400024)による共用研究設備を使用し、日本学術振興会補助金(課題番号23K03551)(代表者:永嶌真理子)によって支援されています。
【用語解説】
(注1)新鉱物の審査:
鉱物の新種(新鉱物)は論文での発表に先立って、国際鉱物学連合(International Mineralogical Association)の新鉱物・命名・分類委員会(Commission on New Minerals, Nomenclature and Classification)において審査され、その承認を得る必要があります。
(注2)沈み込み帯:
ふたつのプレートが衝突して、片方が片方の下に滑り込む場所。本文では海洋プレートが大陸プレートの下に沈み込む場所を意図しています。
(注3)国石:
2016年、一般社団法人日本鉱物科学会は、日本で広く知られ、国内に産する美しい石であり、鉱物科学のみならずさまざまな分野でも重要性を持つ石である「ヒスイ」を、国石として選定しました。
(注4)蓮華石と松原石:
いずれも、かつて糸魚川産のヒスイから発見された新鉱物です。蓮華石(学名:Rengeite)は、産地近くの蓮華山とヒスイを含む蓮華変成帯にちなんで名づけられています。松原石(学名:Matsubaraite)は、鉱物学者・松原聰氏にちなんで名付けられました。
(注5)大型放射光施設SPring-8:
理化学研究所が所有する兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高性能の放射光を生み出す大型放射光施設で、利用者支援等は高輝度光科学研究センター(JASRI)が行っています。SPring-8(スプリングエイト)の名前はSuper Photon ring-8 GeVに由来。SPring-8では、放射光を用いてナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究が行われています。
本件に関するお問い合わせ先 |
本件に関するお問い合わせ先
【研究内容に関すること】
東京大学 物性研究所 技術専門職員
浜根 大輔(はまね だいすけ)
山口大学 創成科学研究科 若手先進教授
永嶌 真理子(ながしま まりこ)
【広報担当窓口】
東京大学 物性研究所 広報室
Tel:04-7136-3207
E-mail:pressissp.u-tokyo.ac.jp
山口大学 総務企画部総務課 広報室
Tel:083-933-5007
E-mail:sh011yamaguchi-u.ac.jp
高輝度光科学研究センター(JASRI)利用推進部 普及情報課
Tel:0791-58-2785
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京都大学 広報室 国際広報班
Tel:075-753-5729
E-mail:commsmail2.adm.kyoto-u.ac.jp
(SPring-8 / SACLAに関すること)
公益財団法人高輝度光科学研究センター
利用推進部 普及情報課
TEL:0791-58-2785 FAX:0791-58-2786
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- 投稿者: Super User
- カテゴリ: プレスリリース
- 参照数: 410
ヒメダイヤの新たな応用:蛍光X線ホログラフィーの高圧下での測定に成功
~特定元素周りの原子位置の3次元的可視化~
2025年7月19日
愛媛大学
広島大学
名古屋工業大学
広島市立大学
高エネルギー加速器研究機構
高輝度光科学研究センター
島根大学
奈良先端科学技術大学院大学
【研究成果のポイント】
・ 蛍光X線ホログラフィーは特定元素周りの3次元的な原子配置を可視化する構造解析手法。しかし、そのシグナルが微弱なため、高圧下の測定はできていなかった。
・ 大型放射光施設SPring-8の強力な次世代X線、ダイヤモンドアンビルセルおよびナノ多結晶ダイヤモンド(NPD=ヒメダイヤ)を組み合わせた測定システムを構築して高圧下の測定に初めて成功した。
・ NPDからの回折X線をX線吸収フィルターで除去し、SrTiO3単結晶からのホログラフィー像を13.3 GPa(1 GPaは約1万気圧)の高圧まで明瞭に観測した。
・ 常誘電体SrTiO3(チタン酸ストロンチウム)単結晶試料のSr周りの原子配置と加圧による圧縮過程を可視化した。
・ 圧力誘起の構造相転移の前駆現象の観測、原子間距離をコントロールした時のドープ元素の挙動など物質科学、材料科学に関わる研究トピックへの応用が期待される。
・ 多結晶性超硬材料であるNPDの新しい活用例となった。
愛媛大学先端研究院地球深部ダイナミクス研究センター(GRC)の石松直樹教授、入舩徹男教授、広島大学大学院先進理工系科学研究科のZhan Xinhuiさん(博士課程)、中島伸夫准教授、名古屋工業大学物理工学類の木村耕治准教授、林好一教授、広島市立大学情報科学研究科の八方直久准教授などからなる研究チームは、蛍光X線ホログラフィー(※1)の13.3 GPaまでの高圧下測定に初めて成功しました。
論文情報 |
【詳細】
研究の背景:
物質の元素の組成をわずかに変えるだけで材料特性が変わることはよく起こります。近年のナノテクノロジーでは原子レベルでの調製を経て優れた機能性材料が生み出されています。一方、この材料特性を理解するために、あるいはその機能性をより高度化・高性能化するために、「得られた特性・機能に関わっているのは材料のどの部分なのか、を原子レベルで明らかにしたい」という要望が高まっています。このようなニーズに応える放射光実験手法として、任意の元素を対象にできる広域X線吸収微細構造(EXAFS)や蛍光X線ホログラフィーが挙げられます。EXAFSはX線吸収元素を中心とした動径方向、つまり一次元に投影された原子配置が得られます。これに対し、蛍光X線ホログラフィーはX線吸収元素を中心とした三次元の原子配置を与える優れた特長があります。原子間距離を自在にコントロールできる高圧と蛍光X線ホログラフィーを組み合わせれば、原子レベルの構造可視化に「圧力」という新たなパラメーターを加えることができ、材料科学や物性研究にとって蛍光X線ホログラフィーはより重要な手法となるはずです。
研究内容と成果:
しかし蛍光X線ホログラフィーは試料からの蛍光X線強度に対して0.1%程度にしかならない微弱な散乱シグナルを抽出する必要があるため、高圧下での測定は簡単ではありません。それは、常圧での実験では不要な高圧発生装置による邪魔(ノイズ)が発生するためです。例えば、高圧発生装置であるDACの素材として利用される一般的な単結晶ダイヤモンドは、試料からの蛍光X線を光源とする擬コッセル線を発生させます(※5)(図2a)。これが強いノイズとなって試料からのホログラム像を完全に打ち消すため、高圧下での蛍光X線ホログラフィー測定は実現していませんでした。
そこで、本研究チームはナノ多結晶体のダイヤモンド(NPD)をアンビルとして用いることで擬コッセル線の除去を試みました。図2bに示すように今回試料とした常誘電体単結晶試料SrTiO3(※6)のSrからの蛍光X線によるホログラム像が鮮明に観測されました。このホログラム像ではSrTiO3試料の単結晶性に由来するコッセル線(※5)も観測されています。一方、NPDは擬コッセル線を発生しない代わりにその多結晶性から、 粉末回折パターン(※7)を試料のホログラム像に重畳させます。このノイズを取り除くために、イットリウム(Y)金属箔を粉末回折パターンの除去フィルターとして二次元検出器の前に設置しました(図1)。この結果、図2cと図2dに示すように試料SrTiO3のみの明瞭なホログラム像とコッセル線の抽出に13.3 GPaまでの高圧下で成功しました。この時、金属箔を揺動させることで箔の均質性を高めることもノイズ除去に重要だと分かりました。
13.3 GPaの最大圧力まで得られたホログラム像からは、圧力を加えるに従って結晶格子が収縮することに伴う連続的な変化が観測されました。得られたホログラムを全球のホログラム像に拡張し、これをフーリエ変換することで得た1.3 GPaでのSr原子周りの原子配置を例として図3に示します。このように高圧下においてある一つのSrの周辺のTi原子や別のSr原子の配置を明瞭に観測することに成功しました。
多結晶の超硬材料であるNPDは天然単結晶ダイヤ特有のノイズを発生しないために、高圧下のX線吸収分光測定において優れた特性を発揮します。そのためSPring-8や欧州放射光施設(ESRF)のような世界の主要な放射光施設で利用されています。今回の結果は、同じX線分光技術の一つである蛍光X線ホログラフィーの実験においてもNPDの優れた材料特性が生かせることを示した成果といえます。
今後の展開:
超伝導状態の発現に関連する圧力誘起の構造相転移の前駆現象の観測、特徴的な物性に寄与する極微量添加元素(ドープ元素)における原子間距離をコントロールした時の挙動といった、物質科学、材料科学への広い応用が期待されます。今回の高圧下蛍光X線ホログラフィー測定の成功は「得られた特性・機能に関わっているのは材料のどの部分なのかを原子レベルで可視化したい」というこれまでの研究目的をさらに発展させることができ、「材料の局所構造がどのような変形を受けた場合に機能が発現するか?」という、より高度化したニーズにも応えられます。今後、測定可能な圧力領域を100 GPa以上の超高圧下に拡張できれば、圧力誘起超伝導物質や惑星内部の構成物質の再現など、常圧では想像できない現象に対して原子レベルの構造観測も可能となるかもしれません。
この成果は愛媛大学先端研究院地球深部ダイナミクス研究センター 石松直樹、新名亨、入舩徹男、広島大学大学院先進理工系科学研究科 Zhan Xinhui、中島伸夫、名古屋工業大学物理工学類 木村耕治、林好一、広島市立大学情報科学研究科 八方直久、熊本大学産業ナノマテリアル研究所 Halubai Sekhar、高エネルギー加速器研究機構(KEK)物質構造科学研究所 佐藤友子、高輝度光科学研究センター 河村直己、東晃太朗、関澤央輝、門林宏和、田尻寛男、兵庫県立大学理学研究科 江口律子、岡山大学異分野基礎科学研究所 久保園芳博、島根大学材料エネルギー学部 細川伸也、奈良先端科学技術大学院大学先端科学技術研究科 松下智裕の共同実験として実施されました。
【研究助成】
日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業・学術変革領域研究(A)「超秩序構造が創造する物性科学」、課題番号:20H05878、20H05879、20H05881、20H05884、21H05567、21H05569、23H04117
科学技術振興機構(JST)「科学技術イノベーション創出に向けた大学フェローシップ創設事業」、課題番号:JPMJFS2129
SPring-8一般利用課題、課題番号:2022A1011、2022B1022、2023A1022、2023B1520、2024A1277
【用語解説】
※1. 蛍光X線ホログラフィー
ホログラフィーは物体を三次元的に可視化する光学技法であり、紙幣やクレジットカードの偽造防止など身の回りで活用されている。物体に散乱された光(物体波)と散乱されずに通過した光(参照波)との干渉パターンを記録したものはホログラムと呼ばれ、得られたホログラムに光を照射すると、元の物体があたかもそこにあるかのような三次元像を再生することができる。蛍光X線ホログラフィーは、この技術をX線に適用して原子レベルの像再生に応用したものである。蛍光X線発生原子から球面波として発する蛍光X線(参照波)を周辺原子が物体波として散乱した時、参照波と物体波の干渉パターンがホログラフィー像となる。
※2. 大型放射光施設SPring-8
理化学研究所が所有する兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高性能の放射光を生み出す大型放射光施設で、利用者支援等は高輝度光科学研究センター(JASRI)が行っている。SPring-8(スプリングエイト)の名前はSuper Photon ring-8GeVに由来。SPring-8では、放射光を用いてナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究が行われている。
※3. ダイヤモンドアンビルセル
上下一対のダイヤモンドで試料を挟み込み高圧を発生する装置。試料を加圧するダイヤモンド先端の平らな部分をキュレットと呼び、キュレット径を選択することで数十万気圧から数百万気圧の高圧実験が可能となる。可視光とX線に対して透明なダイヤモンドの性質を利用して各種光学測定、放射光実験の高圧下測定に広く利用されている。
※4. ナノ多結晶ダイヤモンド
愛媛大学GRCと住友電工との共同研究によって生み出された超高硬度ナノ多結晶ダイヤモンド(NPD)。「ヒメダイヤ」とも呼ばれる。約10ナノメーター(1ナノメーターは百万分の1ミリメートル)のダイヤモンド微粒子が 固く結合したもので、世界で最も硬いダイヤモンドとして知られる。X線吸収や中性子回折の高圧実験において優れたアンビル素材としても活用されている。
※5. コッセル線と擬コッセル線
試料が長周期構造を持つ単結晶の場合、散乱原子が周期的に配列しているため特定の方位のホログラム像は参照波と物体波の干渉がブラッグの条件を満たし、蛍光X線ホログラムの強度に比べて数十~数百倍の強度をもった回折X線が測定されるホログラム像となる。この回折X線は線状のイメージとして記録され、コッセル線という。擬コッセル線もコッセル線と同様に発散X線を光源(参照波)とした回折像であるが、発散X線の発生源と試料が有意に離れている場合に擬コッセル線という。高圧下の蛍光X線ホログラフィーの場合は、SrTiO3試料からの蛍光X線が参照波となり、その直上にある単結晶ダイヤモンドアンビルが物体波を生じ、その周期性から擬コッセル線が発生する。
※6. SrTiO3
チタン酸ストロンチウム。よく知られた常誘電体試料の一つ。常温常圧下では立方晶を取るが、低温下あるいは高圧下では正方晶に相転移する。良質な単結晶が得られることから薄膜形成での基盤材料として広く使われる。これらの性質から今回の実験試料として選択した。
※7. 粉末回折パターン
結晶などの原子が規則正しく配列した物質にX線が入射したとき、原子によって散乱されたX線がお互いに干渉して特定の方向で強め合ったり弱め合ったりする回折現象が知られる。これはX線の波としての性質によるものである。いろいろな結晶方位を持つ粉末試料や多結晶試料においては、X線が回折すると結晶方位のランダム性からリング状の回折像が得られる。これが粉末回折パターンとなる。
問い合わせ先 |
問い合わせ先
(研究成果に関すること)
愛媛大学先端研究院地球深部ダイナミクス研究センター
教授 石松 直樹
名古屋工業大学物理工学類
准教授 木村 耕治
(プレスリリースに関すること)
愛媛大学
総務部広報課
TEL: 089-927-9022 E-mail: kohostu.ehime-u.ac.jp
先端研究院地球深部ダイナミクス研究センター(GRC)
TEL: 089-927-8165 E-mail: grcstu.ehime-u.ac.jp
広島大学
広報室
TEL: 082-424-3749 E-mail : kohooffice.hiroshima-u.ac.jp
名古屋工業大学
企画広報課
TEL: 052-735-5647 Email:pradm.nitech.ac.jp
広島市立大学
事務局企画室企画グループ
TEL: 082-830-1666 E-mail: kikakum.hiroshima-cu.ac.jp
高エネルギー加速器研究機構(KEK)
広報室
TEL: 029-879-6047 E-mail:presskek.jp
島根大学
企画部企画広報課広報グループ
TEL: 0852-32-6603 E-mail: gad-kohooffice.shimane-u.ac.jp
奈良先端科学技術大学院大学
管理部企画総務課渉外企画係
TEL: 0743-72-5063 E-mail:s-kikakuad.naist.jp
(SPring-8 / SACLAに関すること)
公益財団法人高輝度光科学研究センター
利用推進部 普及情報課
TEL:0791-58-2785 FAX:0791-58-2786
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