放射光(X線)で小さなものを観察する大きな2つの施設

マイクロ波エネルギーを1原子に集中させて化学反応
――クリーンな手法で二酸化炭素を高効率変換――


2025年10月11日
東京大学
名古屋大学
高輝度光科学研究センター


発表のポイント

♦化学反応を起こすためには、熱などのエネルギーが必要です。反応容器に熱を伝えるには、火やお湯を使って周りから全体を温める方法が一般的です。
♦今回の成果では、電子レンジ加熱の原理である「マイクロ波」を用いて「1原子だけ」を加熱し、高いエネルギー変換効率で二酸化炭素を有用化合物に変換することに成功しました。
♦マイクロ波は再生可能エネルギーとの相性もよく、将来的な二酸化炭素の排出削減に貢献します。



マイクロ波1原子加熱が実現する二酸化炭素削減シナリオ

東京大学大学院工学系研究科の石橋 涼 大学院生と岸本 史直 講師、高鍋 和広 教授らによる研究グループは、名古屋大学大学院理学研究科の谷口 博基 教授、高輝度光科学研究センターの山田 大貴 主幹研究員らと共同で、マイクロ波を用いた加熱技術(注1)によって、高いエネルギー変換効率で二酸化炭素から一酸化炭素を製造する逆水性ガスシフト反応(注2)が進行することを世界で初めて実証しました(図1)。本研究のポイントは、マイクロ波エネルギーをゼオライト触媒(注3)に含まれる単一原子にのみ集中させることで、化学反応に必要なエネルギーを効率的に注入したことにあります。実験室スケールで、通常の加熱方法に比べて「マイクロ波-to-化学反応のエンタルピー変化(注4)」の指標が4倍以上となりました。本成果は、マイクロ波と再生可能エネルギーの親和性の高さによる化学産業電化(注5)と、高効率な二酸化炭素変換の両面から化学工業のグリーントランスフォーメーション(GX)の道筋を強く推し進めるものとして期待されます。

論文情報
雑誌名:Science Advances
題名:Focused Thermal Energy at Atomic Microwave Antenna Sites for Eco-catalysis
著者:Ryo Ishibashi, Fuminao Kishimoto*, Tatsushi Yoshioka, Hiroki Yamada, Koki Muraoka, Toshiaki Ina, Hiroki Taniguchi, Akira Nakayama, Toru Wakihara, Kazuhiro Takanabe*
DOI:10.1126/sciadv.ady4043



図1:(左)実験室におけるマイクロ波駆動の触媒反応装置。写真に映っているTM010 MW Cavityが、写真外のマイクロ波発生装置に接続されている。(右)二酸化炭素転換反応に対するエネルギー変換効率。開発したインジウム導入チャバサイト型ゼオライト(In-CHA)触媒を用いた。同等の二酸化炭素転化率を発揮する条件でマイクロ波加熱・通常加熱のエネルギー変換効率を比較した。

発表内容

私たちの身の回りにある製品に用いられているプラスチックや化学繊維、ガラスといった「素材」のほとんどは、化学工場での化学反応によって製造されています。通常、化学反応には熱エネルギーが必要であり、日々大量のエネルギーが消費されています。このエネルギー源の多くは化石燃料に依存しているため、これらを再生可能エネルギー由来の電力に転換していく「化学産業電化」の実現が強く望まれています。
また多くの場合、化学反応は特定の数原子・数分子といった非常に小さな部分で起こります。したがって、大きな化学反応器の中でも本当に化学反応のエネルギーを必要とする部分は限定的です。一方で、火を使用する従来の加熱方法では、化学反応器全体に熱エネルギーが分散してしまいます。
この問題に対して、東京大学の岸本史直講師を中心とする研究チームは、電子レンジの加熱原理である「マイクロ波加熱技術」に着目し、化学反応が起こる非常に小さな部分にのみ熱エネルギーを送り届けることで化学反応の省エネルギー化と化学産業電化を両立する、新たな技術の開発に世界に先駆けて取り組んできました。2023年には、マイクロ波エネルギーがゼオライト触媒に含まれる「金属イオン活性点(注3)」に集中する現象を実験的に証明し、世界的な注目を集めました(関連情報)。
今回の研究成果では、ゼオライト触媒を丁寧に設計することで、マイクロ波エネルギーが集中した金属イオン活性点を用いて二酸化炭素の転換反応を行い、高いエネルギー効率で化学反応を進行させることに成功しました。
触媒開発にあたり東京大学の岸本講師・高鍋教授のグループでは、20種類の金属イオン種、5種類のゼオライト結晶構造、そして6種類のゼオライト中のケイ素―アルミニウム比(注3)を変化させた触媒材料に対して網羅的な実験を行い、マイクロ波加熱現象を注意深く観察しました。これらの中で最も加熱効率がよかった材料に注目して、東京大学の村岡助教・中山教授のグループによる計算化学的手法と、名古屋大学の谷口教授のグループによる高温誘電スペクトル測定を用い、ゼオライト材料のマイクロ波エネルギーの蓄積されやすさを示す、パラメーター・構造探索を実施しました。
中でも加熱効率が高く、触媒機能も期待されるインジウムイオン導入チャバサイト型ゼオライト(注6)に着目し、高輝度光科学研究センターの山田主幹研究員らのグループと共同で大型放射光施設SPring-8(注7)のBL08Wビームラインを用いた高エネルギーX線全散乱測定(注8)を行いました。これにより、マイクロ波エネルギーがインジウムイオンに集中し、インジウムイオンが選択的に高い熱エネルギー状態となっていることを実験的に示すことができました(図2)。


図2:大型放射光施設SPring-8で得られた「マイクロ波エネルギーの1原子への集中」を証明するデータ 通常の全体加熱方法では、ゼオライト骨格から得られる「T-O」ピークの強度とインジウムイオンから得られる「In-O」ピークの比率は、温度にほとんど依存しない。一方でマイクロ波照射では、全体温度の上昇に伴って「In-O」ピーク強度が劇的に減少した。これは、インジウムイオンがマイクロ波エネルギーによって選択的に高エネルギー状態となり、X線散乱を示さないほど激しく動き回っている状態を反映している。


これらの研究結果を通じて、ゼオライト触媒の精密な設計によるマイクロ波エネルギーの集中と触媒機能を両立させ、二酸化炭素と水素の反応により一酸化炭素を得る「逆水性ガスシフト反応」を高いエネルギー変換効率で進行させることに成功しました。図1に示した通り、投入エネルギーから化学反応に用いられたエネルギーへの変換効率は、マイクロ波を用いた場合に通常の全体加熱方法と比較して4倍以上に向上することが示されました。
本研究により、触媒材料を丁寧に設計することで、マイクロ波加熱技術が単なる化学産業電化の一手段に留まらず、化学反応のエネルギー効率の向上をも実現しうる手法であることが示されました。今後、より一層のエネルギー効率向上や、さまざまな触媒反応への応用展開を実現していくためには、引き続き多彩な触媒材料の開発が必要不可欠です。東京大学の岸本講師・高鍋教授らのグループでは、化学産業のGXを目指して引き続き研究開発を進めてまいります。


〇関連情報:

「プレスリリース①マイクロ波によって触媒活性点を原子レベルで選択加熱―熱エネルギー集中による触媒システムの省エネ化に期待―」(2023/8/24)
https://www.t.u-tokyo.ac.jp/press/pr2023-08-24-002


研究助成

本研究は、科研費学術変革領域研究(A)「超秩序構造が創造する物性科学」公募研究の「ギガヘルツ帯電磁波が拓く固体酸触媒の動的超秩序構造(課題番号:JP21H05550)」、同じく「動的超秩序構造に立脚した『マイクロ波触媒作用』の学理開拓(課題番号:JP23H04097)」、および科研費基盤研究B「マイクロ波触媒作用の原子レベル理解と応用(課題番号:JP24K01254)」の支援により実施されました。


発表者・研究者等情報

東京大学 大学院工学系研究科
 化学システム工学専攻
  岸本 史直 講師
  石橋 涼 博士課程
  村岡 恒輝 助教
  中山 哲 教授
  高鍋 和広 教授

 附属総合研究機構
  脇原 徹 教授
   兼:同研究科 化学システム工学専攻

名古屋大学 大学院理学研究科 理学専攻
  谷口 博基 教授

高輝度光科学研究センター
 回折・散乱推進室
  山田 大貴 主幹研究員
 分光・イメージング推進室
  伊奈 稔哲 研究員


【用語解説】


注1. マイクロ波を用いた加熱技術
一般的に、電子レンジで広く用いられている加熱技術です。光の一種である1 GHz程度の電磁波を物質に照射することで、その対象を発熱させることができます。工業的には窯業の乾燥工程などにも用いられている技術です。近年では化学工業において、二酸化炭素を排出しない化学反応器の加熱手段として注目されています。


注2. 逆水性ガスシフト反応
二酸化炭素と水素を反応させて一酸化炭素と水を得る化学反応です。一酸化炭素は、さまざまな有用化合物の原料となることから化学工業全体で広く用いられています。したがって、地球温暖化の原因となる二酸化炭素から、化学的に有用な物質を作る炭素循環に貢献する反応と言えます。しかし、この反応には大きなエネルギー投入が必要な点が課題となっています。


注3. ゼオライト触媒と金属イオン活性点、およびケイ素―アルミニウム比
ゼオライトは、アルミニウム・ケイ素・酸素といった地球上にありふれた元素から構成される結晶であり、石油から有用な化学物質を製造するために必要不可欠な、人類社会を支える重要な材料です。原子~分子サイズの極めて小さな細孔(2 nm)を規則的にもっており、この細孔の中に金属イオンを保持することができます。この金属イオンが化学反応を起こすための「活性点」として機能することで、化学反応を進行させることができます。この金属イオン活性点の状態を、ゼオライトを構成するケイ素とアルミニウムの比率を変化させることで制御できるため、今回の研究で探索パラメーターとして扱いました。


注4. マイクロ波-to-化学反応のエンタルピー変化
本研究を通して世界で初めて定義しました。「化学反応のエンタルピー変化」とは、化学反応における原料と生成物のエネルギーの差を指します。今回実証した逆水性ガスシフト反応では、生成物のほうが高いエネルギーを有しているため、正のエンタルピー変化が起こります(吸熱反応)。これは化学反応に連続的なエネルギー投入が必要であることを示しています。今回、「逆水性ガスシフト反応のエンタルピー変化」と「二酸化炭素の転化率」の積と、「マイクロ波発生に必要な電力」の商を、エネルギー変換効率と定義しました。


注5. 化学産業電化
化学工場の装置を、電力(特に再生可能エネルギー由来の電力)で動作させるように置き換えていくことを指します。化学産業においては、原料から製品を得る過程で多くのエネルギーを必要とします。特に加熱過程においては、バーナーやボイラーなど化石燃料を燃焼する方法が用いられています。これらの加熱方法を電力駆動方式に置き換えていくことで、工場局所での二酸化炭素排出を抑制できることから、地球温暖化対策などの観点で近年注力されています。


注6. インジウムイオン導入チャバサイト型ゼオライト
チャバサイト型ゼオライトとは、ゼオライトの一種です。前述の通りゼオライトは構成元素が単純である一方で、その結晶構造は200種類以上にもわたります。このような構造の違いによって、ゼオライトのさまざまな機能を設計することができます。チャバサイト型は、数あるゼオライトの中でも特殊な細孔構造(入り口が小さく、内部に大きな空間がある)を有していることから、高い触媒機能を発揮できるゼオライトとして注目されています。今回、このチャバサイト型ゼオライトの細孔内に、酸化数1のインジウムイオン(In+)を閉じ込めることで、高いマイクロ波加熱能と触媒活性を両立する材料を開発しました。


注7. 大型放射光施設SPring-8
理化学研究所が所有する兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高性能の放射光を生み出す大型放射光施設で、利用者支援等は高輝度光科学研究センター(JASRI)が行っています。SPring-8(スプリングエイト)の名前はSuper Photon ring-8 GeVに由来。SPring-8では、放射光を用いてナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究が行われています。


注8. 高エネルギーX線全散乱測定
高エネルギーのX線(本実験では115 keV)をサンプルに照射し、散乱されたX線を測定する手法です。この散乱結果をフーリエ変換することで、全ての原子対の存在確率を距離の関数とした二体分布関数が得られます。この散乱強度は温度に依存して小さくなる傾向にあるため、インジウムイオンだけが高い熱エネルギーを有することを調べるために利用できます。本研究グループは2021年ごろから大型放射光施設SPring-8(兵庫県)のビームラインBL08Wにマイクロ波照射装置を持ち込み、特別な実験系を開発し続けてきました(課題番号:2022A1079、 2022B0532、023A1295、2023B1410、2024A1349、2024B1453)。


本件に関するお問い合わせ先
<研究内容について>
東京大学大学院工学系研究科 化学システム工学専攻
講師 岸本 史直(きしもと ふみなお)

<機関窓口>
東京大学大学院工学系研究科 広報室
Tel:03-5841-0235 E-mail:kouhoupr.t.u-tokyo.ac.jp

名古屋大学 総務部広報課
Tel:052-558-9735 E-mail:nu_researcht.mail.nagoya-u.ac.jp

高輝度光科学研究センター(JASRI)利用推進部 普及情報課
Tel:0791-58-2785 E-mail:このメールアドレスはスパムボットから保護されています。閲覧するにはJavaScriptを有効にする必要があります。

(SPring-8 / SACLAに関すること)
公益財団法人高輝度光科学研究センター
 利用推進部 普及情報課
TEL:0791-58-2785 FAX:0791-58-2786
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東京大学大学院工学系研究科 化学システム工学専攻
講師 岸本 史直(きしもと ふみなお)

<機関窓口>
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ウイルス由来のペプチドが細菌の生命必須の装置を止める仕組みを解明
〜薬剤耐性菌克服への重要な手掛かり〜


2025年10月9日
国立大学法人 奈良先端科学技術大学院大学
公益財団法人高輝度光科学研究センター
東京理科大学


発表のポイント

●細菌の生存に必須な細胞壁の部品を輸送する細胞膜のタンパク質MurJに、細菌に感染するウイルス(バクテリオファージ)の小型溶菌ペプチドLysMが直接結合して固定し、輸送機能を阻害する仕組みを解明しました。
● クライオ電子顕微鏡 (cryo-EM)によってMurJとLysMの立体構造を決定し、LysMのMurJ阻害機構を分子レベルで解明しました。
● 強力な溶菌活性を持つLysMは、耐性菌や細菌種に応じた改変型LysMの開発など、新しい抗生物質開発に役立ちます。


奈良先端科学技術大学院大学(学長:塩﨑一裕)先端科学技術研究科バイオサイエンス領域構造生命科学研究室の塚崎智也教授、甲賀栄貴助教、博士後期課程学生(当時) ナパティップ・レプリーダコン、宮崎亮次助教らの研究グループは、高輝度光科学研究センターの重松秀樹主幹研究員、東京理科大学の森貴治准教授との共同研究により、細菌に感染するウイルス(バクテリオファージ注1)が持つ超小型溶菌タンパク質LysMが、大腸菌の必須膜タンパク質MurJに直接結合し、その構造変化を阻害する仕組みを解明しました。
MurJは、細胞壁の部品である前駆体分子「リピドII」を、細胞質から細胞質の外へ運ぶために欠かせない膜タンパク質であり、「内向き構造」と「外向き構造」を交互に繰り返す構造変化を利用して「リピドII」を輸送します。一方、LysMはレビウイルスファージMの溶解遺伝子に由来するタンパク質で、わずか37個のアミノ酸残基からなる小さな膜タンパク質(ペプチド)です。LysMがMurJを阻害すると、細胞壁前駆体リピドIIの輸送が止まり、細胞壁が作れない細菌は生存できなくなります。本研究では、クライオ電子顕微鏡(注2)を用いてMurJ–LysM複合体の立体構造を世界で初めて決定し、LysMが外向き型MurJの割れ目にくさび状に入り込み、MurJの構造変化を妨げる分子機構を明らかにしました。
本研究は、LysMの阻害機構を解明するとともに、抗菌薬開発に役立つ知見を得ました。特に、LysMの特異性を改変することで耐性菌を含む多様な病原性細菌にも作用させられる可能性があり、本研究の構造情報は新しい抗菌薬の開発へとつながります。
本研究の成果は、国際科学雑誌「Science Advances」に2025年10月8日(水)午後2時(ニューヨーク時間)に公開されました。

論文情報
雑誌名:Science Advances
題名:Phage lysis protein LysM acts as a wedge to block MurJ conformational changes(ファージ溶菌タンパク質LysMは、MurJの構造変化をブロックするくさびとして機能する)
著者:Hidetaka Kohga, Napathip Lertpreedakorn, Ryoji Miyazaki, Sixian Wu, Kaito Hosoda, Hiroyuki Tanaka, Yutaro S. Takahashi, Kunihito Yoshikaie, Yutetsu Kuruma, Hideki Shigematsu, Takaharu Mori, and Tomoya Tsukazaki
(甲賀栄貴、 Napathip Lertpreedakorn、 宮崎亮次、 呉思賢、 田中宏幸、 高橋祐太郎、 細田凱斗、 吉海江国仁、 車兪澈、 重松秀樹、 森貴治、 塚崎智也)
DOI:10.1126/sciadv.ady8083


【背景と目的】

真正細菌は、細胞膜の外側に細胞の形を維持するための細胞壁を持っています。ペニシリンなど多くの抗生物質は、この細胞壁の合成を妨げることで効果を発揮します。細胞壁の合成には、細胞質でつくられる前駆体分子「Lipid II(リピドII)」が必要であり、MurJはこのリピドIIを細胞膜の内側から外側へ運ぶために欠かせない膜タンパク質です。MurJは、細胞質側またはペリプラズム側に向かってV字型に開いた「内向き型」と「外向き型」の2つの状態を交互に繰り返すことで、リピドIIを輸送します(図1)。
一方、細菌に感染するウイルス(バクテリオファージ)の中には、宿主の細胞壁を破壊する小型タンパク質を持つものがあります。特に、LevivirusファージM由来の37アミノ酸からなるタンパク質LysM(別名 SglM)は、MurJを阻害して細胞壁前駆体リピドIIの輸送を止め、細胞壁の合成を妨げることで細菌を溶菌させます。しかし、その詳細な阻害機構はこれまで不明でした。本研究では、クライオ電子顕微鏡(cryo-EM)による構造解析を中心に、LysMがMurJをどのように阻害し、リピドIIの輸送を停止させるのかという分子メカニズムを解明することを目指しました。



図1: MurJは、細胞質で合成された前駆体分子リピドIIを、構造を「内向き型」と「外向き型」に切り替えることで膜の外側へ運ぶ。


【研究の内容】

本研究では、LysMがMurJにどのように結合し、その機能を阻害するのかを明らかにするために、MurJとLysMの立体構造解析を行いました。MurJとLysMの複合体(JM(ジャム)複合体: 詰まるという意味をこめてジャム複合体と読む)を精製し、クライオ電子顕微鏡により3.09Å分解能(注3)で複合体の立体構造を決定しました(図2)。得られた構造は、MurJが「外向き型」構造に固定された状態であり、その開口部にLysMがくさび状に結合している様子が可視化されました。LysMは二本のヘリックス(らせん構造)から構成され、膜内に深く埋まる部分と膜表面に沿って配置される部分を持つことが示されました。LysMがMurJの外向き型構造の割れ目にくさびのように入り込むことで、MurJが本来行うべき構造変化を物理的に妨げている様子が明らかになりました。




図2: MurJ/LysM(JM)複合体の立体構造
左:クライオ電子顕微鏡により得られたJM複合体の立体像、灰色はMurJ、マゼンタはLysMを示す。中央: LysM結合MurJの外向き型構造。LysM(オレンジ)、機能に必須なアミノ酸は赤で示している。右:これまでに報告された内向き型構造。


さらにLysMのどの部分が機能に重要かを調べるため、変異体を用いた解析によってLysMの機能に不可欠なアミノ酸残基を同定しました。これらのアミノ酸残基は、構造解析においても直接的に接触する領域であることが確認されました。
また既知の構造との詳細な比較により、LysMは、MurJの構造変化に重要な領域(TM7)に相互作用することが明らかとなりました(図3)。つまり、TM7の構造変化はG239を中心に起きるが、LysMはG239付近に結合することでTM7を直線状に固定化することが判明したのです。LysMの結合は、MurJを外向き型構造に安定化させることが示されました。
一方、これまで報告されている内向き構造では、TM7はG239を中心に大きく折れ曲がっています。このLysMによる安定化は分子動力学計算によってもサポートされました。これらの結果を総合して、LysMはMurJの動きを固定化することでリピドIIの輸送を停止させ、その結果、細胞壁合成を阻害し細菌の生存を妨げるという作用モデルを提案しました。



図3:LysMによるMurJの阻害モデル
(A)内向き型では、細胞質側からリピドIIを取り込む。(B)外向き型ではペリプラズム側に開いてリピドIIを放出する。その後、MurJは再び内向き型に戻り、輸送サイクルを繰り返す。(C)LysMはMurJの外向き型に結合し、TM7に存在する残基の柔軟な動きを制限することで、MurJ構造変化が阻害される。


【今後の展開】

本研究により、LysMがMurJに結合してその動きを阻害する分子メカニズムが明らかになりました。この成果は、細菌が生きるために必須な膜輸送体の動作原理を理解するうえでも大きな意義を持つだけでなく、MurJを標的とする新しい抗菌薬の開発につながります。今後は、この作用メカニズムを基盤として、LysMの宿主特異性を改変し、耐性菌を含む多様な病原性細菌にも応用できるMurJ阻害型の創薬研究を進めていきたいと考えています。


【用語解説】


注1. バクテリオファージ
細菌に感染して増殖するウイルスの総称。細菌の中に入り込み、自身の複製とともに宿主細菌を破壊する性質を持つ。自然界には多様な種類が存在する。


注2. クライオ電子顕微鏡
タンパク質の構造解析に広く用いられている、試料を極低温に冷却し、電子顕微鏡で観察する手法。X線結晶構造解析では困難だった、結晶化が難しいタンパク質の構造解析に大きく貢献している。


注3. 分解能
対象物の細部をどの程度まで識別できるかを示す指標。本稿での高い分解能とは、その値(単位はÅ)がより低いものを指し、それだけ細部まで識別可能になる。


本件に関するお問い合わせ先
<研究に関すること>
奈良先端科学技術大学院大学 先端科学技術研究科 バイオサイエンス領域 構造生命科学研究室
教授 塚崎 智也
研究室紹介ホームページ:https://bsw3.naist.jp/tsukazaki/

奈良先端科学技術大学院大学 先端科学技術研究科 バイオサイエンス領域 構造生命科学研究室
助教 甲賀 栄貴

高輝度光科学研究センター 回折・散乱推進室
主幹研究員・コーディネーター 重松 秀樹

東京理科大学 理学部
准教授 森 貴治
研究室紹介ホームページ:https://www.rs.tus.ac.jp/t.mori/


<報道に関すること>
奈良先端科学技術大学院大学 企画総務課 渉外企画係
TEL:0743-72-5063 FAX:0743-72-5011 E-mail:s-kikakuad.naist.jp

高輝度光科学研究センター 利用推進部 普及情報課
TEL:0791-58-2785 FAX:0791-58-2786 E-mail:このメールアドレスはスパムボットから保護されています。閲覧するにはJavaScriptを有効にする必要があります。

東京理科大学 広報課
TEL:03-5228-8107  E-mail:kohoadmin.tus.ac.jp

(SPring-8 / SACLAに関すること)
公益財団法人高輝度光科学研究センター
 利用推進部 普及情報課
TEL:0791-58-2785 FAX:0791-58-2786
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本件に関するお問い合わせ先
<研究に関すること>
奈良先端科学技術大学院大学 先端科学技術研究科 バイオサイエンス領域 構造生命科学研究室
教授 塚崎 智也
研究室紹介ホームページ:https://bsw3.naist.jp/tsukazaki/

奈良先端科学技術大学院大学 先端科学技術研究科 バイオサイエンス領域 構造生命科学研究室
助教 甲賀 栄貴

高輝度光科学研究センター 回折・散乱推進室
主幹研究員・コーディネーター 重松 秀樹

東京理科大学 理学部
准教授 森 貴治
研究室紹介ホームページ:https://www.rs.tus.ac.jp/t.mori/


<報道に関すること>
奈良先端科学技術大学院大学 企画総務課 渉外企画係
TEL:0743-72-5063 FAX:0743-72-5011 E-mail:s-kikakuad.naist.jp

高輝度光科学研究センター 利用推進部 普及情報課
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TEL:03-5228-8107  E-mail:kohoadmin.tus.ac.jp

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コヒーレントX線により高温下で 金属材料内部のナノスケール構造変化の動画撮像に成功
─金属材料、高分子材料、触媒・電池材料などを高性能化する手法として期待─


2025年9月16日
国立大学法人東北大学
国立大学法人北陸先端科学技術大学院大学
国立研究開発法人 理化学研究所


発表のポイント

●軽量・高強度なマグネシウム合金の加熱実験で、析出物の生成から成長までの過程をナノメートルスケールで“動画のように”リアルタイム観察しました。さらに、個々の析出物の成長速度や方向の定量評価にも初めて成功しました。
●光の位相がそろったコヒーレントX線を用いる複数の計測法とデータ科学的アプローチを組み合わせた新しい解析フレームワークを構築しました。


マグネシウム合金は、実用金属の中で最も軽量かつ高強度であるため、自動車や家電製品、航空機などの構造材料として幅広く利用されています。
東北大学 国際放射光イノベーション・スマート研究センターの高澤駿太郎助教(理化学研究所 放射光科学研究センター イメージングシステム開発チーム 客員研究員)と高橋幸生教授(理化学研究所 放射光科学研究センター イメージングシステム開発チーム チームリーダー)らは、二宮翔助教、星野大樹准教授、西堀麻衣子教授、理化学研究所 放射光科学研究センター放射光機器開発チームの初井宇記チームリーダー、北陸先端科学技術大学院大学 共創インテリジェンス研究領域のダム ヒョウ チ教授らと共同で、コヒーレントX線回折を用いる複数の手法を統合した新しい解析フレームワークを構築しました。この手法を用いることにより、ナノメートル(nm、1 nmは10億分の1 m)からマイクロメートル(µm、1 µmは100万分の1 m)にわたる空間スケールと、数秒から数時間にわたる時間スケールで、析出物の生成・成長・粗大化という一連のプロセスを鮮明に捉えることに成功しました。今回の成果は金属材料にとどまらず、高分子材料、触媒・電池材料など、多様な用途の物質内部で生じる動的現象の解明に応用可能な汎用的フレームワークとして期待されます。
本成果は、2025年9月15日の週(米国東部時間)に「Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America」誌(PNAS、米国科学アカデミー紀要)にオンライン掲載されました。

論文情報
雑誌名:Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America
題名:Spatiotemporal Mapping of Alloy Mesostructure Dynamics via Multimodal Coherent X-ray Diffraction Imaging
著者:Shuntaro Takazawa, Kakeru Ninomiya, Minh-Quyet HA, Tien-Sinh VU, Yuhei Sasaki, Masaki Abe, Hideshi Uematsu, Naru Okawa, Nozomu Ishiguro, Kyosuke Ozaki, Takaki Hatsui, Taiki Hoshino, Maiko Nishibori, Hieu-Chi DAM, and Yukio Takahashi*
*責任著者:東北大学国際放射光イノベーション・スマート研究センター 教授 高橋幸生
DOI:10.1073/pnas.2513369122


【詳細な説明】
研究の背景

マグネシウム合金は、実用金属の中で最も軽量かつ高強度であるため、自動車や家電製品、航空機などの構造材料として幅広く利用されています。その強度をさらに高める手法として、希土類(レアアース)金属などを添加し、金属組織の内部に微細な「析出物」を形成させる方法が知られています。この析出物がどのように生成し、成長していくかを正確に理解し、制御することが、より高性能な合金を開発する鍵となります。
しかし、これらの現象は高温状態の合金内部で起こるため、その様子を「その場(in-situ)」で、かつナノメートルスケールの高い空間分解能で直接観察することは非常に困難でした。従来の透過型電子顕微鏡(注1)を用いた観察では、試料をごく薄く加工する必要があり、厚みのあるバルク材料本来の性質を反映しているか不明であるという課題がありました。そのため、厚みのある試料の内部を、実用環境に近い高温下で、ナノメートルスケールの空間分解能で直接観察できる新しい技術が求められていました。


今回の取り組み

研究グループは、大型放射光施設「SPring-8」(注2)高速積分型X線画像検出器CITIUS(注3)を備えた理研ビームラインBL29XUにて、三角形開口を用いた動的CXDI光学系を構築し、700 Kで加熱保持したマグネシウム-亜鉛-ガドリニウム(Mg97Zn1Gd2)合金試料からの回折強度パターンを取得しました(図1)。試料の一か所にX線を照明し続け、連続的に繰り返し測定した回折強度パターンに対して、X線光子相関分光(XPCS)(注4)動的コヒーレントX線回折イメージング(CXDI)(注5)を適用することで、速いダイナミクスを解析しました。一方、試料を走査して取得した複数枚の回折強度パターンに対して、X線タイコグラフィ(注6)を適用することで、緩やかなダイナミクスを広い視野で解析しました。これらの手法を組み合わせることで、高温下の金属内部で生じる析出物の生成、成長、粗大化という一連のプロセスの観察に取り組みました。
まず、X線タイコグラフィを用いて、Mg97Zn1Gd2合金を700 Kで10時間にわたって加熱保持した際の緩やかな構造の変化を追跡しました(図2)。その結果、合金内部に元々存在していた(Mg, Zn)3Gdという化合物が溶解し、長周期積層構造(LPSO構造)(注7)が析出、粗大化していく様子を明瞭に捉えることに成功しました。
次に、より短い時間スケールで起こる構造の変化を捉えるため、連続取得した回折強度パターンについて、動的CXDIとXPCSによる解析を実施しました。その結果、700 Kで加熱保持を開始してからわずか数十秒で析出物の形成が始まり、その後数百秒かけて粗大化することを明らかにしました(図3(a, b)と図4(a, b))。
さらに、動的CXDIで得られた動画データに対して、オプティカルフロー解析(注8)を適用しました。これにより、個々の析出物がどの方向にどれくらいの速さで成長しているかを可視化し、構造変化の速度を定量的に評価することに成功しました。
これらの結果を統合することで、合金内部で起こる析出物の「生成」「成長」「粗大化」という一連の現象を、複数の時空間スケールにわたって包括的に解明することが可能になりました。(図4(c))


今後の展開

本研究で実証された、複数のコヒーレントX線回折法とデータ科学的解析を組み合わせた方法は、様々な材料内部で起こるナノスケールのダイナミクスを解明する強力なツールとなります。今後は、金属材料だけでなく、触媒、電池、高分子材料など、多種多様な材料の研究開発に応用し、その高機能化に貢献することが期待されます。また、2029年度の利用開始を目指したSPring-8の大規模改修(SPring-8-II)が完了すれば、より高輝度なX線が利用可能となり、本計測法の時間・空間分解能がさらに向上することも期待されます。



図1. Mg合金の加熱その場観察を実施したコヒーレントX線回折実験の模式図
X線領域でレンズの役目を果たすフレネルゾーンプレートを導入しており、試料の位置では、三角形開口と同様の三角形状の強度分布を有するビームが形成される。試料は加熱用の配線が成膜された窒化ケイ素メンブレン上に固定している。



図2. X線タイコグラフィで再構成した試料像
X線タイコグラフィで再構成した試料像。試料内部の暗い領域の空間分布の変化は、(Mg, Zn)3Gdの分解とLPSO構造を含む相の形成を反映している。各再構成像下部にあるスケールバーは5 µm。



図3. XPCSに基づいた構造が変化していく傾向の解析
(a)異なる時間に取得した回折パターン同士の類似度を計算したマップ。対角線に沿った赤色の帯の幅が広いほど、その時間における構造の変化が緩やかであることを示す。
(b)構造が変化する速さの加熱保持時間依存性。図3(a)で取得したマップを解析することで得られる。約400秒を境に減少傾向が変化しており、このタイミングで主な構造の変化が(Mg, Zn)3Gdの分解からLPSO相の成長へと切り替わることを反映している。



図4. 動的CXDIとオプティカルフロー解析
(a)動的CXDIで再構成した試料像。スケールバーは2 µm。
(b)図4(a)に示した試料像から、700 Kに到達する前に取得していた試料像を差し引いた差分画像。加熱保持によってLPSO相が形成されている領域が、緑色の領域として現れている。スケールバーは2 µm。
(c)ある時刻について、オプティカルフロー解析によって得られた変位ベクトル(緑色の矢印)を再構成した試料像に重ねたもの。析出物の成長方向が矢印の向き、速度が矢印の長さによって定量的に可視化されている。上図のスケールバーは2 µm、赤色破線の枠内を拡大した下図のスケールバーは500 nm。

【謝辞】

本研究は、科学研究費助成事業特別推進研究(JP23H05403研究代表者:高橋幸生)、科学研究費助成事業特別研究員奨励費(JP22KJ0302研究代表者:高澤駿太郎)、2024年度SACLA/SPring-8基盤開発プログラムによる助成を受けて行われました。また、Mg97Zn1Gd2合金は、熊本大学先進マグネシウム国際研究センターの山崎倫昭教授より提供されました。試料調製は、板本航輝博士と千葉洋博士の協力のもと行われました。また、本成果に関する論文は『東北大学 2025年度オープンアクセス推進のための APC 支援事業』の支援を受けました。


【用語解説】


注1. 透過型電子顕微鏡
細く絞った電子ビームを試料に照射し、透過したビームから試料構造を観察する顕微法。原子レベルで像観察が可能だが、試料を数百ナノメートル程度まで薄く加工しなければならない。


注2. 大型放射光施設「SPring-8」
兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高性能の放射光を生み出す理化学研究所の施設で、その利用者支援は高輝度光科学研究センターが行っている。SPring-8の名前はSuper Photon ring-8 GeVに由来。放射光とは、電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げた時に発生する強力な電磁波のこと。SPring-8では、遠赤外線から可視光線、軟X線を経て硬X線に至る幅広い波長域で放射光を得ることができるため、原子核の研究からナノテクノロジー、バイオテクノロジー、産業利用や科学捜査まで幅広く研究が行われている。


注3. 高速積分型X線画像検出器CITIUS
理化学研究所らが開発した、高フレームレートと高ダイナミックレンジを兼ね備えた次世代のX線画像検出器システム。これまでに、X線タイコグラフィにおいて高い位相感度および空間分解能が得られることが実験的に確認されている(Y. Takahashi et.al., J. Synchrotron Radiat. 30(5), 2023, p.989. URL: https://doi.org/10.1107/S1600577523004897)。


注4. X線光子相関分光(XPCS)
干渉性の優れたX線(コヒーレントX線)を用いたダイナミクス測定手法。コヒーレントX線を試料に照射して得られる散乱像を時分割で取得し、その時間変化から、試料のダイナミクスを解析する。X線の特徴を活かすことで、可視光に不透明な試料内部の動きを分子スケールで調べることができる。XPCSは、X-ray photon correlation spectroscopyの略。


注5. 動的コヒーレントX線回折イメージング(動的CXDI)
回折強度パターンに位相回復計算を実行し、試料像を取得するイメージング法。重要な特徴として、X線領域において光学素子の性能に制限されない高い空間分解能を有する。CXDIは、coherent X-ray diffraction imagingの略。


注6. X線タイコグラフィ
CXDIの手法のうちの一つ。試料にコヒーレントX線を照射する際、試料面上でX線照射領域が一部重複するように試料を二次元走査し、各走査点において回折強度パターンを取得する。得られた複数の回折強度パターンに対して位相回復計算を実行することで、一枚の試料像を取得する。動的CXDIと比べて速いダイナミクスは観察できないが、広い視野で像観察を行うことができる。


注7. 長周期積層構造(LPSO構造)
遷移金属と希土類金属の濃化した層とマグネシウムの層が一定の周期で並んだ構造。LPSO構造を含むマグネシウム合金は、高強度で軽いため、構造材料としての応用が進められている。LPSOは、long period stacking orderedの略。


注8. オプティカルフロー解析
動画内の物体の動きをベクトルで表現する計算技術。動画データの連続するフレーム間で、ピクセルの移動量を計算し、その方向と速度を捉える。


本件に関するお問い合わせ先
(研究に関すること)
東北大学国際放射光イノベーション・スマート研究センター
教授 高橋幸生

北陸先端科学技術大学院大学
共創インテリジェンス研究領域
教授 DAM Hieu-Chi(ダム ヒョウ チ)


(報道に関すること)
東北大学多元物質科学研究所 広報情報室
TEL: 022-217-5198
Email: press.tagengrp.tohoku.ac.jp

北陸先端科学技術大学院大学 広報室
TEL:0761-51-1032
Email: kouhouml.jaist.ac.jp

理化学研究所 広報部 報道担当
TEL:050-3495-0247
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(SPring-8 / SACLAに関すること)
公益財団法人高輝度光科学研究センター
 利用推進部 普及情報課
TEL:0791-58-2785 FAX:0791-58-2786
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(研究に関すること)
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教授 高橋幸生

北陸先端科学技術大学院大学
共創インテリジェンス研究領域
教授 DAM Hieu-Chi(ダム ヒョウ チ)


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電子の「自転」と「公転」がもつれ合う姿を可視化
――物性起源の解明から量子材料設計へ――


2025年10月8日
東京大学
高輝度光科学研究センター
近畿大学
東北大学
理化学研究所
科学技術振興機構(JST)


発表のポイント

◆スピンと軌道回転運動の間に強い相互作用が働く「4f電子」の空間分布を、世界で初めて 可視化しました。
◆電子のスピン(自転)と軌道回転(公転)が互いに強く結びついた特異な状態を、放射光X線で直接観測しました。
◆磁石材料や量子コンピュータ材料など、次世代技術の基盤となる電子状態の理解に大きく貢献することが期待されます。



スピン-軌道相互作用が強い4f電子の空間分布

東京大学大学院新領域創成科学研究科の鬼頭俊介助教、有馬孝尚教授(兼:理化学研究所創発物性科学研究センター センター長)、高輝度光科学研究センターの中村唯我研究員、近畿大学理工学部 の杉本邦久教授、東北大学金属材料研究所の野村悠祐教授らの研究グループは、東京大学大学院工学系研究科、同大学大学院理学系研究科、理化学研究所との共同で、ランタノイド元素(注1)周りに存在する「4f電子(注2)の空間的な広がりを世界で初めて直接観測しました。
本研究グループは、大型放射光施設SPring-8(注3)(BL02B1ビームライン)でのX線回折実験(注4)と、独自に開発した「コア差フーリエ合成(core differential Fourier synthesis; CDFS)法(注5)という数値解析手法を組み合わせることで、4f電子の空間分布を可視化することに成功しました。4f電子はスピン(自転)と軌道回転(公転)の運動が互いに強く結びついており、その相互作用は物質の磁気的性質や量子材料としての振る舞いを決める重要な要素です。今回の成果は、これまで間接的にしか確認できなかった 4f電子の姿を直接「可視化」したものであり、今後、磁石材料や量子コンピュータ材料の研究開発に貢献することが期待されます。
本研究成果は、米国科学誌『Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America (PNAS)』に、2025年10月6日付で掲載されました。

論文情報
雑誌名:Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America
題名:Visualization of spin-orbit-entangled 4f electrons in crystalline materials
著者:Shunsuke Kitou*, Kentaro Ueda, Yuiga Nakamura, Kunihisa Sugimoto, Yusuke Nomura, Ryotaro Arita, Yoshinori Tokura, Taka-hisa Arima
DOI:10.1073/pnas.2500251122


【これまでの背景・経緯】

私たちの生活に欠かせないスマートフォンや電気自動車、発電機の磁石、発光材料や光通信機器など、多くの先端技術は電子の性質を利用しています。その中でも特に重要なのが「4f電子」です。この4f電子は、4f軌道に入る電子で、外側の軌道にある電子に覆われているため周囲の原子の影響を受けにくい一方で、強いスピン-軌道相互作用を示します。これは、電子のスピン(自転)と軌道回転(公転)運動が強く結びついた状態のことで、物質の磁気的性質や発光特性、さらには量子状態の安定性を決める大きな要因になります。したがって、4f電子の姿を直接とらえることは、物質の性質を理解するうえで重要な手がかりになります。しかし、4f電子の数は原子全体の電子の中では少なく、その信号も非常に弱いため、これまでその分布を直接観測することは困難でした。
本研究グループは、日本最大の放射光施設SPring-8で得られる高エネルギーX線と、独自に開発したCDFS法を組み合わせ、価電子密度分布を高精度に観測することでこの課題を克服しました。ここで重要なのは、観測対象が原子全体の電子ではなく「価電子」である点です。ランタノイド元素の周りには、数個の4f電子(価電子)と54個の内殻電子がありますが、前者のみを選択することで高精度な観測が可能になりました。これまで本研究グループは、遷移金属における3d電子や分子性結晶における結合電子を可視化してきましたが(関連情報)、4f電子の直接観測は世界初の試みです。多数の内殻電子は強い散乱を生みますが、それを第一原理計算(注6)で精密に再現し、その影響を差し引くことで、4f電子の直接観測に挑みました。
研究対象としたのは、パイロクロア型イリジウム酸化物A2Ir2O7A = プラセオジム(Pr)、ネオジム(Nd)、ユウロピウム(Eu))です。これらは量子スピン液体(注7)異常ホール効果(注8)など多彩な量子現象を示すことで知られ、電子状態を直接調べる意義が大きい物質です。CDFS法によって価電子密度分布を可視化した結果、PrやNdの周りでは4f電子が方向によって分布が異なるのに対し、Euでは球対称的な分布が観測されました(図1)。これらはスピン-軌道相互作用と周囲のイオンの影響を考慮した理論計算とよく一致し、スピンと軌道が強くもつれ合ったスピン-軌道相互作用の姿を、世界で初めて実空間で直接捉えたことを示しています。
価電子の分布は物質の性質を決める「設計図」のようなものです。それを直接観測できるようになったことは、磁石や蛍光体の高性能化、量子コンピュータやスピントロニクス素子の開発など、次世代技術の基盤に大きなインパクトを与える成果です。



図1:ランタノイド元素(Pr, Nd, Eu)の周りに存在する価電子密度分布
(上) 各元素(+3価のPr、Nd、Euイオン)の価電子数(2, 3, 6)から予想される軌道角運動量量子数L、スピン角運動量量子数S、全角運動量量子数Jの値。
(下)各元素の原子核周りの4f電子密度の三次元分布。黄色で囲まれた部分はやや密度が高く、オレンジ色で囲まれた領域はさらに密度の高い領域である。J > 0 (Pr3+, Nd3+)では異方的な分布が観測されるのに対し、J = 0 (Eu3+)ではほぼ球対称な分布が観測された。Å(読み:オングストローム)は、1メートルの100億分の1の長さ。

関連情報

プレスリリース①「SPring-8を用いた精密構造解析による分子軌道分布の可視化法を開発、電子状態の直接観測に成功 ―電荷分布観測による新たな分子設計への提案―」(2017/8/7)
http://www.spring8.or.jp/ja/news_publications/press_release/2017/170727/

プレスリリース②「電子の蝶々型の空間分布を1000億分の2メートルの精度で観測! ―放射光X線を用いた電子軌道の新規観測手法を提案―」(2020/10/1)
http://www.spring8.or.jp/ja/news_publications/press_release/2020/201001/

プレスリリース③「結晶中の強く相関する電子雲の振る舞いを解明」(2022/3/25)
http://www.spring8.or.jp/ja/news_publications/press_release/2022/220325_2/

プレスリリース④「異常な「4価の鉄」の酸化物の謎を解明―ついに捉えた電子の不足した酸素イオンの存在―」(2023/8/23)
https://www.k.u-tokyo.ac.jp/information/category/press/10454.html


発表者・研究者等情報

東京大学大学院新領域創成科学研究科
 鬼頭 俊介 助教
 有馬 孝尚 教授
  兼:理化学研究所 創発物性科学研究センター センター長

高輝度光科学研究センター
 中村 唯我 研究員

近畿大学理工学部理学科化学コース
 杉本 邦久 教授

東北大学金属材料研究所
 野村 悠祐 教授


研究助成

本研究はJSPS_科研費(課題番号:JP22K14010、JP23K03307、JP23H04869、JP24H01644、JP24H01649、JP24K00582)、JST 創発的研究支援事業(課題番号:JPMJFR2362)の支援により実施されました。


【用語解説】


注1. ランタノイド元素
原子番号57のランタン(La)から71のルテチウム(Lu)までの15種類の元素の総称。いずれも化学的性質がよく似ており、希土類元素(レアアース)に分類される。


注2. 4f電子
電子は原子核の周りを決まった軌道に分かれて存在する。2022年度以降には高校の化学で学ぶようになった「s軌道」「p軌道」「d軌道」に加えて 、ランタノイド元素ではさらに「f軌道」があり、そのうち4f軌道は原子の奥深くに局在する。この4f軌道に入っている電子のことを4f電子という。


注3. 大型放射光施設SPring-8
理化学研究所が所有する兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高性能の放射光を生み出す大型放射光施設で、利用者支援等は高輝度光科学研究センター(JASRI)が行っている。SPring-8(スプリングエイト)の名前はSuper Photon ring-8 GeVに由来。SPring-8では、放射光を用いてナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究が行われている。


注4. X線回折実験
X線を用いて結晶構造を調べる実験手法の一つ。X線を試料に照射し、どの方向にどのような強さでX線が散乱したかを測ることで、試料の中の原子の並び方や原子間の距離を決定する。


注5. コア差フーリエ合成(core differential Fourier synthesis;CDFS)法
X線回折実験による電子密度解析手法の一種。実験的に得られる情報から、計算で得られる内殻(コア)電子の寄与を差し引くことで、価電子の情報のみを抽出する方法。


注6. 第一原理計算
量子力学の基本法則(シュレーディンガー方程式など)に基づいて、物質の性質を理論的に予測する計算手法。実験データに依存せず、電子の相互作用や結晶構造を入力条件として計算できるため、物質の電子状態やエネルギー準位を予想できる。


注7. 量子スピン液体
通常の磁石では、原子の持つスピンが一定方向にそろって規則的な配列を作る。しかし、強い相互作用や幾何学的なフラストレーションにより、低温になってもスピンが秩序化せずに常にゆらいだ状態が安定することがある 。このような特殊な状態を「量子スピン液体」と呼び、超伝導や量子計算などとの関連でも注目されている。


注8. 異常ホール効果
通常のホール効果では、電流を流した物質に磁場をかけると電圧が垂直方向に発生する。一方、「異常ホール効果」では外部磁場がなくても、物質内部の磁気的な秩序や電子のバンド構造に由来して電圧が発生する。


本件に関するお問い合わせ先
東京大学大学院新領域創成科学研究科
助教 鬼頭 俊介(きとう しゅんすけ)

東京大学大学院新領域創成科学研究科 広報室
Tel:04-7136-5450 E-mail:pressk.u-tokyo.ac.jp

高輝度光科学研究センター
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Tel:06-4307-3007 Fax:06-6727-5288
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Tel:03-5214-8404 E-mail:jstkohojst.go.jp

(JST事業に関すること)
科学技術振興機構 創発的研究推進部
東出 学信(ひがしで たかのぶ)
Tel:03-5214-7276 E-mail:souhatsu-inquiryjst.go.jp

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次世代放射光源のための高性能ビーム入射用磁石を開発


2025年9月10日
高輝度光科学研究センター
理化学研究所


高輝度光科学研究センター(JASRI)加速器部門の高野史郎副部門長、理化学研究所(理研)放射光科学研究センターの田中均副センター長らの共同研究グループは、次世代放射光源のための高性能ビーム入射用磁石を開発しました。
光源性能の大幅な飛躍を目指す次世代リング型光源を実現する上で、損失なく安定なビーム入射を実現することが大きな課題となっていました。そのためには、蓄積ビームに可能な限り近づけてビームを入射することが重要なポイントのひとつとなります。ビーム入射経路の最下流部で用いられる代表的な入射用磁石として、パルスセプタム磁石と呼ばれるものがあります。本研究では、蓄積ビームのすぐ近くからビーム入射を可能にする、超高真空チェンバー内に格納されたパルスセプタム磁石を新たに開発しました。
研究グループは、大型放射光施設SPring-8[1]の大幅な性能向上と電力削減とを同時に満たすグリーン大改修[2]となるSPring-8-Ⅱ計画[3] 、並びに3 GeV高輝度放射光施設NanoTerasu (ナノテラス)[4]への展開を視野に入れて、プロトタイプのパルスセプタム磁石を設計、製作して性能評価を行いました。詳細な磁場測定及び真空試験の結果から、SPring-8-Ⅱ及びNanoTerasuにおいて損失のない安定なビーム入射を実現可能な性能を有することが確認されました。プロトタイプはNanoTerasuの蓄積リング[5]に設置されて、ビーム入射用の磁石として実運用されています。SPring-8-Ⅱ計画において使用する実機の詳細設計が現在進行中です。
本成果は、科学雑誌『Physical Review Accelerators and Beams』のEditors' Suggestionに選定されてオンライン版(9月10日付)に掲載されました。

論文情報
雑誌名:Physical Review Accelerators and Beams
題名:In-vacuum thin eddy-current septum magnet for innovative off-axis beam injection in next-generation light source
著者:Shiro Takano, Kenji Fukami, Takahiro Inagaki, Taiki Iwashita, Chikara Kondo, Mitsuhiro Masaki, Kanichiro Ogata, Masaya Oishi, Yoshiyuki Saito, Masazumi Shoji, Minori Tajima, Kazuhiro Tamura, Tsutomu Taniuchi, Takahiro Watanabe, Hiroshi Yamaguchi, and Hitoshi Tanaka
DOI:10.1103/rvbw-ml5n


【背景】

光源性能の飛躍を目指す次世代放射光源では、電子ビームのエミッタンス[6]を大幅に低減するために蓄積リングにマルチベンドアクロマット(MBA)ラティス[7]を採用します。MBAラティスはエミッタンス低減に大きな効果がある反面、電子ビームが安定に周回できる領域を従来と比べて狭くする欠点があります。
現在のSPring-8ではオフアクシスビーム入射[8]を採用して蓄積ビームから10mm以上離れた場所からビームを入射していましたが、NanoTerasuやSPring-8-Ⅱ計画に代表される次世代放射光源では蓄積ビームのすぐ近く(数mm以内の場所)から、狭くなった安定周回領域の内側にビームを入射する必要がありました。このため、現在のSPring-8で蓄積リングへのビーム入射に使用されているパルスセプタム磁石をそのまま用いることができず、蓄積ビームのすぐ近くからビームを入射可能な新しい磁石の開発が必要となりました。


【研究手法と成果】

パルスセプタム磁石には、入射ビームの軌道を曲げるための強い偏向磁場が近接する蓄積ビームの側に染み出さないように磁場を遮るセプタム板と呼ばれる遮蔽板があります。
現在のSPring-8で用いられているパルスセプタム磁石は大気中に設置され、蓄積ビームが通る超高真空チェンバーとともに使用されます(図1)。入射ビームと蓄積ビームとの間にはセプタム板と真空チェンバーの壁面という物理的な壁が存在するために、この二層の壁の厚さが蓄積ビームのすぐ近くからのビーム入射を困難にしていました。
今回の開発では、パルスセプタム磁石自体を真空チェンバー内に格納する構造を採用しました。入射ビームと蓄積ビームとを隔てる真空チェンバーの壁を撤廃するとともに(図1)、セプタム板を可能な限り薄く設計することで、次世代放射光源のビーム入射の課題を解決しました。
今回開発した新しいパルスセプタム磁石のプロトタイプを図2に示します。セプタム板を可能な限り薄くしビーム入射点において、厚さを0.5mmとしました。磁石の形状を工夫して、セプタム板のすぐ近くまで入射ビームの軌道を曲げるための偏向磁場の強度が減少しないようにすることで、セプタム板に極力近づけてビームを入射できるようにしました。また、入射ビームを偏向するための強い磁場が蓄積ビーム側に染み出して蓄積ビームを擾乱しないように、漏れ磁場を抑制しました。パルスセプタム磁石を格納する真空チェンバーは、蓄積リングの超高真空チェンバーと直接接続されて使用されます。真空チェンバー内を超高真空とするために、ガス放出源となる空気だまり(エアポケット)を生じないように磁石やチェンバー内部を設計しました。
完成したプロトタイプを用いて、入射ビームを偏向するための磁場の分布と偏向磁場の蓄積ビーム側への染み出しについて詳細な測定を行なった結果、蓄積ビームに3mmまで近づけてビームを入射することが可能であること、ビーム電流を一定に保つためのトップアップ入射[9]において蓄積ビームが擾乱を受けないことを確認しました。また、ベーキングと呼ばれる加熱脱ガス処理を行なった結果、8x10-8 Paの超高真空に到達しました。磁場測定及び真空性能試験の結果から、本開発で製作したプロトタイプがSPring-8-Ⅱ計画及びNanoTerasuのビーム入射用磁石として要求される性能を十分に満たすことが確認されました。



図1 ビーム入射経路の末端に用いられるパルスセプタム磁石の構造。従来の構造(左)と、新しい構造(右)



図2 開発したパルスセプタム磁石のプロトタイプ。真空チェンバーの外観(左)と、チェンバー内に格納されたセプタム磁石部(右)。


【今後の期待】

本研究で開発されたプロトタイプは、NanoTerasuの蓄積リングに既に設置されてビーム入射用の磁石として実運用されています。
稼働開始から約四半世紀を経過したSPring-8は、次世代光源へ大幅にアップグレードするSPring-8-Ⅱ計画が始動しました。今回の成果により、SPring-8-Ⅱにおいて損失のない安定なビーム入射、ユーザーの利用実験の妨げとならない透明なトップアップ入射の実現に不可欠な、高性能のビーム入射用磁石の技術が得られました。SPring-8-Ⅱにおいて使用する実機の詳細設計は現在進行中です。
世界的な規模で光源性能の飛躍を目指す次世代リング型光源を建設する機運が高まる中で、ビーム入射の課題を解決するために必要な要素技術となる、蓄積ビームの直近からビーム入射を可能にする革新的な入射用磁石を開発したことが、今回の重要な成果といえます。


【謝辞】

本研究は、文部科学省・次世代加速器要素技術開発プログラムの支援を受けました。


【共同研究グループ】

高輝度光科学研究センター 加速器部門
  高野 史郎 (タカノ・シロウ)
  深見 健司 (フカミ・ケンジ)
  近藤 力  (コンドウ・チカラ)
  正木 満博 (マサキ・ミツヒロ)
  大石 真也 (オオイシ・マサヤ)
  小路 正純 (ショウジ・マサズミ)
  田島 美典 (タジマ・ミノリ)
  田村 和宏 (タムラ・カズヒロ)
  谷内 努  (タニウチ・ツトム)
  山口 博  (ヤマグチ・ヒロシ)
  渡部 貴宏 (ワタナベ・タカヒロ)
理化学研究所 放射光科学研究センター
  田中 均  (タナカ・ヒトシ)
  稲垣 隆宏 (イナガキ・タカヒロ)
株式会社トーキン MSA事業本部
  尾形 敢一郎 (オガタ・カンイチロウ)
  齋藤 喜之 (サイトウ・ヨシユキ)
株式会社NAT/量子科学技術研究開発機構 NanoTerasuセンター
  岩下 大器 (イワシタ・タイキ)


【用語解説】


[1]. 大型放射光施設「SPring-8」
理研が所有する、兵庫県の播磨科学公園都市にある世界でもトップクラスの放射光を生み出す大型放射光施設で、利用者支援などはJASRIが行っている。SPring-8(スプリングエイト)の名前はSuper Photon ring-8 GeVに由来する。放射光を用いてナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究が行われている。


[2]. グリーン、グリーン化
グリーンとは、省エネルギー・省資源で、持続的発展が可能な特性を指し、グリーン化とは、施設やシステムを持続的発展が可能な省エネルギー・省資源な形態に変えていくことを表す。SACLAやSPring-8の利用実験を通じて地球温暖化や天然資源の枯渇などの環境問題に対処するためのイノベーションを創出することで、持続可能な社会の実現に貢献するとともに、施設自体もグリーン化していくことが要請される注1)。 注1)2021年8月23日プレスリリース「SPring-8・SACLA グリーンファシリティ宣言」
https://www.riken.jp/pr/news/2021/20210823_2/


[3]. SPring-8-Ⅱ
SPring-8の大幅な性能向上を目指した次期計画の名称。


[4]. 3 GeV高輝度放射光施設NanoTerasu
国の主体機関である国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構(QST)と地域パートナーの代表機関である一般財団法人光科学イノベーションセンター(PhoSIC)による官民地域パートナーシップという新しい枠組みによって整備・運営する特定先端大型研究施設で、東北大学青葉山新キャンパス内に立地する。最新の円型加速器設計を国内で初めて採用した第4世代放射光施設で、従来の100倍の高輝度化と高コヒーレント化を実現することで、物質構造の解析に加え、機能に影響を与える「電子状態」、「ダイナミクス」等の詳細な解析が可能。


[5]. 蓄積リング
SPring-8やNanoTerasuでは、蓄積リングと呼ばれる大型の円形加速器に電子ビームを蓄積して光速とほぼ同じ速さで周回させて、放射光を発生させている。SPring-8-Ⅱへの大改修では、光源性能向上のため現在の蓄積リングが撤去されて新たな蓄積リングが建設される。


[6]. エミッタンス
ビームの断面積と角度広がりをかけた値で、電子ビームの品質を表す指標の一つ。エミッタンスが大きいと低品質で大きく広がりやすい電子ビーム、エミッタンスが小さいと小さくシャープで良質な電子ビームといえる。単位はnm-radなど。


[7]. マルチベンドアクロマット(MBA)ラティス
ラティスとは、放射光リングを構成する磁石の単位構造のことを指し、ラティスが4以上の偏向磁石から構成され、かつラティスの両端でエネルギー分散関数がゼロに閉じる条件を満たす場合をマルチベンドアクロマット(MBA)ラティスと呼ぶ。エミッタンス([6]を参照)が偏向磁石の偏向角の3乗に依存するため、回折限界光源と呼ばれる最近の低エミッタンスリングでは、マルチベンドアクロマットラティスが採用されている。MBAはmulti-bend achromatの略。


[8]. オフアクシスビーム入射
電子ビームを軌道上に入射させる手法の一つ。電子ビームを直接軌道上に導きたいが、そこには以前に入射した電子ビームが周回している。そこで、周回ビームを弾き飛ばすことなく、軌道上へ入射ビームを落とし込むため、軌道から数ミリずれたところに電子ビームを入射させて、放射減衰で電子ビームの振動を軌道へ収斂(しゅうれん)させる入射方式。


[9]. トップアップ入射
蓄積リングを周回するビームの強度(ビーム電流)は時間の経過とともに徐々に減少していく。そこで、微小な電流分の電子を蓄積ビーム電流の減少に応じて間欠的に入射することにより、ほぼ一定のビームの強度を保つことが可能となる。このような継ぎ足し入射をトップアップ入射と呼ぶ。


本件に関するお問い合わせ先
<発表者>
高輝度光科学研究センター 加速器部門
  副部門長   高野史郎(タカノ・シロウ)

理化学研究所 放射光科学研究センター
  副センター長 田中 均(タナカ・ヒトシ)

<機関窓口>
高輝度光科学研究センター
 利用推進部 普及情報課
Tel: 0791-58-2785
Email: このメールアドレスはスパムボットから保護されています。閲覧するにはJavaScriptを有効にする必要があります。

理化学研究所 広報部 報道担当
Email: ex-pressml.riken.jp

(SPring-8 / SACLAに関すること)
公益財団法人高輝度光科学研究センター
 利用推進部 普及情報課
TEL:0791-58-2785 FAX:0791-58-2786
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高輝度光科学研究センター 加速器部門
  副部門長   高野史郎(タカノ・シロウ)

理化学研究所 放射光科学研究センター
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(SPring-8 / SACLAに関すること)
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