放射光(X線)で小さなものを観察する大きな2つの施設

中途半端な価数の新化合物の物性・構造を明らかに
~物質の電磁気的性質の理解に役立つ発見~


2026年6月4日
大阪公立大学
高輝度光科学研究センター
理化学研究所


<概要>
日本、スロベニア、米国、ギリシャの国際共同研究チームは、炭素原子60個からなるフラーレン※1と金属との化合物において、フラーレンが-5価状態の場合の構造と物性を調べました。その結果、広い温度範囲で金属として振る舞うことが分かりました。本研究結果は、電子の振る舞いが複雑な物質の電気的・磁気的な性質を理解するのに役立ち、将来的には超伝導物質の設計指針につながることが期待されます。
本研究成果は、2026年5月26日に国際学術誌「Nature Communications」にオンライン掲載されました。


論文情報
発表雑誌:Nature Communications
論文名:Survival of the metallic state in a single-hole multiband p-orbital molecular system
著者:Keisuke Matsui, Ryan A. Klein, Naoya Yoshikane, John Arvanitidis, Matjaž Gomilšek, Urh Klopčič, Shogo Kawaguchi, Hitoshi Yamaoka, Nozomu Hiraoka, Hirofumi Ishii, Qiang Zhang, Shigeo Mori, Hiroki Ishibashi, Yoshiki Kubota, Craig M. Brown, Denis Arčon, Kosmas Prassides
DOI:10.1038/s41467-026-73095-z



図 “中途半端な価数”のフラーレン化合物の合成・結晶構造・電子構造

<ポイント>
①バリウム(Ba)以外の+2価の金属を用い、金属フラーレン化合物の構造と物性を調べた。
②フラーレンにドープ※2 できる金属元素のうち、原子の大きさが最も小さい希土類金属イッテルビウム(Yb)を用いることで、体積を小さくできた。また、その結晶構造の変化を観察することに成功した。
③物性については、超伝導は発現しなかったが、広い温度範囲で金属として振る舞うことが判明した。


松井 圭佑客員研究員

<研究者コメント>
この論文は私が博士前期課程在籍中に自力で着想し、博士後期課程まで続けた研究成果の一部です。『この方法ならうまくいくだろう』と考えて、予想通りになった事・まったく予想しなかった事の両方が含まれる、研究の面白さが凝縮されたテーマでした。未発見の新物質を自力で合成する物質科学の醍醐味を成果として発表でき、大変うれしく思います。


<研究の背景>
60個以上の炭素原子が集まってできるフラーレンという分子は、ボール型の構造をしており、さまざまな性質があります。例えば、固体のフラーレンC60とアルカリ金属を高温で反応させると、結晶の間隙にアルカリ金属が入っていく現象であるドーピング※3インターカレーション※4が起きます。このとき、アルカリ金属は電子を周りに渡しやすい性質になり、フラーレンは電子を受け取りやすい性質になるため、アルカリ金属からフラーレンに電子が移動します。これを電荷移動といい、アルカリ金属をたくさんドープすると、フラーレンが持つ電子の数も増えます。
このような金属とフラーレンの化合物は超伝導を示すなどの性質があります。ドーパント※5の大きさ・価数・数によって結晶構造と物性が劇的に変化することから、発見以来30年以上にわたり研究が続けられてきました。C60は12個まで電子を受け取ることができ、どの価数がどのような性質を示すのか、大まかには調べられてきましたが、組成式A5C60で表される物質が存在しないため、-5価状態のC60からなる金属フラーレン化合物はこれまでほとんど研究されてきませんでした。しかし、アルカリ土類金属のバリウム(Ba)と一緒にドープすることで、唯一Ba2AC60という物質のみ-5価状態を実現できていました。ただし、金属フラーレン化合物では、価数が同じでも結晶の体積が変わると物性も変化することが知られています。Ba2AC60は体積がアルカリ金属の大きさによってほとんど変化しないため、-5価状態のフラーレンの詳しい物性は明らかになっていませんでした。


<研究の内容>
本研究では、Ba以外の+2価の金属を用い-5価状態のC60からなる金属フラーレン化合物の構造および物性を調べました。フラーレンにドープできる金属元素は化学的性質から数種類に限られているため、その中で原子の大きさが最も小さい希土類金属イッテルビウム(Yb)をBaの代わりに用いることで体積の制御範囲を拡大できると考えました。その結果、体積を小さくするという目的が達成でき、同時に予想していなかった結晶構造の変化も観察されました。これは、大型放射光施設SPring-8※6のビームラインBL02B2における放射光粉末回折実験やOak Ridge National Laboratoryにおける中性子回折実験により、C60分子の五員環※7がYb原子の方を向いており、同時にC60分子が結晶軸から少し傾いた状態であることが明らかになりました。
また、SPring-8のビームラインBL12XUにおけるX線吸収分光法により、ドープしたYbの価数は室温でほぼ純粋な+2であることが明らかになりました。他の希土類フラーレン化合物においては+2.2程度の“中途半端な価数”を取ることが知られていることから、本結果は価数揺動※8の研究に重要な情報を与えます。
さらに、物性に関しては、超伝導は発現しませんでしたが、広い温度範囲で金属として振る舞うことを実験で確認しました。これは 電子間の強い反発が超伝導のカギとなる -3 価のフラーレン化合物とは異なる性質ですが、 伝導帯のバンド※9の幅Wと電子間の反発の強さUが同程度の強さであることが主な理由であることを、密度汎関数理論※10による計算と実験結果を照らし合わせることで明らかにしました。


<期待される効果・今後の展開>
本研究は、これまでに数例しか報告のない-5価状態の金属フラーレン化合物において、世界で初めて結晶格子体積を変化させることで、バンド構造の制御に成功し、また結晶構造と電子物性について詳細に明らかにしました。これらは、金属フラーレン化合物を含む、強相関電子系物質※11 の電気的・磁気的な振る舞いを理解するためのマイルストーンとして重要な情報を与え、将来的には超伝導物質の設計指針につながります。また、副次的な発見として、通常+3価であるYbイオンが、Yb2CsC60中でほぼ+2価となる物質であることが明らかになりました。さらに、炭素という地球上にありふれた元素で作る機能性材料としても将来的な応用が期待されます。


<資金情報>
本研究は、次世代研究者挑戦的研究プログラム事業(JPMJSP2139)、科学研究費補助金(JP21H01907、JP22K18693、JP23KJ1843)の支援を受けて実施しました。


【用語解説】


※1 フラーレン
建築家のバックミンスター・フラー(Buckminster Fuller)にちなみ名付けられた、球状の分子。サッカーボール型のC60のほか、C70やそれ以上の炭素数をもつ無数の高次フラーレンが存在する。


※2 ドープ
材料の性質を変化させる目的で、母材に対して少量の異種成分を添加すること。


※3 ドーピング
物質に別の元素や分子を添加すること。


※4 インターカレーション
ここでは、結晶中の分子の隙間に原子を挿入すること。


※5 ドーパント
ドープ(ドーピング)で添加する異種成分のこと。金属フラーレン化合物では、金属がこれに相当する。


※6 大型放射光施設SPring-8
理化学研究所が所有する兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高性能の放射光を生み出す大型放射光施設で、利用者支援等は高輝度光科学研究センター(JASRI)が行っている。SPring-8(スプリングエイト)の名前はSuper Photon ring-8 GeVに由来。SPring-8では、放射光を用いてナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究が行われている。


※7 五員環
5つの原子が環状に結合した構造のこと。


※8 価数揺動
希土類などの一部の元素は、複数の価数状態が共存することがある。例えば、ある物質中で70%が+2価、30%が+3価で存在する場合、その元素の価数を平均して+2.3と表す。温度や圧力など、環境によって価数が変化すると物性も変化する。


※9 バンド
原子が集まって結晶を形成するとき、電子がとりうるエネルギー準位が帯(バンド)状に分布する構造のこと。


※10 密度汎関数理論
物質中の個々の電子の位置ではなく、密度を用いて計算する手法。


※11 強相関電子系物質
電子間の反発エネルギーの影響が物性に強く表れる物質群。液体窒素で冷やせる温度で超伝導体になる銅酸化物など、高温超伝導体の多くがこれに属する。


本件に関するお問い合わせ先
【研究内容に関する問い合わせ先】
大阪公立大学大学院理学研究科
教授 久保田 佳基(くぼた よしき)

【報道に関する問い合わせ先】
大阪公立大学 広報課
担当:谷
TEL:06-6967-1834
E-mail:koho-listatml.omu.ac.jp

理化学研究所 広報部 報道担当
TEL:050-3495-0247
E-mail:ex-pressatml.riken.jp

(SPring-8 / SACLAに関すること)
公益財団法人高輝度光科学研究センター
 利用推進部 普及情報課
TEL:0791-58-2785 PBX:050-3502-3763
E-mail:kouhouatspring8.or.jp

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細胞1つの元素量を測る新手法、軟X線で実現
――海洋植物プランクトンに含まれる酸素量をピコグラムの精度で計測――


2026年6月3日
東京大学
名古屋大学
理化学研究所
高輝度光科学研究センター


発表のポイント

◆海洋植物プランクトン細胞1つに含まれる元素量を定量する計測手法を新開発の軟X線分光顕微鏡を用いて開発しました。
◆これまで測定が難しかった軽元素である酸素について、単一細胞レベルでの絶対質量測定をピコ(1兆分の1)グラムの精度で実現しました。
◆本手法は炭素や窒素など他の元素にも適用可能であり、細胞内元素分布や化学状態を可視化する新たな分析基盤として、生命科学を含む様々な物性研究への貢献が期待されます。



軟X線分光顕微鏡で計測した植物プランクトン像とそこに含まれる酸素の量

東京大学物性研究所のJordan Tyler O’Neal特任研究員(研究当時)と木村隆志准教授、竹尾陽子助教、同大学大学院農学生命科学研究科の児玉武稔准教授、名古屋大学大学院工学研究科の松山智至教授、理化学研究所放射光科学研究センターの志村まり研究員、高輝度光科学研究センターの大橋治彦特任参事らによる研究グループは、軟X線スペクトロ・タイコグラフィ※1を用いて、海洋植物プランクトン1細胞に含まれる元素量を定量する新しい計測手法を開発しました。
海洋植物プランクトンは、地球全体の光合成の約半分を担い、酸素の供給や炭素の固定、元素循環に主要な存在です。従って、海洋植物プランクトンに含まれる酸素量を正確に把握することは、地球規模での元素循環を理解するために重要な意義があります。更に生物の中で元素が細胞内のどこに、どれだけ存在するかを知ることは、生命活動や環境応答を理解するうえで重要となります。しかし、数マイクロメートルの単一細胞レベルでの軽元素の定量解析にはこれまで大きな困難が伴っていました。本研究では、個別の元素に特異的に反応する軟X線の波長域を用いることで多数の高分解能・高感度の軟X線細胞像を取得しました。そして細胞の吸収率の変化を解析することで、海洋植物プランクトン1細胞に含まれる酸素の絶対質量をピコグラム(1兆分の1グラム)の精度で直接測定することに成功しました。
本成果は、微小な生物試料に含まれる元素を培養等することなく直接定量する新たな分析技術として、海洋微生物の生理状態の評価や、細胞内元素循環の理解に役立つとともに、地球環境・海洋循環への応答指標にも貢献が期待されます。また、軽元素の定量測定・化学状態の可視化は有機デバイスや材料の開発・評価など幅広い応用が期待されます。
本成果は、米国の学術雑誌「Optics Express」に2026年6月3日(現地時間)に掲載されました。

論文情報
雑誌名:Optics Express
タイトル:Quantitative Elemental Masses of a Single Marine Phytoplankton Evaluated with Soft X-ray Spectro-ptychography
著者:Jordan T. O’Neal, Satoshi Matsuyama, Kai Sakurai, Kyota Yoshinaga, Yu Nakata, Chiho Funaki, Yoko Takeo, Takenori Shimamura, Makina Yabashi, Haruhiko Ohashi, Kazutaka Takahashi, Mari Shimura, Taketoshi Kodama, and Takashi Kimura
DOI:10.1364/OE.589585



図1 軟X線スペクトロ・タイコグラフィを用いたプランクトンの元素定量法の概要
元素吸収端前後で取得したタイコグラフィ像から透過率変化を抽出し、プランクトン中の元素分布を高分解能・高感度に定量する。


発表内容

背景
生物の細胞は、炭素や窒素、酸素、鉄など多様な元素から成り立っています。これらの元素が細胞内のどこに、どれだけ存在するかを調べることは、細胞の機能や環境への応答を理解するために欠かせません。中でも、海洋の植物プランクトンは、地球全体の光合成の約半分を担う、地球規模の元素循環に関わる重要な生物です。しかし、個別のプランクトンに含まれる元素を直接かつ定量的に測定することは微小な試料サイズから難しく、特に軽元素の計測については様々な技術的な制約が存在していました。


研究内容
本研究グループは、この課題を解決するため、軟X線スペクトロ・タイコグラフィを用いた新たな元素定量法を開発しました。タイコグラフィは、試料にX線を照射して得られる回折パターンから画像を再構成する手法であり、従来の顕微鏡では実現困難な高い空間分解能と感度を両立できる点に特徴があります。軟X線スペクトロ・タイコグラフィでは、個別の元素に特異的に反応する軟X線の波長域をまたいで多数の画像を取得し、吸収像の変化から元素ごとの分布と質量を評価しました。
本研究では、海洋植物プランクトンである珪藻 Thalassiosira weissflogii※2図2)を測定対象としました。兵庫県播磨の大型放射光施設「SPring-8」※3ビームラインBL07LSUにおいて軟X線スペクトロ・タイコグラフィ測定を行い、プランクトン細胞中の酸素の分布および量を評価したところ、細胞質と比較して珪藻の隔壁に特に高密度に酸素が分布をしていることが分かりました。また軟X線吸収率の変化から、それぞれの領域に含まれている酸素の量を17±2 ピコグラム、53±6 ピコグラム、50±5 ピコグラムと極めて高い精度で決定することができました。これらの計測結果は、ガラスのナノ粒子での計測(図3)や、金属元素に対して高い検出感度を持つ蛍光X線顕微鏡※4との比較により妥当性を検証しました。



図2 珪藻 Thalassiosira weissflogii の光学顕微鏡像



図3 ガラスナノ粒子を用いた性能評価
ナノ粒子は均質な球形をしており、形状から元素量を見積もることが出来る。これと比較することで本開発手法による計測結果と高い精度で一致していることがわかる

今後の展望
本成果は、単一細胞を対象とした元素定量分析の新たな基盤技術を示すものです。細胞ごとの個性を統計的に調べることが可能になるため、植物プランクトンの生理状態、元素循環、環境変化への応答をより深く理解できるようになると期待されます。また軟X線スペクトロ・タイコグラフィでは、元素量に加えてその化学状態まで調べることができます。研究グループでは既に同手法により細胞内に含まれる元素ごとの化学状態を地図のように可視化することにも成功しています(関連情報②)。将来的には、特定の元素が細胞内でどの化合物や構造にどれだけ含まれ、どのように機能しているかを調べる研究へと発展させることが可能です。そのため、本技術は生命科学のみならず、軽元素から成る有機材料やデバイスの分析にも応用可能な基盤技術として、幅広い分野への波及が見込まれます。


〇関連情報:
プレスリリース①「高精度ミラーと計算を組み合わせた軟X線顕微鏡を開発 ―ラベルフリーで細胞内の微細構造を50 nmの分解能で可視化―」(2022/07/12)
https://www.issp.u-tokyo.ac.jp/maincontents/news2.html?pid=16120
プレスリリース②「軟X線で細胞内の「化学地図」を描く――新開発の軟X線分光顕微鏡で窒素・酸素の化学状態を詳細に可視化することに成功――」(2025/02/14)
https://www.issp.u-tokyo.ac.jp/maincontents/news2.html?pid=26275


発表者・研究者等情報

東京大学
 物性研究所
  Jordan Tyler O’Neal 特任研究員(研究当時、 現: 日本学術振興会外国人特別研究員)
  木村 隆志 准教授 (兼:理化学研究所 放射光科学研究センター 客員研究員)
  竹尾 陽子 助教  (兼:理化学研究所 放射光科学研究センター 客員研究員)
 大学院農学生命科学研究科
  児玉 武稔 准教授
名古屋大学
 大学院工学研究科
  松山 智至 教授
理化学研究所
 放射光科学研究センター 生体機構研究グループ
  志村 まり 研究員 (兼:国立健康危機管理研究機構 研究員)
高輝度光科学研究センター
 ビームライン光学技術推進室
  大橋 治彦 特任参事  (兼:理化学研究所 放射光科学研究センター 客員研究員)


研究助成

本研究は、科学技術振興機構(JST)の次世代研究者挑戦的研究プログラム(JPMJSP2108)、創発的研究支援事業(JPMJFR2469)、日本学術振興会 科学研究費助成事業(20H04451、23H01833、25KJ1045、25K03389、24K22349、23K26978、23K26526、23KF0019)、精密測定技術振興財団、アサヒグループ財団、文部科学省 「マテリアル先端リサーチインフラ」事業(JPMXP1223UT1093、JPMXP1224UT1025、JPMXP1225UT1159)の支援により実施されました。



【用語解説】


※1. 軟X線スペクトロ・タイコグラフィ
軟X線を試料に照射して得られる回折パターンから、計算機処理によって高分解能・高感度の試料の画像を再構成する顕微鏡法です。軟X線のエネルギーを元素に固有の吸収が起こる領域の前後で変化させて多数の画像を取得することで、試料内の元素分布や元素量を評価できます。本研究では、この手法を用いて、単一の海洋植物プランクトン細胞に含まれる酸素の分布と量を測定しました。


※2. 珪藻 Thalassiosira weissflogii
珪藻はガラスの主成分である二酸化ケイ素を含む殻を持つ単細胞性の植物プランクトンで、海洋に広く分布し、光合成を通じて炭素や栄養塩の循環に関わる重要な生物群です。 Thalassiosira weissflogii は海洋性の珪藻の一種で、植物プランクトンの生理や元素組成を調べる研究対象として用いられています。


※3. 大型放射光施設「SPring-8」
理化学研究所が所有する、兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高性能の放射光を生み出す大型放射光施設で、利用者支援等は高輝度光科学研究センターが行っています。SPring-8(スプリングエイト)の名前はSuper Photon ring-8 GeVの略。放射光を用いてナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究が行われています。


※4. 蛍光X線顕微鏡
試料にX線を照射したときに、元素から発生する固有の蛍光X線を検出することで、試料中の元素の種類や分布を調べる顕微鏡法。鉄などの金属元素に対して高い検出感度を持つ一方、酸素などの軽元素では蛍光信号が弱く、測定が難しい場合があります。本研究では、軟X線スペクトロ・タイコグラフィによる測定結果の妥当性を確認するための比較手法として用いました。


本件に関するお問い合わせ先
(研究内容について)
東京大学物性研究所 准教授 木村 隆志(きむら たかし)

(広報窓口)
東京大学物性研究所 広報室
TEL:04-7136-3207
E-mail:pressatissp.u-tokyo.ac.jp

理化学研究所 広報部 報道担当
TEL:050-3495-0247
E-mail:ex-pressatml.riken.jp

名古屋大学 総務部広報課
TEL:052-558-9735
E-mail:nu_researchatt.mail.nagoya-u.ac.jp

(SPring-8 / SACLAに関すること)
高輝度光科学研究センター 利用推進部 普及情報課
TEL:0791-58-2785
E-mail:kouhouatspring8.or.jp

本件に関するお問い合わせ先
(研究内容について)
東京大学物性研究所 准教授 木村 隆志(きむら たかし)

(広報窓口)
東京大学物性研究所 広報室
TEL:04-7136-3207
E-mail:pressatissp.u-tokyo.ac.jp

理化学研究所 広報部 報道担当
TEL:050-3495-0247
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超高強度レーザーとXFEL で ナノ構造内部のプラズマを直接可視化
―ナノワイヤー中にエネルギーが閉じ込められる仕組みを超高速計測で解明—


2026年6月1日
大阪大学
公益財団法人高輝度光科学研究センター



【研究成果のポイント】

超高強度レーザーを照射したナノ構造材料※1 の内部で生じるプラズマ※2 が、狭い領域で効率よく 加熱される様子を、X 線自由電子レーザー(XFEL)※3 によって直接計測することで初めて実証。
非常に短い時間における変化で計測が極めて困難であったが、XFEL を用いることにより直接可視化することに成功。
レーザーエネルギーをナノ構造によって制御する考え方は、レーザー加工や先端材料開発など、より広い産業分野への波及も期待される。


概要
大阪大学レーザー科学研究所(兒玉了祐所長)の田中大裕さん(当時工学研究科環境エネルギー工学専攻博士後期課程在籍)、重森啓介教授、およびネバダ大学リノ校、レーザー技術総合研究所、高輝度光科学研究センター、理化学研究所、関西大学理工学研究科らの国際共同研究グループは、ナノメートルサイズの細かい柱状構造を多数並べた特殊な材料(ナノワイヤー)に超高強度レーザーを照射し、その内部で生じるプラズマの振る舞いを、X 線自由電子レーザー(XFEL)を用いて直接“可視化”することに初めて成功しました。

論文情報
雑誌名:Scientific Reports
タイトル:“Ultrafast plasma dynamics in laser-irradiated nanowire arrays probed with an X-ray free-electron laser”
著者:Daisuke Tanaka, Hiroshi Sawada, Chiharu Nakatsuji, Sota Matsuura, Tomoyuki Idesaka, Takumi Sato, Takuya Honda, Ichiro Nishii, Shun Horimoto, Yoshiki Takeshima, Toshihiro Somekawa, ToshinoriYabuuchi, Kohei Miyanishi, Keiichi Sueda, Yuichi Inubushi, Yasuhiko Sentoku, Tomohiro Shimizu, Shoso Shingubara, Norimasa Ozaki, Kohei Yamanoi, and Keisuke Shigemori
掲載日:2026年4月1日(水)0:00(日本時間)
DOI:10.1038/s41598-026-47126-0



図1 本研究で使用された金属ナノワイヤーの(a)光学顕微鏡及び(b)電子顕微鏡写真。直径が約 200 nm のワイヤーがおよそ 500 nm の間隔で並んでい る。

この材料は、「非常に細かい毛のような構造が密集した材料」であり、レーザー光を内部に取り込みやすい特徴を持っています(図1)。そのため、通常の平らな材料よりも効率よくエネルギーを吸収できることから、高輝度 X 線源、粒子加速、核融合研究などへの応用が期待されています。しかし、その内部で起きる現象は、時間的にも空間的にも極めて小さいため、これまで直接観測することは困難でした。
本研究では、このナノワイヤーにレーザーを照射した直後の状態を、超高速で観測できる XFEL で時間ごとに追跡しました。その結果、レーザー照射直後にナノワイヤーが急激に加熱され、その後、ワイヤー構造の崩れに伴ってさらに温度が上昇することが明らかになりました。さらに、電子の動きが横方向に抑えられるため、エネルギーが外へ広がりにくく、内部に閉じ込められることも分かりました。
本成果は、レーザーと物質の相互作用の理解を大きく前進させるものであり、将来的な高効率エネル ギー利用技術やレーザー核融合研究への応用が期待されます。
本研究成果は Springer Nature が発刊する学術誌『Scientific Reports』に 2026 年 4 月 1 日 に掲載されました。

【重森教授のコメント】

ナノメートルという微細な空間、そしてピコ秒という極短時間に起こる現象を直接観測する困難かつチャレンジングな課題でした。


研究の背景

近年の超高強度レーザー技術の進展により、実験室で極めて高温・高密度の状態を作り出すことが可 能となり、核融合や宇宙物理、粒子加速などの研究が大きく進展しています。
その中で、微細な柱状構造を多数並べたナノワイヤーは、レーザー光を内部に閉じ込めやすく、従来の 平坦な材料に比べて高いエネルギー吸収効率を示すことが知られています。このため、強力な X 線発生や高エネルギー粒子生成などへの応用が期待されてきました。
一方で、このような材料の内部で、エネルギーがどのように吸収され、どのように広がっていくのかについては、これまで主に数値シミュレーションや間接的な計測に頼っていました。ナノ構造の内部で起きる現象は、時間スケールではピコ秒以下、空間スケールではマイクロメートル以下と極めて小さいため、従来の計測手法では直接見ることが難しかったからです。
この課題を解決するために、本研究グループは、超高速・高輝度の X 線を発生できる XFEL を用い、レーザー照射直後のナノワイヤー内部の状態を直接観測することに取り組みました。


研究の内容

本研究では、高強度レーザーを照射した微細構造材料の内部を、XFEL を用いたポンプ・プローブ計測※4 によって観測しました。特に、ナノワイヤーの部分とその下にある基板部分を異なる材料で作製することにより、XFEL のエネルギーを調整して、それぞれの領域の状態を分けて観測できるようにしました。これにより、材料内部のどこで、いつ、どのようにエネルギーが蓄えられ、移動するかを詳しく調べることが可能になりました。その結果、次のような重要な知見が得られました(図2)。
まず、レーザー照射直後に微細構造内部が急速に加熱され、電子温度※5 はおよそ 120 eV に達することが分かりました。さらに、およそ 10 ピコ秒後(1000 億分の 1 秒後)には、構造そのものの崩れに伴 って電子温度が約 140 eV まで上昇することが明らかになりました。これは、最初のレーザー加熱だけでなく、構造変化そのものが追加の加熱に寄与していることを示しています。
また、エネルギーが横方向にあまり広がらないことも観測されました。これは、微細な柱状構造のすき間と、その周囲に形成される磁場の影響によって、電子の横方向の移動が抑えられているためだと考えられます。その結果、エネルギーが局所的に閉じ込められ、高温状態が保たれやすくなっていることが分かりました。さらに、ナノワイヤーの部分で発生した高エネルギー電子が、その下の基板部分に到達するまでの時間が、およそ 0.2 ピコ秒であることも明らかになりました。



図2 ナノワイヤーアレイにおける加熱機構の概念図。
(a)巨視的な概念図と(b)ナノワイヤー1 本に着目した加熱プロセスの 概念図

本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)

本研究成果は、ナノ構造を利用した高効率なエネルギー吸収および輸送制御に関する重要な知見を提供するものです。特に、レーザーエネルギーを効率よく高温状態へ変換し、そのエネルギーを局所に保つことができるという知見は、将来的な高輝度 X 線源の開発、レーザー駆動粒子加速、小型化された核融合技術などにおいて、材料設計の新しい指針になると期待されます。また、エネルギーの流れをナノ構造によって制御する考え方は、レーザー加工や先端材料開発など、より広い産業分野への波及も期待されます。
本研究で用いた XFEL による超高速観測手法は、今回の材料に限らず、さまざまな微細構造材料や極限状態物質の研究にも応用可能であり、今後の高エネルギー密度※6 科学の発展に貢献する重要な計測技術になると考えられます。


特記事項

なお、本研究は、 Japan Synchrotron Radiation Research Institute(JASRI)の承認課題、Institute of Laser Engineering(大阪大学レーザー科学研究所)の共同研究課題、日本学術振興会・科学研究費補助金、SACLA 大学院生研究支援プログラム、米国National Science Foundation、およびJST SPRINGの支援のもと実施されました。


参考URL

重森 啓介 教授 研究者総覧URL
https://rd.iai.osaka-u.ac.jp/ja/d89d32580e19c3b8.html



【用語解説】


※1. ナノ構造材料
ナノワイヤ構造。ナノメートルサイズの細い柱状構造が多数並んだ材料。レーザー光を内部に取り込みやすい特徴を持つ。


※2. プラズマ
物質が高温になり、原子から電子が離れて自由に動けるようになった状態。雷や太陽の内部でも見られる。


※3. X 線自由電子レーザー(XFEL)
非常に短い時間だけ発光する強力な X 線を発生する装置。極めて速く起こる現象を高い時間分解能で観測できる。


※4. ポンプ・プローブ計測
一つの光で物質に変化を起こし、その直後の状態を別の光で観測する方法。超高速現象の時間変化を追跡できる。


※5. 電子温度
プラズマ中の電子がどれくらい高いエネルギーを持っているかを表す指標。1eV(電子ボルト)は 1 万 度に相当する。


※6. 高エネルギー密度
非常に高い温度・圧力・密度を持つ物質状態。核融合や惑星内部、宇宙現象などの研究に関係する。


本件に関するお問い合わせ先
<研究に関するお問い合わせ>
大阪大学 レーザー科学研究所 教授 重森 啓介(しげもり けいすけ)

<レーザー科学研究所の広報に関するお問い合わせ>
大阪大学 レーザー科学研究所 広報戦略室
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“氷を制御するタンパク質”が乾燥から細胞を守ることを発見
線虫を用いて、生体保存技術への応用につながる新たな細胞保護機能を解明


2026年6月2日
茨城大学
高輝度光科学研究センター
東京大学大学院新領域創成科学研究科
北海道大学


茨城大学学術研究院応用理工学野の倉持昌弘講師らの研究グループは、氷の成長を制御する「氷晶結合タンパク質」が、氷のない乾燥ストレス条件でも細胞を保護することを、線虫 C. elegans を用いて明らかにしました。本研究では、高活性氷晶結合タンパク質 TisIBP8 を発現する線虫が、乾燥処理後に野生型線虫より高い生存率を示すことを確認しました。また、筋細胞の損傷が抑えられること、さらに放射光赤外顕微分光を用いた解析からは乾燥に伴う細胞膜脂質構造の乱れが軽減されることを示しました。これらの成果は、氷晶結合タンパク質の機能が、従来知われていた凍結・低温保護にとどまらず、細胞膜の安定化を介した脱水ストレス保護にも広がる可能性を示すものです。将来的には、細胞、組織、生体試料の保存技術の高度化に貢献することが期待されます。この成果は、2026年5月21日付で「FEBS Open Bio」に掲載されました。

論文情報
雑誌名:FEBS Open Bio
タイトル:Hyperactive ice-binding proteins stabilize cell membranes and improve resistance to dehydration stress in Caenorhabditis elegans
著者:Daiki Shimose, Kotaro Ozaki, Ryohei Kuriyama, Yuka Ikemoto, Kazuhiro Mio, Yuji C. Sasaki, Tatsuya Arai, Sakae Tsuda, Yoichi Shinkai, Masahiro Kuramochi
掲載日:2026年5月21日
DOI:10.1002/2211-5463.70274


■研究者の情報

下瀬 大輝  茨城大学大学院理工学研究科博士前期課程(研究当時)
尾崎 晃太郎 茨城大学大学院理工学研究科博士前期課程
栗山 稜平  茨城大学大学院理工学研究科博士前期課程(研究当時)
池本 夕佳  公益財団法人高輝度光科学研究センター 分光イメージング推進室 主席研究員
三尾 和弘  国立研究開発法人産業技術総合研究所 先端オペランド計測技術オープンイノベーションラボラトリ 単一状態計測チーム ラボチーム長(研究当時)
佐々木 裕次 東京大学大学院新領域創成科学研究科 教授
新井 達也  北海道大学大学院先端生命科学研究院 助教
津田 栄   北海道大学大学院先端生命科学研究院 学術研究員
新海 陽一  国立研究開発法人産業技術総合研究所細胞分子工学研究部門細胞未病エンジニアリング研究グループ 研究グループ長
倉持 昌弘   茨城大学学術研究院応用理工学野 講師


■背景

氷晶結合タンパク質は、氷の表面に結合して氷結晶の成長や再結晶化を制御するタンパク質であり、魚類、昆虫、植物、菌類など、さまざまな生物で見つかっています。氷晶結合タンパク質はこれまで主に凍結環境で生物を保護する分子として研究されてきました。一方で近年では、この氷晶結合タンパク質が、氷の存在しない低温条件でも細胞を保護する可能性が報告されており、その作用には細胞膜の安定化が関係すると考えられています。細胞膜は、凍結、乾燥、浸透圧変化などのストレスによって構造が乱れやすく、細胞の生死に大きく関わる重要な構造です。そこで本研究では、氷晶結合タンパク質が、凍結だけでなく乾燥ストレスに対しても細胞を保護できるのではないかと考え、モデル生物である線虫Caenorhabditis elegansを用いて検証しました。


■研究手法・成果

研究グループは、高活性の菌類由来氷晶結合タンパク質 TisIBP8 を筋細胞で発現する線虫を用い、乾燥ストレス後の生存率、運動機能、筋細胞の損傷、細胞膜構造の変化を評価しました。乾燥処理後に水を加えて再水和し、生存率を調べたところ、TisIBP8 を発現する線虫では、野生型線虫と比べて生存率が有意に高くなりました。特に 20分および30分の乾燥処理で保護効果が認められました。一方で、40分の強い乾燥処理では両者とも生存が確認されず、TisIBP8 の効果は強い乾燥耐性を与えるものではなく、乾燥による細胞ダメージを部分的に軽減するものと考えられました。次に、筋細胞の細胞核を蛍光タンパク質で可視化して解析したところ、TisIBP8 を発現する線虫では、乾燥後も検出可能な筋細胞核がより多く保持されていました。これは、TisIBP8 が乾燥による筋細胞の構造的損傷を抑えることを示しています。さらに、大型放射光施設SPring-8 の BL43IR において、放射光赤外顕微分光を用いて線虫体内の膜脂質構造を解析しました。その結果、野生型線虫では細胞膜脂質に由来する赤外吸収スペクトルが乾燥後に大きく変化したのに対し、TisIBP8 発現線虫ではその変化が小さく抑えられていました。これにより、TisIBP8 が乾燥ストレス下で細胞膜構造を安定化している可能性が示されました。



図 TisIBP8 による乾燥ストレス保護作用の模式図. 高活性氷晶結合タンパク質 TisIBP8 を発現する線虫では、乾燥ストレス後の生存率が向上し、筋細胞の損傷や細胞膜構造の乱れが抑えられていることがわかった(WTは野生型線虫)。このことから、TisIBP8 は細胞膜を安定化することで、乾燥による細胞ダメージを軽減する可能性が示された。

■今後の展望

本研究により、氷晶結合タンパク質は氷結晶の成長を制御するだけでなく、細胞膜を安定化することで乾燥ストレスによる細胞損傷を軽減する可能性が示されました。凍結保存では、氷結晶による物理的損傷だけでなく、凍結に伴う水分移動や浸透圧変化によって細胞が脱水状態にさらされることも大きな問題です。そのため、本研究で明らかになった「膜安定化による脱水ストレス緩和」は、凍結保存の新しい理解にもつながる可能性があります。今後は、氷晶結合タンパク質がどのように細胞膜と相互作用するのかを分子レベルで明らかにするとともに、細胞、組織、臓器、微生物など、さまざまな生体試料の保存技術への応用可能性を検討していきます。


■研究助成等

本研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業 ACT-X(JPMJAX22B7)、日本学術振興会(JSPS)科研費(25K01630、25K22444、24K17826)の支援を受けたものです。



本件に関するお問い合わせ先
<研究内容について>
茨城大学学術研究院応用理工学野 倉持昌弘

<報道関係のお問い合わせ>
茨城大学 広報・アウトリーチ支援室
TEL:029-228-8008 FAX:029-228-8019
E-mail:koho-prgatml.ibaraki.ac.jp

東京大学大学院新領域創成科学研究科 広報室
TEL:04-7136-5450
E-mail:pressatk.u-tokyo.ac.jp

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TEL:011-706-2610 FAX:011-706-2092
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薬が効かない耐性菌を光でピンポイント撃退!
世界的脅威アシネトバクターに対する新たな感染症治療へ


2026年5月28日
名古屋大学
理化学研究所


【本研究のポイント】
・既存の抗生物質が効かない多剤耐性菌注1)(病原性アシネトバクター・バウマニ)に対する、新たな治療戦略を開発。
・「トロイの木馬」による標的デリバリー:細菌が自身の生存に必要な栄養(ヘム)を取り込むためのタンパク質を運び屋として利用し、光で活性化する殺菌薬(金属錯体)を細菌内部へ“密輸”することに成功。
・標的菌に青色光を当てることで細菌の内部で活性酸素種注2)を発生させ、多剤耐性菌を最大99.999%死滅させる強力な「光殺菌(光線力学療法注3))」を実証。


名古屋大学大学院理学研究科の荘司 長三 教授、Nguyen Q Viet(グエン クオック ヴィエット)博士後期課程学生の研究グループは、理化学研究所放射光科学研究センターの杉本 宏 専任研究員との共同研究で、病原菌自身の栄養取り込み経路を利用して多剤耐性菌を選択的に光殺菌する「トロイの木馬」戦略の開発に成功しました。
既存の抗生物質が効かない多剤耐性菌のまん延は、「静かなパンデミック」として世界的な脅威となっています。特に多剤耐性アシネトバクター・バウマニが引き起こす院内感染は深刻であり、従来の薬剤耐性メカニズムを回避できる、新たな感染症治療法の確立が強く求められています。
本研究では、この病原菌が生存に必要な鉄分(ヘム注4))を外部から獲得するために分泌するタンパク質「HphA」に着目しました。HphAはヘムだけでなく、さまざまな人工金属錯体を捕捉できることを明らかにし、HphAを運び屋として利用し、光増感剤注5)を細菌内部へ輸送する「トロイの木馬」戦略を考案しました。
実際に、この経路を利用して光増感剤を多剤耐性アシネトバクターに選択的に取り込ませ、青色光を照射したところ、菌体内で発生した活性酸素種により、最大99.999%という高い殺菌効率で標的菌を死滅させることに成功しました。
病原菌が生存に必要とする栄養獲得経路を利用した本手法は、耐性が獲得されにくく、かつ菌選択的に効果を発揮できる強力な抗菌治療法となることが期待されます。本研究成果は、2026年5月25日付米国化学会発行の学術誌『ACS Infectious Diseases』に掲載されました。


論文情報
雑誌名:ACS Infectious Diseases
論文タイトル:Photodynamic Inactivation of Hypervirulent Acinetobacter baumannii via a Trojan Horse Strategy Targeting Heme Acquisition Pathway
著者:Nguyen Q Viet(名古屋大学大学院理学研究科),杉本 宏(理化学研究所放射光科学研究センター),荘司 長三(名古屋大学大学院理学研究科)
掲載日:2026年5月25日
DOI:10.1021/acsinfecdis.6c00032


【研究背景と内容】
(1) 研究の背景

抗生物質は、長年にわたり感染症治療において人類を救ってきました。しかし近年、これらの薬が全く効かない薬剤耐性菌が世界中で急増しており、深刻な社会問題となっています。特に、複数の抗生物質に対して耐性を持つ多剤耐性菌に感染すると、有効な治療法がなく、重篤化や死に至るリスクが著しく高まります。既存のメカニズムに依存しない、全く新しいアプローチによる感染症治療薬の開発が世界中で急務となっています。
こうした多剤耐性菌の中でも、極めて危険視されているのがアシネトバクター・バウマニ(学名:Acinetobacter baumannii、以下「アシネトバクター」という)です。この菌は、病院において、免疫力が低下した人々に日和見感染注6)を引き起こします。恐ろしいことに、この病原菌は環境変化に適応する能力が非常に高く、過去数十年の間に急速に薬剤耐性を獲得してきました。現在では、感染症治療の「最後の砦」と呼ばれるカルバペネム系抗菌薬すら効かない耐性株がまん延しており、一部の地域ではその耐性率が90%を超えることもあります。既存の薬で治療しようとしても、細菌側がすぐ新たな耐性を進化させてしまうため、世界保健機関(WHO)が2024年に発表した「新規抗菌薬が緊急に必要な薬剤耐性菌」リストにおいても、カルバペネム耐性アシネトバクターは最高警戒レベルに分類されています。
本研究では、従来の抗生物質のように病原菌と「いたちごっこ」に陥るアプローチから脱却し、多剤耐性菌の防御システムを根本から無効化する新たな治療法の開発を目指しました。病原菌が既存の薬に対して次々と耐性を獲得してしまうのであれば、細菌が生きる上で「絶対に避けては通れない」必須の行動を逆手に取る必要があります。そこで私たちが着目したのは、病原菌が自ら栄養を取り込む経路を乗っ取り、光の力で標的菌のみを内部から破壊するというアプローチです。


(2) 研究の内容
“偽のヘム”で病原菌を“騙す”仕組み

病原菌が人間の体内で増殖して害を与えるためには、鉄分を外部から取り込む必要があります。アシネトバクターなどの病原菌は、宿主から鉄を含む「ヘム」という栄養素を奪うための独自のヘム獲得経路を備えています。近年の研究では、病原性アシネトバクターは「HphA」という特殊なタンパク質を分泌し、これを周囲に放出してヘムを捕まえ、自身の体内に運び込んでいることが明らかになりました(図1)。



図1 アシネトバクター・バウマニのヘム獲得経路

私たちは、この「HphA」という運び屋タンパク質の構造が非常に頑丈であり、かつ、ヘムを包み込むポケット部分の認識が比較的に緩やかであるという独特の性質に注目しました。つまり、本来の栄養素(ヘム)の代わりに、人工的な物質(金属錯体など)をすり替えることが可能ではないかと着想しました。これはまさに、ギリシャ神話の「トロイの木馬」と同じ罠(わな)です。病原菌が自ら生きていくために不可欠な栄養獲得経路をハイジャックし、栄養のふりをした有害な物質を取り込ませる戦略を提案しました(図2上)。“偽のヘム”の候補として光で活性化する「光増感剤」を採用し、HphAと組み合わせることで光増感剤を菌体内に輸送し、光照射で殺菌する手法(光殺菌)を検討しました。(図2下)



図2 人工HphAを用いた「トロイの木馬」戦略による光殺菌手法

病原菌を“騙す”ことで高効率の光殺菌を実現
まず、HphAのヘムを他の金属錯体に置き換えられるかを調べました。本研究ではヘムに近い構造を持つ3種類の錯体を選択し、中心金属として鉄の他にコバルトとガリウムを検討しました(図3A)。ヘムを持たないHphA(アポ体)の溶液にこれらの金属錯体の溶液を添加して得られた複合体を精製することで、人工HphAの調整を行いました。各種測定結果から、HphAはヘムだけでなく、検討したすべての合成金属錯体も捕捉できることが明らかになりました。
作製した人工HphAの具体的な構造情報を得るために、タンパク質のX線結晶構造解析を「SPring-8のビームラインBL45XU」にて行いました。その結果、1つの人工HphA(Co-Pcを捕捉したHphA、図3B)の構造解明に成功しました。この人工HphAの構造はヘムを捕捉した天然の構造と高い相同性を示し、ヘムをすり替えてもHphAの構造が大きく変わらないことが分かりました。



図3 (A)本研究で検討した金属錯体の骨格
(B)Co-Pcを捕捉した人工HphAの結晶構造

検討した金属錯体の中には光増感剤になり得るガリウム錯体が含まれているため、これらを捕捉した人工HphAを用いて光殺菌手法を検証しました。将来の臨床応用を見据え、毒性が高く多剤耐性を示す国際的な標準モデルである「AB5075株」を用いて検証を行いました。この株に人工HphAを添加して菌体内に光増感剤を取り込ませ、青色光を照射したところ、最大99.999%という極めて高い殺菌効率が得られました(図4A)。
さらに、アシネトバクターが光殺菌に対する耐性を獲得できるかどうかを調べるために、殺菌処理後に生き残った細菌に対して繰り返しの光殺菌を行いました。その結果、5回繰り返しても殺菌効率が低下しないことが確認でき(図4B)、本研究で開発した手法は、病原菌が容易には耐性を獲得できない強力なメカニズムであることが示唆されました。



図4 (A)ガリウム錯体を用いた光殺菌実験の結果
(B)Ga-BrDPPを用いた繰り返しの光殺菌実験の結果

【成果の意義】
本研究の最大の意義は、WHOが最高警戒レベルに指定する多剤耐性アシネトバクターに対し、菌独自の栄養獲得経路を逆手に取る革新的な治療戦略を実証した点にあります。既存の抗生物質では耐性進化との「いたちごっこ」が避けられませんでしたが、本手法は光から発生する活性酸素種で細菌を内部から直接破壊するため、新たな耐性獲得が困難です。院内感染の主要な原因であり、現在有効な治療法が失われつつある強毒性アシネトバクターを極めて高い効率で排除できるこの「トロイの木馬」戦略は、感染症治療の“壁”を突破する画期的な成果と言えます。今後は生体内での安全性や効果の検証を進め、人類が直面する深刻な薬剤耐性問題、すなわち「静かなパンデミック」を打ち破る次世代の標的治療法としての臨床応用が期待されます。


【支援・謝辞】
本研究は、これらの事業の支援のもとで行われたものです。
・日本学術振興会(JSPS) 科学研究費助成事業 学術変革領域研究(A)「酵素を誤作動させる分子による酸化反応の遷移状態設計」(JP22H05129)
・日本学術振興会(JSPS) 科学研究費助成事業 挑戦的研究(萌芽)「合成金属錯体を取り込ませる多剤耐性緑膿菌の新規殺菌手法開発」(JP24K22051)
・日本学術振興会(JSPS) 科学研究費助成事業 基盤研究(A)「革新的反応場分子設計による人工金属酵素反応系の創出」(JP25H00910)
・公益財団法人高輝度光科学研究センター(JASRI) 一般課題「生体鉄イオンの獲得と輸送に関与するタンパク質の立体構造解析」(2023B2540)
・科学技術振興機構(JST) 次世代研究者挑戦的研究プログラム「東海国立大学機構融合フロンティア次世代リサーチャー」(JPMJSP2125)
・名古屋大学 卓越大学院プログラム トランスフォーマティブ化学生命融合研究大学院プログラム(GTR)


【用語説明】


注1)多剤耐性菌
複数の抗生物質に耐性を持ち、既存の薬が効かなくなった細菌のこと。治療が極めて困難で重症化しやすいため、現代医療における世界的な健康脅威となっている。


注2)活性酸素種
酸素分子がより反応性の高い状態に変化したもので、細胞のDNAやタンパク質に強いダメージを与える。本手法では、これを細菌内部で意図的に発生させて殺菌する。


注3)光線力学療法
光に反応する薬剤を標的に取り込ませ、光照射によって活性酸素を発生させて細胞を破壊する治療法。近年は、抗生物質が効かない耐性菌に対する新たな殺菌手法としても注目されている。


注4)ヘム
鉄分を含む分子で、人間を含む多くの生物にとって生きていくために不可欠な栄養素。血液中のヘモグロビンなどに含まれる。


注5)光増感剤
特定の光のエネルギーを吸収し、そのエネルギーを使って周囲の酸素を強力な「活性酸素」に変換する役割を持つ物質。


注6)日和見感染
健康な状態であれば感染症を起こさないような弱毒の病原体が、加齢や病気、免疫抑制剤の使用などで身体の免疫力・抵抗力が低下している人に感染し、発症してしまうこと。


お問い合わせ先
【研究者連絡先】
名古屋大学大学院理学研究科
教授 荘司 長三(しょうじ おさみ)

理化学研究所放射光科学研究センター
専任研究員 杉本 宏(すぎもと ひろし)

【報道連絡先】
名古屋大学総務部広報課
TEL:052-558-9735 FAX:052-788-6272
E-mail:nu_researchatt.mail.nagoya-u.ac.jp

理化学研究所広報部報道担当
TEL:050-3495-0247
E-mail:ex-pressatml.riken.jp

(SPring-8 / SACLAに関すること)
公益財団法人高輝度光科学研究センター
 利用推進部 普及情報課
TEL:050-3502-3763
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理化学研究所放射光科学研究センター
専任研究員 杉本 宏(すぎもと ひろし)

【報道連絡先】
名古屋大学総務部広報課
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