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新種の磁石に光を当てる 高機能な有機磁性材料の実現に期待
2025年7月10日
国立大学法人東北大学
公益財団法人高輝度光科学研究センター
関西学院大学
【発表のポイント】
●新種の磁石の候補とされる有機系結晶の光学特性から磁気的性質とその起源を明らかにしました。これにより、一般に弱い磁性しか示さない有機系物質においても、高機能な磁気デバイスの実現が期待されます。
●有機磁性体(磁石)の光学特性を測定するために、磁性体に限らずあらゆる物質に適用可能な光の反射に関する簡潔な一般公式を厳密に導出し、それに基づく測定法を開発しました。これは従来極めて複雑だったあらゆる物質における光学特性を計測する新しい手法の開拓にも繋がります。
磁石に光を当てると、その光はどうなるでしょうか。もちろんどんな磁石でも光は反射します。そして、反射光から磁石の性質を知ることができます。では、どんな磁石からの反射光でもその性質を知ることができるかというと、これまではそうではありませんでした。近年見つかった「くっつかない」タイプの磁石がまさにそれに該当し、その解明には学術と応用の両面からの期待が高い一方で、その性質を光で調べるためには大きな壁がありました。東北大学金属材料研究所の井口敏 准教授、高輝度光科学研究センターの池本夕佳 主幹研究員、森脇太郎 主幹研究員、関西学院大学理学部物理・宇宙学科の伊藤弘毅 教授、東北大学理学研究科物理学専攻の岩井伸一郎 教授、東北大学金属材料研究所の古川哲也 助教、佐々木孝彦 教授からなる研究グループは、新種の磁石の候補とされる有機結晶に、新たに求めた光に関する一般公式を適用し、その磁気的性質と起源を解明しました。 |
【詳細】
研究の背景
一般的に知られている磁石は互いにくっつきますが、世の中には近くに置いてもくっつかない磁石があります。最近の研究により、後者のくっつかない磁石には2種類が存在すること、その内の1つは新種の磁石であることが分かりました。それは交替磁性体と名付けられ、学術と応用の両面から注目されています。交替磁性体は第3の磁性体(磁石)とも言われています。第1は強磁性体と呼ばれる通常のくっつく磁石で、第2は反強磁性体と呼ばれ、物質内でミクロな棒磁石のNS極が反対向きに交互に並ぶ構造を有しており、どのようにしてもくっつかない磁石です。第3の磁性体である交替磁性体は第2の反強磁性体に似てくっつかないタイプである一方で、第1の強磁性体に似た特徴も持っています。つまり、磁石としては弱いにもかかわらず、強い磁石のように磁気を帯びた電流を流すこともある不思議な磁石です。そのためこれまで反強磁性体として「間違って」分類されていた物質がたくさんあることが分かってきました。そこで、その不思議な性質を解明することが学術的に注目されており、また応用面では強磁性に似た性質を利用した高機能なデバイスを実現することが期待されています。ここで重要なのは、その性質は重い元素の磁気的相互作用が必須ではないということです。そのため、軽い元素でできた環境負荷の小さい有機結晶でも良いと言うことができます。このたびの研究では、研究グループは有機系の交替磁性体の候補物質に着目しました。
今回の取り組み
研究グループは、有機分子でできた交替磁性体の候補κ-(BEDT-TTF)2Cu[N(CN)2]Cl (図1)の交替磁性的な不思議な機能を磁気光学カー効果(注1)という現象を観測して明らかにしようと考えました。第1の磁性体である強磁性体に光をあて、その反射光を調べると、光電場の振動方向(偏光(注2)と呼ぶ)が回転していることが分かります。磁気光学カー効果はこの偏光の回転現象のことで、MOディスクやMDなどの記録媒体で利用されてきた現象です。記録媒体で利用できる理由は、磁極NSが反転していると偏光の回転方向が逆になるため記録ビットの違いが分かるからです。第2の反強磁性体ではこの現象は起こらない一方で、第3の交替磁性体は第1の強磁性体と性質が似ており同現象が起こると理論的には指摘されていますが、実験的に正確に検証することは困難です。例えば、直方体の結晶構造を持つ物質で磁気光学カー効果を測定すると、図2のように傾いた楕円であることまでは分かります。ところが、その結果から磁性の情報をより明確に引き出すための物性量(非対角光学伝導度(注3)と呼ぶ)を計算する方法は確立していませんでした。立方体のように90度回転しても同じ構造である物質の場合は問題ありません。この場合の楕円の傾きと膨らみ具合の測定値から非対角光学伝導度を求める「限定的な」公式はこれまでも広く知られています。しかし、今回取り扱った有機結晶の構造は直方体であるため、この「限定的な」公式を用いることができません。そこで研究グループは、電磁気学で最も重要な基礎方程式であるマクスウェル方程式(注4)から、直方体だけでなく平行四辺形のように歪んだ結晶にも適用可能な「一般公式」(図3)を導出しました。これにより、ようやく目的物質の磁気光学カー効果が測定でき、その非対角光学伝導度をスペクトルとして正しく求めることに成功しました。スペクトルとは周波数依存性のことで光の場合は色の違いによる強度分布と捉えることができます。また、測定は大型放射光施設SPring-8(注5)の赤外物性ビームラインBL43IR(注5)で行いました。 得られた非対角光学伝導度スペクトル(図1)には3つの特徴があることが分かりました。1つはスペクトルの端に磁極状態の差を示すピークがあることです。磁石としてはくっつきませんが、ミクロに観察するNS極が反対に並んでいることが確認できます。別の2つの特徴はスペクトルの中間部にあります。図1では非対角光学伝導度を複素数(実部と虚部)で表しています。実部は楕円の傾きに対応しており、一般的には偏光の回転や結晶の歪みを表します。今回の結果では交替磁性に関わる結晶の歪みを検出しました。一方、虚部は楕円の膨らみに対応しており、反射光の傾きが時間的に遅れることを表します。これは光によって物質内に生じた電流が回転する効果とみなすことができます。このように、「一般公式」から非対角光学伝導度を正しく求めることで、交替磁性体の磁性、結晶歪み、電流回転という異なる起源がそれぞれ明らかになりました。
今後の展開
本研究の主な成果として、以下の2点をあげることができます。
第一に、あらゆる物質に適用可能な光学公式を導出したことで、楕円偏光の測定から非対角光学伝導度を得るための原理を確立することができました。第二に、それを有機交替磁性体に適用し、得られた非対角光学伝導度スペクトルから、さまざまな性質を明らかにすることができました。これらの成果から学術および応用上の波及効果が得られると期待できます。学術面では、非対角光学伝導度は磁性の調査に欠かせない物性量の1つであるため、基礎物性の研究対象の幅と深さが格段に広がります。特に、スペクトルを定量的に求めることで、対称性など定性的な性質だけでは分からないような具体的な磁性関連メカニズムの解明に大きく役立ち、「第3の磁石」の新発見に繋がります。さらに、非対角光学応答には磁気光学効果だけでなく磁気と無関係なキラル物質(注6)の光学活性(注6)もあるため、これらの精密な計測により学術的な理解が大きく前進すると考えられます。応用面では、本研究で得られた光学公式と測定原理は個々の物質には依存しない一般的なものであるため、これらを用いることで楕円偏光解析(エリプソメトリ)(注1)などに関連する光学計測技術の精密化への貢献が期待されます。
【謝辞】
本研究は、科学研究費補助金、学術変革領域研究(A)(代表:佐々木孝彦、JP23H04015)、基盤研究(B)(代表:佐々木孝彦、JP23K25811)、基盤研究(B)(代表:伊藤弘毅、JP23K22420)、挑戦的研究(萌芽)(代表:古川哲也、JP23K17659)基盤研究(C)(代表:井口敏、JP23K03271)、基盤研究(B)(代表:佐々木孝彦、JP23H01114)、 基盤研究(B)(代表:伊藤弘毅、JP22H01149)、および高輝度光科学研究センター、SPring-8において赤外ビームラインBL43IRを用いた課題(2024B1236, 2024A1193, 2023B1489, 2023B1397, 2023A1462, 2023A1229, 2022B1514, 2016A0073)の支援を受けました。
【用語解説】
※1. 磁気光学カー効果、カー回転角、カー楕円率、楕円偏光解析
図2のように、磁性体に直線偏光(注2)を照射すると反射光の電場が傾いた楕円偏光(注2)になり、磁極(NS)が反転すると回転方向が逆になります。この現象を磁気光学カー効果といい、その名称は発見者のジョン・カー(John Kerr)に由来します。楕円の傾き角をカー回転角、楕円の膨らみ具合をカー楕円率といいます。一方、楕円偏光自体は磁性と無関係であり、楕円偏光の測定、解析を行うことを楕円偏光解析またはエリプソメトリと呼び、測定物の屈折率などを知るために用いられます。
※2. 直線偏光、楕円偏光
光の電場がどのように振動するかを表したものです。直線偏光は光電場が直線的に振動する光で、楕円偏光は図2のように楕円に沿って振動します。
※3. 非対角、対角の光学伝導度
対角とは、図3の反射率行列の中だとrxやryのように左上から右下へ対角線上に並んだ要素です。非対角は残りのrxyやryxのようなx(横)成分とy(縦)成分を入れ替える要素で、一般に回転や歪みの効果を表します。対角、非対角ともに図3上段の量の全てにあります。
※4. マクスウェル方程式
ニュートンの運動方程式と並ぶ古典物理学の基本方程式で、光も含め電気と磁気の現象を説明する4つの方程式です。
※5. 大型放射光施設SPring-8、赤外物性ビームラインBL43IR
理化学研究所が所有する兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高性能の放射光を生み出す大型放射光施設で、利用者支援等は高輝度光科学研究センター(JASRI)が行っています。SPring-8(スプリングエイト)の名前はSuper Photon ring-8 GeVに由来。SPring-8では、放射光を用いてナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究が行われています。BL43IRでは赤外放射光を使用した実験が可能です。
※6. キラル物質、光学活性
キラルは掌性ともいい、キラル物質には通常、右手と左手の関係に対応する2種類があります。ショ糖や酒石酸は有名なキラル物質で、光を通すとその偏光が回転しますが、左右が異なると回転方向が逆になります。このような現象を光学活性といいます。
※7. 光弾性変調器
石英ガラスなどでできた光学素子で、屈折率を電気的に制御することで、透過光の偏光状態を変化させることができます。図2の実験では、楕円偏光を傾いた直線偏光と傾いていない楕円偏光に分離するために使用しています。
本件に関するお問い合わせ先 |
本件に関するお問い合わせ先
【問い合わせ先】
(研究に関すること)
東北大学 国際放射光イノベーション・スマート研究センター (SRIS)
特任准教授 井口敏
関西学院大学理学部物理・宇宙学科
教授 伊藤弘毅
(報道に関すること)
東北大学金属材料研究所
情報企画室広報班
TEL: 022-215-2144
Email: press.imrgrp.tohoku.ac.jp
高輝度光科学研究センター(JASRI)
利用推進部 普及情報課
TEL: 0791-58-2785
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学校法人関西学院
広報部企画広報課(担当:中谷、和田)
TEL: 0798-54-6873
Email: kg-kohokwansei.ac.jp
(SPring-8 / SACLAに関すること)
公益財団法人高輝度光科学研究センター
利用推進部 普及情報課
TEL:0791-58-2785 FAX:0791-58-2786
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高品質単結晶によりIGZOの本質的な電子状態を解明
~次世代ディスプレイの性能向上に新たな指針を提供~
2025年7月9日
東京理科大学
高輝度光科学研究センター
研究の要旨とポイント
➢光フローティングゾーン法により作製された高品質なInGaZnO4(IGZO)単結晶に対して、硬X線光電子分光(HAXPES)実験を行い、バルク固有の電子状態を明らかにしました。
➢これまで結晶中にランダムに存在すると考えられていた酸素欠陥について、In原子の周囲に優先的に形成されていることを発見しました。
➢バンドギャップ内に存在するサブギャップ状態について、伝導帯下端近傍は酸素欠陥に起因する一方、価電子帯上端近傍は結晶性の低下とも密接に関連していることを見出しました。
➢さらなる研究の発展により、次世代ディスプレイや透明エレクトロニクスデバイスの性能向上に向けた新たな設計指針が得られることが期待されます。
東京理科大学 先進工学部 物理工学科の芝田 悟朗助教(研究当時、現日本原子力研究開発機構)、齋藤 智彦教授、宮川 宣明教授、高輝度光科学研究センター 分光・イメージング推進室 光電子分光計測チームの保井 晃主幹研究員らの共同研究グループは、硬X線光電子分光法(HAXPES)(*1)により、InGaZnO4(IGZO)単結晶の電子状態を解析し、結晶中の酸素欠陥がIn原子の周囲に偏って存在していることを明らかにしました。また、バンドギャップ内に形成されるサブギャップ状態(*2)が、酸素欠陥に加えて、単結晶やアモルファスなどの結晶性と深く関連していることを見出しました。 |
図 InGaZnO4の結晶構造、単結晶(As-grown試料とAnnealed試料)写真、およびIn 3d内殻・価電子帯HAXPESスペクトル
【研究の背景】
透明導電性酸化物は、太陽電池やディスプレイデバイスへの応用から注目を集めており、その中でも、InGaZnO4(IGZO)は、優れた電気伝導性と大きなバンドギャップを持つため、広く研究されています。しかし、IGZOを使用した薄膜トランジスタ(TFT)において、デバイスの不安定性、特に、光照射下負バイアス負荷不安定性(NBIS)(*4)が課題となっています。この現象は、バンドギャップ内にキャリアを捕える「サブギャップ状態」が形成されていることを示唆しており、実際に伝導帯下端近傍および価電子帯上端近傍にサブギャップ状態が形成されていることが光学測定や光電子分光法により実験的に確認されています。
サブギャップ状態の起源を解明するため、これまでにさまざまな研究が行われてきましたが、従来研究の大半はアモルファスIGZOを対象としていました。その主な理由の一つは、物質本来の物性測定が可能な大型IGZO単結晶が入手困難だったためです。このような背景から、IGZO単結晶の本質的な電子構造は十分に解明されていませんでした。
近年、宮川教授らが光フローティングゾーン法により、高品質なIGZO単結晶の合成に成功したことで、IGZOの物性を詳細に評価することが可能となりました。そこで、本研究グループは、硬X線光電子分光測定(HAXPES)を用いて、サブギャップ状態を含むIGZOの詳細な電子構造を明らかにしようと試みました。
【研究結果の詳細】
① As-grown試料とAnnealed試料の作製
光フローティングゾーン法により、IGZO単結晶を作製しました。酸素欠陥の影響を検討するため、作製した結晶(As-grown試料)に加え、酸素雰囲気下でアニールした結晶(Annealed試料)を準備しました。結晶中の酸素欠陥によって生成された電子キャリアは赤色光を吸収して青色光を透過させるため、結晶は青く見えます。そこで、研究グループは単結晶の色の変化を酸素原子が欠陥を埋める指標として用いました。そのため、As-grown試料の青みがかった色が完全に消えて透明になるまで、0.1 MPaの酸素圧力下、1000℃でアニールしました。
② HAXPES実験
HAXPES実験は、大型放射光施設SPring-8のBL09XU(一部BL47XU)において、入射光エネルギー7.9 keVを用いて実施しました。測定用の清浄表面は高真空中で単結晶試料を劈開することで準備しました。また、全ての測定は室温で行われました。
②-1 酸素欠陥分布の評価
内殻HAXPESスペクトルを詳細に解析することで、As-grown試料とAnnealed試料の酸素欠陥の分布を評価しました。その結果、Annealed試料ではIn、Zn、Ga陽イオンの環境が一様であるのに対し、As-grown試料では酸素欠陥に起因する2つの異なる陽イオン環境が存在することが明らかとなりました。これらは、酸素欠陥に隣接する陽イオンサイトと酸素欠陥から離れた陽イオンサイトを表しています。また、As-grown試料のIn 3dスペクトルの非対称性が他のスペクトルよりも顕著であることから、酸素欠陥がInO2層に優先的に形成されることが判明しました。この結果は、InO2層における酸素欠陥の形成エネルギーがGaZnO2層よりも小さいとする理論計算の結果とも一致しています。
②-2 サブギャップ状態形成の評価
価電子帯HAXPESスペクトルの測定結果から、As-grown試料において、伝導帯下端近傍のサブギャップ状態の形成が確認されました。この状態は過去の研究においても確認されており、酸素欠陥による伝導帯下端の局在化、格子間水素、酸素欠陥によって形成される陽イオン-陽イオン結合など、いくつかのメカニズムが理論的に提案されていました。一方、Annealed試料では、このサブギャップ状態の形成が確認されなかったことから、酸素欠陥に関連していることが明らかとなりました。
また、As-grown試料とAnnealed試料の価電子帯上端近傍のサブギャップ状態が、アモルファス試料と比較して、大幅に抑制されていることがわかりました。以上の結果から、これらサブギャップ状態の形成には、酸素欠陥だけでなく、結晶性の低下も大きく影響していると結論付けました。
本研究を主導した東京理科大学の齋藤教授は、「本研究は、学科の同僚である宮川教授がInGaZnO4の単結晶作製に成功したことを受けて、その基本的な電子構造を把握することを目的としてスタートした研究です。内殻HAXPESスペクトルの解析から酸素欠陥の分布が明らかになるとは、全く予想していませんでした。このような『予測不能な発見』こそが研究の面白さであり、大きな動機付けとなっています」と、コメントしています。
※本研究は、日本学術振興会(JSPS)の科研費(17K05502, 21K04909)の助成を受けて実施したものです。また、SPring-8における放射光実験は、公益財団法人高輝度光科学研究センターの承認の下、実施されました(2018A1013, 2018B1049, 2018B1025, 2019A1433, 2019B1013, 2020A1258, 2020A1008, 2021A1415, 2021B1029, 2021B1457) 。
【発表者】
芝田 悟朗 東京理科大学 先進工学部 物理工学科 助教(研究当時、現 日本原子力研究開発機構)
齋藤 智彦 東京理科大学 先進工学部 物理工学科 教授
宮川 宣明 東京理科大学 先進工学部 物理工学科 教授
保井 晃 高輝度光科学研究センター 分光・イメージング推進室 光電子分光計測チーム 主幹研究員
【用語解説】
※1. 硬X線光電子分光法(HAXPES: Hard X-ray Photoemission Spectroscopy)
物質に硬X線(光エネルギーの高いX線)を照射し、その際に飛び出てくる電子の運動エネルギーを測定することにより、電子の状態を調べる表面分析法。硬X線を光源として使用することで、紫外線や軟X線(光エネルギーの低いX線)を光源とする従来の光電子分光法より深い物質内部(バルク)の電子状態を調べることができる。
※2. サブギャップ状態
本来電子が存在できないはずのバンドギャップ(禁制帯、価電子帯上端~伝導体下端のエネルギー帯)内に現れる電子準位。格子欠陥や不純物などの影響により形成される。材料の電気特性に大きな影響を与えるため、品質評価や性能向上において重要な指標となる。
※3. 光フローティングゾーン法
単結晶を育成する方法の一つ。原料となる多結晶の一部を光により融解させ、融解した部分を表面張力で保持しながら、原料棒と種結晶を相対的に移動させることで種結晶を成長させる。坩堝を使用しないため、不純物の混入が少なく、高純度の単結晶を育成できる。
※4. 光照射下負バイアス負荷不安定性(NBIS)
光照射下でトランジスタのゲート電極に負バイアスを加えると、しきい値電圧が時間とともに負方向へと変化していく現象。ディスプレイ素子において、NBISが進行するとトランジスタが本来のオフ状態を維持できなくなり、画素の切り替え制御が不能となるため、表示品質に深刻な影響を及ぼす。
本件に関するお問い合わせ先 |
本件に関するお問い合わせ先
【研究に関する問い合わせ先】
東京理科大学 先進工学部 物理工学科 教授
齋藤 智彦(さいとう ともひこ)
【報道・広報に関する問い合わせ先】
東京理科大学 経営企画部 広報課
TEL: 03-5228-8107 FAX: 03-3260-5823
E-mail: kohoadmin.tus.ac.jp
公益財団法人高輝度光科学研究センター(JASRI) 利用推進部 普及情報課
TEL: 0791-58-2785 FAX: 0791-58-2786
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(SPring-8 / SACLAに関すること)
公益財団法人高輝度光科学研究センター
利用推進部 普及情報課
TEL:0791-58-2785 FAX:0791-58-2786
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- 投稿者: Super User
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電気の力でココアバターの結晶をコントロール!
〜美味しくて健康的なチョコレート製造へ貢献〜
2025年6月13日
広島大学
高輝度光科学研究センター
【本研究成果のポイント】
・ココアバターがもつさまざまな結晶の構造(=結晶多形)を、電気の力(外部電場)によってコントロールし、口どけの良い結晶を生成することに成功しました。
・口どけの良さにつながるV型結晶の生成には、外部電場を加えるとともに、適切な周波数を加えることが重要です。
・口どけの良い(微細な結晶の)美味しいチョコレート製造への応用に期待されます。
広島大学大学院統合生命科学研究科 小泉 晴比古 准教授、上野 聡 教授、羽倉 義雄 教授、高輝度光科学研究センター 関口 博史 主幹研究員(チームリーダー)、青山 光輝 主幹技師の共同研究グループは、チョコレートの美味しさを左右する重要な要素であるココアバターの結晶多形(※1)について、外から電気を加える外部電場を適用することで、美味しい口どけをもたらすⅤ型という結晶への変化(多形転移)を促進できることを明らかにしました。 |
【背景】
チョコレートの美味しさ、特に「口どけの良さ」は、ココアバターに含まれる結晶の状態(結晶多形)によって決まります。ココアバターには Ⅰ型から Ⅵ型 まで6種類の結晶多形がありますが、最も望ましいとされるのが、人間の口の温度(33 ℃)に近い温度で融解するⅤ型です。美味しいチョコレートを作るためには、このⅤ型をいかに正確に生成・制御するかが非常に重要です。加えて、Ⅴ型の結晶サイズを細かくすることも、より良い舌触りや食感を実現するために不可欠です。
これまで、金属や酸化物といった無機物質やタンパク質といった有機物質の結晶化において、応力場(力の加え方)、磁場、電場、電磁場などの外からの影響(外場)を応用して制御する試みが行われてきました。中でも電場は、比較的弱い強度でも効果が得られるため、大型の装置を必要とせず結晶化を制御できるという利点があります。本研究は、この電場の利点に着目し、ココアバターの結晶多形制御、特にⅡ型からⅤ型への多形転移の促進を目指しました。
【研究成果の内容】
本研究では、ココアバターのⅡ型からⅤ型への多形転移に対する外部電場の効果を詳細に調べました。ココアバターに3000 V/cmの外部電場を1週間加え、多形転移頻度を調査しました。ココアバターの結晶多形の特定には、兵庫県にある大型放射光施設「SPring-8」のビームラインBL40XUを使用しました。非常に細くて強いX線を使ってココアバターの結晶の形や微細な構造を詳しく調べるための実験装置です。まず、光学顕微鏡像で示されている白い球状の晶出物が、ココアバターのⅤ型であることが、SPring-8のBL40XUを用いて、明らかとなりました。そして、このココアバターのⅤ型である白い球状の晶出物を観察すると、外部電場(3000 V/cm)を加えることで、Ⅱ型からⅤ型への多形転移頻度が促進することが確認されました。また今回のケースでは、ココアバターのⅤ型の誘電率がⅡ型の誘電率よりも小さいために電場によって多形転移頻度が促進したと熱力学的に解釈できます。実際にココアバターのⅡ型とⅤ型の誘電率を測定し、熱力学的な解析と整合することも示されました。
さらに、多形転移の促進効果は、加える電場の周波数に依存し、10 kHzの周波数では外部電場を加えなかった時と比べ、約2.85倍まで増加しました。しかし、周波数が1 MHz以上になると効果は著しく減少し、5 MHzでは効果がほぼ消失しました。ココアバターの誘電率の周波数依存性の測定において、1 MHzあたりで誘電率の減少(誘電緩和)(※3)が観察されました。このことから、1 MHz以上の周波数では、結晶界面で形成されていた電気二重層が不安定になったり、消失したりすると考えられます。
つまり、ココアバターの多形転移を効果的に制御するためには、単に電場をかけるだけでなく、電気二重層の形成と安定性を考慮し、適切な周波数で電場を加えることが重要であることが分かりました。この技術を用いることで、口どけの良いⅤ型の微細な結晶を効率的に生成することが可能になります 。
電場ありでは、Ⅴ型が増加し多形転移頻度が促進されている。
【今後の展開】
本研究で得られた、外部電場によるココアバターのⅡ型からⅤ型への多形転移の促進の知見は、きめ細かいⅤ型結晶の生成を制御し、より優れた口どけを持つチョコレート製造技術の発展に貢献することが期待されます。特に、電気二重層の安定性を考慮した周波数や電場条件の最適化が、更なる結晶多形制御の鍵となります。また、外部電場がココアバターの粘度を低下させ、低脂肪化にも貢献する可能性が報告されています。チョコレートの原料は、カカオマスや砂糖といった粉体を加えることで粘度が高くなり、製造時にパイプの詰まりなどの問題が生じやすくなります。通常はココアバターを追加して粘度を下げる(追油)ことで対応していますが、外部電場によって追油せずに粘度を低下させることができれば、ココアバターの使用量を削減でき、低脂肪チョコレートの製造が可能になります。このように本技術を応用して、美味しさと健康を両立させた新しいチョコレート製品の開発にも貢献できると考えています。
【用語解説】
※1. 結晶多形
同じ化学組成を持つ物質が、分子の配列が異なる結晶構造をとる現象。ココアバターでは、Ⅰ型からⅥ型の6つの結晶多形が存在し、Ⅰ型が最も熱力学的に不安定で、Ⅵ型が熱力学的に最安定となっている。
※2. 電気二重層
物質の表面にプラスの電気が溜まると、その近くにマイナスの電気が引き寄せられてできる薄い二重構造。これが表面の電気の状態を安定させ、外部からの電気の影響を調節する。本研究では、ココアバターの結晶界面に形成される電荷の分布を指す。
※3. 誘電緩和
電場をかけた際に物質内の電荷の再配置が遅れる現象。特定の周波数で誘電率が変化し、エネルギー吸収が起こる。
本件に関するお問い合わせ先 |
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<研究に関すること>
広島大学 大学院統合生命科学研究科 准教授 小泉晴比古(こいずみ はるひこ)
公益財団法人高輝度光科学研究センター 放射光利用研究基盤センター
主幹研究員 関口博史(せきぐち ひろし)
<広報・報道に関すること>
広島大学 広報室
TEL:082-424-6762
E-mail:kohooffice.hiroshima-u.ac.jp
高輝度光科学研究センター(JASRI)利用推進部 普及情報課
TEL:0791-58-2785
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(SPring-8 / SACLAに関すること)
公益財団法人高輝度光科学研究センター
利用推進部 普及情報課
TEL:0791-58-2785 FAX:0791-58-2786
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- 参照数: 386
極薄の形状可変ミラーを実現!
X線ビームの大きさが3400倍変化
2025年6月27日
名古屋大学
理化学研究所
大阪大学
【本研究のポイント】
・厚みがわずか0.5mmの圧電単結晶ウエハ注1)のみで形状可変ミラーを作製。
・X線ビームサイズを世界で初めて3400倍以上変化させることに成功。
・ビームサイズなどの光学パラメータを大きく変えることにより、多機能型X線分析の実現が期待される。
名古屋大学大学院工学研究科の井上 陽登 助教、松山 智至 教授(兼:大阪大学大学院工学研究科招へい教授)、理化学研究所放射光科学研究センターの矢橋 牧名 グループディレクター、香村 芳樹 チームリーダーらの研究グループは、薄い圧電単結晶ウエハ1枚のみで構成された形状可変ミラーの作製に成功しました。形状可変ミラーはさまざまな分野で活用されており、近年X線集光システムにおける光学パラメータ可変レンズ注2)として注目されています。しかし、これまでにもさまざまな形状可変ミラーが開発されてきましたが、変形量の大きさが十分ではありませんでした。その理由として、変形量を大きくするためにはミラーの厚みを可能な限り薄くする必要がありますが、従来のミラーは異種材料の接合が不可欠なため、構造的に限界がありました。そこで本研究グループは、圧電単結晶であるニオブ酸リチウム(LN)の分極反転特性注3)に着目しました。LNは約1000℃の高温で加熱されると、分極構造が一部変化します。この特性を利用すると接合することなくバイモルフ構造注4)を形成できるため、ミラーの厚みを極限まで薄くすることが可能となります。実際に、厚みが僅か0.5mmのミラーを開発し、その形状を制御することで、X線ビームサイズを3400倍変化させることに成功しました。本成果によりビームサイズなどの光学パラメータを大きく変えることで、X線分析の視野や分解能を変更できるだけでなく、分析手法を切り替えることができる多機能型X線分析が可能となります。また、本ミラーは更なる薄型化が可能であり、例えば0.01mmオーダーまで薄くできます。その場合の変形量は、本成果よりもさらに100倍程度大きくなると計算されるため、X線領域だけでなく、可視光など幅広い波長領域で活用できると期待されます。 |
図1 本研究の概要図
【研究背景と内容】
形状可変ミラーは反射面の形状を調整することで、ミラーに反射された光の局所的な向きを制御することができます。そのため、宇宙望遠鏡や網膜イメージング、高強度レーザーの補償光学システムなど、さまざまな用途で活用されており、近年X線領域でも注目されています。従来のX線用レンズは電子顕微鏡の電磁レンズのように光学パラメータを変えることができないため、実験条件がX線用レンズの設計値に制限されていましたが、形状可変ミラーを用いることでこの問題を解決することができます。しかし、従来の形状可変ミラーには、変形量を大きくできない課題がありました。従来型では、変形の駆動源である圧電素子(電圧を加えると変形する材料)と、光を反射するミラー基板の異種材料を接合する必要があるため、形状可変ミラー全体の厚みを薄くできません。変形量は、厚みが薄いほど大きくなるため、ミラーの構造的な限界がありました。
そこで研究チームは、ニオブ酸リチウム(LN)の分極反転特性に着目しました。LNは圧電単結晶であるため、変形の駆動源にできます。さらに、研究チームはこれまでの開発において、LNの表面を光の反射面として利用できるレベルまで超平滑化できることに気付き、LNのみで構成されたX線形状可変ミラー(LNミラー)を実現してきました(2024.5.8プレスリリース)。その一方で、LNミラーは均一な分極構造を有するため、このままでは数nm程度しか変形できず、光学パラメータを変更する目的において不十分です。変形量を大きくするためにはバイモルフ構造の形成が不可欠ですが、結局接合が必要になってしまいます。この課題を解決するために本研究では、 LNの分極反転特性を利用しました(図1)。 LNは約1000℃の高温で加熱されると、分極構造が一部変化します。この特性により、接合することなくバイモルフ構造を形成できるため、ミラーの厚みを極限的に薄くすることができます。実際にミラーを作製し変形量を評価したところ、マイクロメートルを超える大変形が可能であることを確認しました(図2(a))。変形精度もナノメートルオーダーとX線を集光するにあたって十分な精度であり、ビームサイズを3400倍変化させることに成功しました(図2(b),(c))。本研究は、SPring-8のBL29XUで実施されました。
図2 実験結果。(a)印加電圧値とミラー変形量の関係。(b)収束光モードにおけるX線ビームサイズの形状。(c)発散光モードにおけるX線ビームサイズの形状。
【成果の意義】
本成果によりビームサイズなどの光学パラメータを大きく変えることで、X線分析の視野や分解能を変更できるだけでなく、分析手法を切り替えることができる多機能型X線分析が可能となります。また、このミラーは耐熱性が非常に高いため、X線領域だけでなくハイパワーレーザーなど過酷な環境下でも動作できると考えられます。さらに、本ミラーはさらなる薄型化が可能であり、例えば0.01mmオーダーまで薄くすることができます。その場合の変形量は,本成果よりもさらに100倍程度大きくなると計算され、より大きな変形量を必要とする領域でも活用できるようになります。これらを通じて幅広い科学・産業の発展に貢献することが期待されます。
本研究は、2023年度から始まったJST 『創発的研究支援事業(フレキシブルかつ超高安定なX線顕微鏡の開発、JPMJFR222B)』の支援のもとで行われたものです。
【用語説明】
注1)圧電単結晶ウエハ:
物質の中には、力を加えると電圧が生じ、その反対に電圧を加えると変形するものがあり、圧電素子と呼ばれている。その中でも圧電単結晶は均質な材料であり、圧電セラミックスなど他の圧電素子と比べて安定性や線形性が高い利点がある。
注2)光学パラメータ可変レンズ:
光学パラメータとして、開口数、焦点距離、アクセプタンスや倍率などがある。通常、X線顕微鏡などで用いるレンズは形を変えることができないため、光学パラメータが固定されている。その一方で、形状可変ミラーをX線レンズとすることで、ミラーの変形によりパラメータを自在に変化させることができる。
注3)分極反転特性:
通常ニオブ酸リチウムは単結晶かつシングルドメインの圧電材料として利用され、材料全体で均一な分極構造を有している。その一方で、基板を加熱したり、特定の元素やイオンを注入したりすることで、材料内部の分極方向を部分的に反転させることができる。
注4)バイモルフ構造:
異なる圧電定数や、熱膨張係数を持つ2層の材料を貼り合わせた構造である。電圧印加や温度変化によって、層間のわずかな変形差により生じる応力を利用して、大きく変形させる。
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- 投稿者: Super User
- カテゴリ: プレスリリース
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未来の材料開発に向けた新しい大環状分子を合成
未踏だったパーヒドロキシアサー[6]アレーンとその酸化体を世界で初めて合成し、機能を解明
2025年6月10日
公立大学法人 名古屋市立大学
【研究のポイント】
・新環状分子「パーヒドロキシアサー[6]アレーン」とその酸化体を世界で初めて合成
・両分子は、将来的な機能化に有利な多数の遊離水酸基を有する
・従来のピラーアレーンでは到達できなかった新しい機能性分子設計や材料開発への展開が可能に
名古屋市立大学の田畑 愛美 大学院生、青栁 忍 教授、雨夜 徹 教授らの研究グループは、新しい環状分子「パーヒドロキシアサー[6]アレーン」およびその酸化体「パーヒドロキシアサー[6]キノン」の合成に世界で初めて成功しました(図1)。これらの分子は、材料科学など幅広い分野で注目されている環状分子「ピラーアレーン」と構造的に類似する新たな派生体にあたります。母骨格であるアサーアレーンは、ピラーアレーンよりも多くの官能基を有し、高機能材料の創出に有望な構造を備えています。しかし、2013年の初報告以来、水酸基が遊離した「パーヒドロキシ化体」は、これまで合成例が報告されておらず、未踏の分子でした。本研究により、その合成と単離が初めて達成され、さらに酸化により対応するキノン誘導体への変換も実現しました。これにより、従来アクセスが困難であった新たな分子を利用した機能性分子の設計や材料開発の可能性が大きく広がります。 |
【背景】
ピラー[n]アレーン(図1A)(注1)に代表される環状分子は、分子内に空間を持つ「ホスト分子」として、超分子化学や材料科学、さらには医薬品のドラッグデリバリーなど、さまざまな分野で応用が進んでいます。中でも、全ての芳香環がメトキシ基で置換されたアサー[n]アレーン(図1B)(注2)は、官能基導入の自由度が高く、より高機能な分子設計が可能な骨格として期待されています。しかし、その水酸基を遊離させた「パーヒドロキシアサー[n]アレーン」(図1C)(注3)は、これまで合成例がなく、応用展開の障壁となっていました。
【研究の成果】
パーヒドロキシアサー[6]アレーンの化学合成がこれまで達成されてこなかった背景には、この化合物自体が非常に不安定であることが、本研究によって明らかになったという事実があります。特に、空気中の酸素に対して極めて敏感で、容易に酸化されてしまう性質が、合成および単離の大きな障壁となっていたと考えられます。本研究チームはこの課題に対し、窒素雰囲気下で水を加えて目的化合物を沈殿させ、窒素を吹き付けながら速やかにろ過するという操作により、パーヒドロキシアサー[6]アレーンの単離に成功しました。さらに、この化合物を空気中に曝露することで自発的に酸化が進行し、酸化体であるパーヒドロキシアサー[6]キノン(注4)が得られることも明らかにしました(図1C)。
得られたパーヒドロキシアサー[6]キノンは、水酸化カリウム水溶液中で溶解性を示し、明確な二電子還元波を示すなど、酸化還元活性を持つことが確認されました。また、大型放射光施設SPring-8のBL41XUを用いたX線結晶構造解析により、分子内に溶媒分子を包接した構造が明らかになり、分子が平面状に積層する様子も観察されました。さらに、2価のジアンモニウムカチオンをゲスト分子とするホスト–ゲスト包接挙動を水溶液中で示し、特にこの包接はエントロピー駆動の相互作用であることが明らかになりました。
【研究の意義と今後の展開や社会的意義など】
本研究で合成されたパーヒドロキシアサー[6]アレーンおよびそのキノン型誘導体は、これまでのピラーアレーンでは実現できない分子設計や高機能材料の開発に向けた強力な足がかりとなります。多数の水酸基をもつことから、金属イオンとの錯形成、さらなる化学修飾、電子伝達材料としての展開などが期待されます。今後は、分子センサー、電池材料、ナノ材料、分子触媒など、環境・エネルギー・医療分野への応用が見込まれ、持続可能な社会の構築にも貢献する可能性を秘めています。
【研究助成】
科学研究費補助金「挑戦的研究(萌芽)」(課題番号:JP24K21772、研究代表者:雨夜徹)
【用語解説】
(注1)ピラーアレーンまたはピラー[n]アレーン
2008年に生越友樹氏および中本義章氏らによって初めて合成された環状分子。ベンゼン環がメチレン基(–CH₂–)でつながってできた柱状構造を持ち、その構造が柱(pillar)を想起させることから「ピラーアレーン」と名付けられた。[n]は繰り返し単位の数を表す。環内に空孔を有し、他の分子を包み込むホスト分子として機能する。合成および誘導化が容易であり、分子認識や超分子材料、分子機械など多様な分野で応用が進んでいる。
(注2)アサーアレーンまたはアサー[n]アレーン
2013年にJames Fraser Stoddart氏らによって合成されたピラーアレーンに類似した構造を持つ環状分子。アサロールメチルエーテル(asarol methyl ether)から合成されたことに由来し、「アサーアレーン」と名付けられた。[n]は繰り返し単位の数を表す。ピラーアレーンのベンゼン環上の水素原子がすべてメトキシ基(–OCH₃)に置換されている点が特徴であり、より高い官能基化の可能性を持つ骨格である。
(注3)パーヒドロキシ
「完全にヒドロキシ化された」という意味。ヒドロキシ基(-OH)は水酸基ともよばれる。
(注4)キノン
ベンゼン環に似た炭素の6員環構造において、二重結合(C=C)2つとカルボニル基(C=O)2つが共存する構造をもつ有機化合物。電子を受け取る性質をもち、酸化還元反応に関与しやすい。生体内ではビタミンKや補酵素Q(ユビキノン)などの構造にも見られ、生命活動において重要な役割を果たす。
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【研究に関する問い合わせ】
名古屋市立大学 大学院理学研究科 教授 雨夜 徹
【報道に関する問い合わせ】
名古屋市立大学 経営企画部広報室広報係
名古屋市瑞穂区瑞穂町字川澄1
TEL:052-853-8328 FAX:052-853-0551
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(SPring-8 / SACLAに関すること)
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