異常な「4価の鉄」の酸化物の謎を解明
―ついに捉えた電子の不足した酸素イオンの存在―
2023年8月23日
東京大学
理化学研究所
高輝度光科学研究センター
発表のポイント
◆鉄と酸素をつなぐ“リガンドホール”の空間分布を世界で初めて観測しました。
◆放射光X線回折実験と独自に開発した精密解析手法によって、異常な4価の鉄イオンを含むストロンチウム鉄酸化物において、酸素と鉄の間の電子密度が減少していることが明らかになりました。
◆高温超伝導の発現機構の解明や、機能性材料開発への情報提供が期待されます。
東京大学大学院新領域創成科学研究科物質系専攻の鬼頭俊介助教らは、理化学研究所、高輝度光科学研究センター、近畿大学、大阪大学との共同で、ストロンチウム鉄酸化物SrFeO3のリガンドホール(注1)の観測に成功しました。通常、酸化物では酸素原子は2価のマイナスイオンとして存在します。一方、銅を含む酸化物高温超伝導体では、酸素周りの電子が、わずかに銅の周りに移動していると言われています。このとき、酸素の周りのどこから電子が移動するのかは解明されていませんでした。 本研究成果は2023年8月18日付けで、ドイツ科学誌『Advanced Science』にオンライン掲載されました。 論文情報 |
酸素の周りの電子の密度の方向依存性
鉄原子(Fe)に向かう方向で少なくなっていることがわかる。Srはストロンチウム原子。
〈研究の背景〉
科学技術の発展は、観測技術の発展と共に歩んできました。物質の性質は原子周りの電子の状態によって理解されるため、「電子の観測」は新規物理現象の解明や機能性材料の設計などに欠かせない技術です。固体物理学の分野においては、様々な実験や理論からその存在が予想されているものの、誰も観測したことがないものがいくつか存在します。その1つが“リガンドホール”です。
私たちの身の周りにある機能性材料の多くは酸化物です。通常、酸化物中では酸素原子は2価のマイナスイオンとして存在します。また、プラスイオンとなる金属原子もナトリウムは1価、カルシウムは2価、鉄は2価か3価、銅は1価か2価など、ある程度決まった価数を取ります。しかし、高温超伝導を示す銅の酸化物では、多くの場合、銅の価数が2価を超えています。このように金属イオンの価数が通常より高い(大きい)一部の酸化物では、酸素イオンの周りの電子が、わずかに金属の周りに移動します。この電子の移動は、高温超伝導と密接に関わっていることが知られています。酸素周りの電子が少なくなった部分(リガンドホール)の存在は、長年、X線分光(注4)測定や理論計算から予想されていましたが、その空間的な分布状態(どこにリガンドホールが存在するか)は解明されていませんでした。
〈研究の内容〉
本研究では、リガンドホールの空間分布を捉えるために、ペロブスカイト型酸化物(注5)SrFeO3に着目しました。通常、ストロンチウム原子は2価のプラスイオンに、酸素原子は2価のマイナスイオンになります。電気のバランスより、この物質における鉄イオンの価数はプラス4価と計算されます。すなわち、一般的な +2価や +3価ではなく、珍しい +4価の異常な状態をとることになります。さらにこの物質は、低温では温度や磁場によって電気の流れ方が目まぐるしく変化することでも注目を集めています。このような独特な電気伝導特性はリガンドホールの形成と密接に関わっていると予想されていましたが、これまでその空間分布を捉えたという報告はありませんでした。 今回、本研究グループは大型放射光施設SPring-8におけるX線回折実験と、独自に開発したコア差フーリエ合成(core differential Fourier synthesis;CDFS)法(注6)という解析手法を組み合わせることで、SrFeO3におけるリガンドホールの空間分布の直接観測を試みました。本研究グループではこれまでにもCDFS法を用いて有機物の電気伝導体における電子の分布や遷移金属酸化物における金属の周りの電子軌道の観測に成功しています(〈関連のプレスリリース〉を参照)。
図1(b)にCDFS法によって得られた価電子(注7)の分布を示します。ストロンチウム原子(Sr)は2価のプラスイオンを仮定すると価電子が存在しないため、予想どおり、価電子密度の濃い領域は確認できません。一方、鉄原子(Fe)や酸素原子(O)の周りでは黄色で示す電子密度のやや高い領域がほぼ球状に広がっていることが確認できます。さらに、鉄原子の周りにはさらに密度の高い領域が存在することもわかりました(オレンジの部分)。
図1:ペロブスカイト型鉄酸化物SrFeO3の結晶構造と価電子密度分布
(a) SrFeO3の結晶構造の一部。この立方体が上下、左右、前後に繰り返し並んでいる。鉄原子(Fe)は6つの酸素原子(O)と結合している。
(b) 図(a)と同じ領域における価電子の密度の高い領域を表したもの。黄色で囲まれた部分はやや密度が高く、オレンジ色で囲まれた領域はさらに密度の高い領域である。
リガンドホールの存在を確かめてその分布を特定するためには、価電子密度の空間分布をより詳細に調べる必要があります。そこで、鉄原子と酸素原子の周りの価電子密度について、その方向依存性のみを抽出しました(図2(a)、(b))。赤色と青色の部分は、それぞれ電子密度が高い方向と低い方向を表しています。鉄原子の周りでは、酸素原子に向かう方向で僅かに電子密度が低くなっているのがわかります(図2(a))。図2(c)と(d)には、それぞれ、4価の鉄イオンと3価の鉄イオンを仮定した場合の理論計算の結果を示します。純粋な4価の場合には大きな方向依存性が予想されており、今回CDFS法で得られた結果とは一致しません。CDFS法で得られた結果と理論計算を比較して鉄イオンの実質的な価数を見積もるとおよそプラス3.4となり、4価と3価の中間的な状態であることがわかりました。このことは、マイナス2価のはずの酸素イオンからプラス4価のはずの鉄イオンにマイナスの電気を持つ電子が僅かに移動していることを示唆しています。
そこで、次に酸素原子の周りの価電子密度を丁寧に調べました。すると、マイナス2価の酸素イオンで予想される等方的な分布(図2(e))とは異なり、鉄原子に向かう方向で価電子密度が低くなっていることがわかりました(図2(b))。これは鉄原子の方を向いた軌道にいるはずの酸素イオンの電子が鉄原子の周りの軌道に移ったことを示しています。つまり、酸素原子と鉄原子の間に存在するリガンドホールを初めて捉えることに成功しました。
図2:カラーマップで表示した価電子密度の異方性
(a) (b) 実験で観測された鉄原子と酸素原子の周りの価電子密度の異方性。
(c) (d) プラス4価のイオン状態とプラス3価のイオン状態を仮定した際の鉄原子の周りの価電子密度の異方性。
(e) マイナス2価のイオン状態を仮定した際の酸素原子の周りの価電子密度。(d)と(e)では計算される価電子密度に方向依存性が全くないため、色は0%を表す黄緑色で均一である。
〈今後の展望〉
本研究では、最先端の放射光X線測定技術と新規に開発した解析手法を組み合わせることで、リガンドホール形成に伴う価電子密度のわずかな変化を捉えることに成功しました。リガンドホールを実験的に観測できるようになったことは、高温超伝導の発現機構の解明だけでなく、さまざまな機能性材料開発への情報提供にもつながると期待されます。本研究で用いた実験技術は全ての結晶性材料に適用することが可能であるため、様々な物質の電子状態の解明にも役に立つことが期待されます。
〈関連のプレスリリース〉
「SPring-8を用いた精密構造解析による分子軌道分布の可視化法を開発、電子状態の直接観測に成功 ―電荷分布観測による新たな分子設計への提案―」(2017/8/7)
http://www.spring8.or.jp/ja/news_publications/press_release/2017/170727/
「電子の蝶々型の空間分布を1000億分の2メートルの精度で観測! ―放射光X線を用いた電子軌道の新規観測手法を提案―」(2020/10/1)
http://www.spring8.or.jp/ja/news_publications/press_release/2020/201001/
「結晶中の強く相関する電子雲の振る舞いを解明」(2022/3/25)
http://www.spring8.or.jp/ja/news_publications/press_release/2022/220325_2/
発表者
東京大学 大学院新領域創成科学研究科
鬼頭 俊介(助教)
有馬 孝尚(教授)〈兼:理化学研究所 創発物性科学研究センターグループディレクター)
研究助成
本研究は、科学研究費補助金「20J10988」「22K14010」「22H00343」の支援により実施されました。
【用語解説】
(注1)リガンドホール
金属イオンの周りに位置するマイナスイオンのことをリガンドと呼ぶ。マイナスイオンが通常の価数からずれて、電子が少なくなった場合、それが「抜け穴(ホール)」とみなせることから、マイナスイオンの電子が通常より少なくなっている部分をリガンドホールと呼ぶ。
(注2)大型放射光施設SPring-8
兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高性能の放射光を生み出す理化学研究所の施設で、その利用者支援などは高輝度光科学研究センター(JASRI)が行っている。放射光とは、電子を光とほぼ等しい速度まで加速し、電磁石によって進行方向を曲げた時に発生する強力な電磁波のこと。SPring-8では、放射光を用いて、ナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究が行われている。
(注3)X線回折実験
X線を用いて結晶構造を調べる実験手法の一つ。X線を試料に照射し、どの方向にどのような強さでX線が散乱されたかを測ることで、試料の中の原子の並び方や原子間の距離を決定する。
(注4)X線分光
X線を物質に照射すると、X線の吸収や発光が生じる。吸収や発光がX線の波長にどのように依存しているかを測定することで、元素の価数状態などの情報が得られる。
(注5)ペロブスカイト型酸化物
組成式AMO3(AとMはどちらも金属元素)で表される金属酸化物は、図1(a)に示す結晶構造をとるものが少なくない。類似の構造を有する鉱物の名前にちなんでペロブスカイト型酸化物と呼ばれる。
(注6)コア差フーリエ合成(core differential Fourier synthesis;CDFS)法
X線回折実験による電子密度解析手法の一種。実験的に得られる情報から、計算で得られる内殻(コア)電子の寄与を差し引くことで、価電子の情報のみを抽出する方法。
(注7)価電子
原子の周りの電子は、原子核の近くのみに留まる内殻電子と、原子核から離れた位置にもやってくる価電子に大別される。物質の様々な性質は価電子の分布や運動によって左右されているため、その観測が重要である。1981年のノーベル化学賞の受賞対象となった福井謙一博士のフロンティア軌道理論は、価電子が出入りするフロンティア軌道が分子の反応性を決定することを示している。
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助教 鬼頭 俊介(キトウ シュンスケ)
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公益財団法人高輝度光科学研究センター
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