概日リズムを奏でる時計タンパク質の内部で「2つの歯車」が噛み合う仕組み


2022年4月16日
自然科学研究機構分子科学研究所
東海国立大学機構名古屋大学
大阪大学 蛋白質研究所


 自然科学研究機構 分子科学研究所・協奏分子システム研究センターの古池美彦助教、向山厚助教、秋山修志教授、欧陽東彦研究員、総合研究大学院大学・後期博士課程のDamien SIMONさん、名古屋大学大学院理学研究科/高等研究院の伊藤(三輪)久美子特任助教、近藤孝男特別教授、大阪大学・蛋白質研究所の山下栄樹准教授らの研究グループは、シアノバクテリアの時計タンパク質KaiCの立体構造を解明し、24時間周期のリズムを生み出す2種類の化学反応の連携を原子レベルで解明しました。
 本成果は、「タンパク質が複数の化学反応を組み合わせて高度な機能を生み出す仕組み」を解明する学問的意義の高いものです。本成果は、アメリカ科学振興協会(AAAS)が発行する科学雑誌「Science Advances」に、2022年4月16日午前3時(日本時間)に掲載されました。

 
 

論文情報
掲載誌:Science Advances
論文タイトル:“Elucidation of master allostery essential for circadian clock oscillation in cyanobacteria”(「シアノバクテリア概日時計の振動に必須な構造アロステリーの解明」)
著者:Yoshihiko Furuike, Atsushi Mukaiyama, Dongyan Ouyang, Kumiko Ito-Miwa, Damien Simon, Eiki Yamashita, Takao Kondo, Shuji Akiyama
掲載日:2022年4月16日午前3時(日本時間)(オンライン公開)
DOI:https://doi.org/10.1126/sciadv.abm8990


研究の背景
 生命は、地球の自転が生み出す約24時間(概日)周期の環境変化に適応しています。このリズムを支えているのが「概日時計(一般的には体内時計と呼ばれる)」と呼ばれるシステムで、バクテリア・植物・昆虫・哺乳類などの広い生物種に共通して見られる生命現象です。なかでもシアノバクテリアの概日時計は、細胞はもとより試験管内でも研究できる利点があり、生物学のみならず幅広い分野で研究対象となっています。これまでの研究をとおして、時計タンパク質(※1)が2種類の化学反応サイクルを連携させることで時刻情報を生み出していることが、明らかになっていました。しかしながら、時計タンパク質内の離れた部位で起こる2つの反応サイクルが、どのように連携しているかは分かっていませんでした。化学反応サイクルを歯車に例えると、それぞれ回転する2つの歯車が噛み合う仕組みが分かっていなかった、と言うことができます。
 シアノバクテリアの概日時計は、3種類の時計タンパク質KaiA, KaiB, KaiCとアデノシン三リン酸(ATP(※2)を試験管内で混ぜ合わせることで再構成できます(図1)。ペースメーカーとして働くKaiCに、その2つの歯車が組み込まれています。KaiCは二重リング構造になっており(C1リングとC2リング)、上部の歯車であるC1リングでは、ATP加水分解サイクルが進行します。ATPが分解されてアデノシン二リン酸(ADP)へと変換され、ADPがKaiC外部に抜けると、次のATPが取り込まれるという反応サイクルです(図1、ATP-ADPサイクルとして表記)。下部の歯車であるC2リングでは、リン酸化・脱リン酸化サイクルが進行します。特定のアミノ酸にリン酸基をリズミックに付けたり外したりする反応サイクルです(図1、赤丸Pの脱着サイクルとして表記)。
 KaiCが表す時刻情報は、この2つのリングの状態を連携させることではじめて生み出されます。例えば、C1リングのみを改変してATP加水分解サイクルを加速・減速させると、C2リングのリン酸化・脱リン酸化サイクルも加速・減速されることが知られています。C1リングとC2リングが歯車として回転する様子を観察し、それらが互いに連携する仕組みを明らかにすることは、概日時計の仕組みを理解するうえで必要不可欠でした。

 
 
図1:シアノバクテリアの概日時計を駆動する時計タンパク質KaiCの図説

図1:シアノバクテリアの概日時計を駆動する時計タンパク質KaiC


研究の成果
 研究グループは、KaiCが刻々と状態を変えながら(歯車を回しながら)時を計る仕組みを、原子レベルで明らかにすることを目標に研究を進めてきました。結晶化したKaiCを兵庫県・播磨の大型放射光施設SPring-8(BL44XU)に持ち込み、X線結晶構造解析(※3)を進めました。KaiCの立体構造を分析し、C1リングとC2リングがそれぞれ反応サイクルを進めながら連携する様子を捉えることに成功しました(図2)。
 C1リングでは、ATPが分解される前の状態、分解されてADPとなった状態を、まざまざと観察することができました。C2リングでは、リン酸基の付け外しに伴って、アミノ酸の鎖(ペプチド鎖)がほどけた状態(コイル状態)とらせん状態(ヘリックス状態)の2つの状態を行き来することが分かりました。そして、C1リングでADPがATPに置き換わるときに、C2ではコイル状態からヘリックス状態へと変化することを発見しました。2つの歯車が連動する様子が、世界で初めて明らかになった瞬間でした。
 研究者を驚かせたことは、C1リングとC2リングの連携には特別な仕掛けが必要で、それがあたかも「演算処理装置」のように振る舞っていたことでした。C1リング側にある酸性のアミノ酸とアルカリ性のアミノ酸のあいだを、C2リング側の中性アミノ酸が水素結合(※4)を切り替えながら行き来していました。中性アミノ酸を酸性やアルカリ性のアミノ酸へと改変して、結合の切り替えができないようにすると、KaiCは機能しなくなりました。この水素結合の切り替えはわずか0.1ナノメートルの領域で起こる極小かつ精密なもので、一方の歯車の進む速度や回転の度合いを読み取り、他方の歯車に伝える働きを、双方向的に行っているのです。
 このように2つの歯車が噛み合うことで、KaiCは時刻情報を生み出します。C1リングには2つ以上の状態(ATP状態、ADP状態…等)があり、C2リングは2つの状態を行き来します(コイル状態、ヘリックス状態)。組み合わせとして少なくとも2×2=4通り以上の時刻情報を表すことができ、朝・昼・夕・夜などの区別が可能となるのです。このようにKaiCの内部で、ATP加水分解サイクル、リン酸化・脱リン酸化サイクルの2つの歯車と、それらを連携させる演算装置がタイミングを合わせて働くことで、シアノバクテリアの概日時計が駆動されることが分かりました。


時計タンパク質KaiCの2つの歯車の構造図

図2:時計タンパク質KaiCの2つの歯車の構造


今後の展開・この研究の社会的意義
 時計タンパク質の種類や構造は生物種によって異なりますが、複数の化学反応を組み合わせて時刻情報を生み出す点は共通しています。本研究が示すのは、化学反応に連動するタンパク質自身の構造変化や水素結合の切り替えに着目することで、概日時計の理解が格段に進むということです。KaiCが機能する原理をよりよく理解することで、似たような仕組みをもつ他の生物種の時計タンパク質の研究にも、その手法や考え方を応用することができます。
 細胞のなかでは多種多様な生体物質がひしめき合っています。そのため、こうした分子内で完結する精密な制御システムの働きが重要となります。何週間も振動を続けるKaiCのような頑丈かつ精緻なタンパク質の仕組みを明らかにすることは、細胞の仕組みや生命の成り立ちを明らかにするうえで大切なことなのです。


用語解説


(※1)時計タンパク質
生物時計の機能を維持するために必須となるタンパク質の総称。時計タンパク質を変異させたり欠損させたりすると、生物の行動のリズム特性に様々な影響が現れる。


(※2)ATP
アデノシン三リン酸(Adenosine Triphosphate)の略称。筋肉収縮など細胞における様々な運動のエネルギー源として利用される物質のことを指す。生物のエネルギーの利用・貯蓄に用いられ、その重要性から「生体におけるエネルギーの通貨」とも呼ばれる。アデノシンという物質に3つのリン酸基が結合した形をしている。ATP加水分解は、水分子との反応によってリン酸基が外されて分解される反応で、アデノシン二リン酸(ADP)が生成される。リン酸化はリン酸基がATPからタンパク質のアミノ酸残基へと移る反応、脱リン酸化はアミノ酸残基に付与されたリン酸基が解離する反応。


(※3)X線結晶構造解析
分子の立体構造を明らかにするために用いられる解析手法のひとつ。原子や分子が3次元に配列した結晶にX線を照射し、回折されたX線の方向・強さを解析することで、電子の分布すなわち原子の配置についての情報を得ることができる。


(※4)水素結合
電気陰性度の大きいふたつの原子のあいだに水素原子が入って形成される化学結合。分子の骨格を構成する共有結合よりも結合エネルギーが小さく、切り替えが比較的容易。


研究グループ
 分子科学研究所・協奏分子システム研究センター
 名古屋大学・大学院理学研究科 / 高等研究院
 大阪大学・蛋白質研究所

 
 

研究サポート
 本研究は、科学研究費補助金No.17H06165, No.18K06171, No.19K16061等の助成を受けて実施されました。


研究に関するお問い合わせ先
氏名:古池美彦(ふるいけよしひこ)
所属、職位:分子科学研究所 助教
 TEL:0564-55-7336
 E-mail:furuikeatims.ac.jp

氏名:秋山修志(あきやましゅうじ)
所属、職位:分子科学研究所 教授
 TEL:0564-55-7363
 E-mail:akiyamasatims.ac.jp

報道担当
自然科学研究機構 分子科学研究所 研究力強化戦略室 広報担当
 TEL:0564-55-7209 FAX:0564-55-7374
 E-mail:pressatims.ac.jp

東海国立大学機構 名古屋大学広報室
機構事務局総務部総務課広報グループ
 TEL:052-789-3058 FAX:052-789-2019
 E-mail:nu_researchatadm.nagoya-u.ac.jp

大阪大学蛋白質研究所 広報室
 TEL:06-6879-4317(庶務係) FAX:06-6879-8590
 E-mail:kouhouatprotein.osaka-u.ac.jp

(SPring-8 / SACLAに関すること)
公益財団法人高輝度光科学研究センター
 利用推進部 普及情報課 
 TEL:0791-58-2785
 FAX:0791-58-2786
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Unlocking complex workings of the biological clock


18 April, 2022


Scientists want to increase their understanding of circadian rhythms, those internal 24-hour biological clock cycles of sleeping and waking that occur in organisms, ranging from humans to plants to fungi to bacteria. A research team has examined the complex workings of cyanobacteria and can now better comprehend what drives its circadian clock.


The team, led by researchers from the Institute for Molecular Science, National Institutes of Natural Sciences in Okazaki, Japan, published their findings on 15th April 2022 in Science Advances.


The team focused their research on KaiC, the clock protein that regulates the circadian rhythm in cyanobacteria, a type of bacteria lives in all types of water and are often found in blue-green algae (Figure 1, left panel). These biological clocks in organisms are composed of proteins (Figure 1, right upper panel). The cyanobacterial circadian clock is the simplest circadian clock as far as the number of its components, yet it is still a very complex system that can provide scientists with clues to the working of all circadian clocks. The blueish cyanobacteria are microorganisms that can be found in environments ranging from salt and fresh waters to soils to rocks. The team examined the structural basis for allostery, the complex changes that occur in shape and activity of the KaiC protein in the cyanobacteria (Figure 1, right lower panel). Allostery drives the cyanobacterial circadian clock.


Information of the paper
Journal Name: Science Advances
Journal Title: Elucidation of master allostery essential for circadian clock oscillation in cyanobacteria
Authors: Yoshihiko Furuike, Atsushi Mukaiyama, Dongyan Ouyang, Kumiko Ito-Miwa, Damien Simon, Eiki Yamashita, Takao Kondo, Shuji Akiyama
DOI:10.1126/sciadv.abm8990


Figure 1. Clock proteins generating cyanobacterial circadian rhythms.

Figure 1. Clock proteins generating cyanobacterial circadian rhythms.


Circadian rhythms of the phosphorylation cycle (red circle with “P” indicating the phosphor transfer) and the ATP hydrolysis cycle (blue circle with “ATP” and “ADP” indicating the conversion of adenosine-triphosphate into adenosine-diphosphate) can be observed in a test tube.


The team studied the atomic structures of the KaiC clock protein, by screening thousands of crystallization conditions. This detailed study of the atomic structures allowed them to cover the overall phosphorylation cycle, that process where a phosphate is transferred to the protein (Figure 2, lower panel). Phosphorylation cooperates with another reaction cycle, ATP hydrolysis, which is the energy consuming events determining the clock speed (Figure 2, upper panel). The phosphorylation-ATP hydrolysis system works like a regulator for the cell activity. To help them understand the basis for the allostery, they crystallized the KaiC protein in eight distinct states, allowing them to observe the cooperativity between the phosphorylation cycle and the ATP hydrolysis cycle working like two gears (Figure 2).


Figure 2. Cooperative motion of two gears rotating in KaiC

Figure 2. Cooperative motion of two gears rotating in KaiC


The phosphorylation cycle and the ATP hydrolysis cycle occur in the double-ring structure of KaiC. The two cycles are mediated by hydrogen bonds among acidic, basic, and neutral components.


In the past, scientists have studied the phosphorus cycle of the KaiC protein in vivio, in vitro, and in silico. Yet little was known about how allostery regulates the phosphorus cycle in KaiC.


By studying the KaiC in the eight distinct states, the team was able to observe a coupling that occurs in the phosphorus cycle and the ATPase hydrolysis cycle. This coupling of the two gears drives the cyanobacterial circadian clock.


“Because proteins are composed of a vast number of atoms, it is not easy to understand the mechanisms of their complicated but ordered functions. We need to trace the structural changes of proteins patiently,” said Yoshihiko Furuike, assistant professor at the Institute for Molecular Science, National Institutes of Natural Sciences.

The KaiC protein rhythmically activates and inactivates the reaction cycles autonomously to regulate assembly states of other clock-related proteins. So thinking about their next steps, the team might use structural biology to reveal the atomic mechanisms of acceleration and deceleration of the gear rotations. “Our goal is to see all cyanobacterial clock proteins during the oscillation at an atomic level and to describe the moment that the ordered rhythm arises from chaotic atomic dynamics,” Furuike said.


Their work can serve as a research tool, helping scientists to better understand the mechanisms at work in the circadian clock cycle. Looking ahead, the research team can see their findings having wider applications. Mammals, insects, plants, and bacteria all have their own clock proteins with distinct sequences and structures. “However, the logic behind the relationship between KaiC dynamics and clock functions can be applied to other studies on various organisms,” Furuike said.

Paper authors include Yoshihiko Furuike, Shuji Akiyama, Institute for Molecular Science, National Institutes of Natural Sciences, Okazaki, Japan


In addition to the researchers from the Institute for Molecular Science, others on the team include researchers from SOKENDAI, The Graduate University for Advanced Studies; Graduate School of Science and Institute for Advanced Studies, Nagoya University; and the Institute for Protein Research, Osaka University. Their work was funded by Grants-in-Aid for Scientific Research.


Financial Support
Grants-in-Aid for Scientific Research (17H06165, 18K06171, 19K16061)


(Contact Person)
Yoshihiko Furuike
 TEL: +81-564-55-7336
 E-mail:furuikeatims.ac.jp

(Contact Person)
Yoshihiko Furuike
 TEL: +81-564-55-7336
 E-mail:furuikeatims.ac.jp

   

鉄の磁石の「表面の謎」を解明!
― 一原子層単位の深さ精度で磁性探査する新技術を開発 ―


2020年12月3日
国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構
国立大学法人京都大学
国立大学法人弘前大学
国立大学法人東京大学


【発表のポイント】
・ 一原子層単位の深さ精度で材料表面付近の磁性を観察できる新計測技術を開発
・ これまで謎だった鉄表面付近の磁性を原子1層毎に観察し、磁力が層毎に増減するという複雑な現象が起きていることを世界で初めて発見
・ 今後、薄膜表面・界面等の極微小領域中の磁性制御が性能向上の重要な鍵となっているスピントロニクス1)などの次世代高速・省エネデバイス開発に適用させていく


 国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構(理事長 平野俊夫、以下「量研」という。)量子ビーム科学部門関西光科学研究所の三井隆也上席研究員、綿貫徹次長、上野哲朗主任研究員、同部門高崎量子応用研究所の境誠司プロジェクトリーダー、李松田主任研究員、国立大学法人京都大学(総長 湊長博)の瀬戸誠教授、小林康浩助教、国立大学法人弘前大学(学長 福田眞作)の増田亮助教、国立大学法人東京大学(総長 五神真)物性研究所の赤井久純特任研究員からなる研究グループは、スピントロニクスデバイスへの応用等に期待される放射光メスバウアー線源を利用して材料の表面付近の磁性を一原子層単位の深さ精度で調べることが出来る新しい計測技術を開発しました。
 この技術を用いて、磁石の代表とも言える鉄についてこれまで謎だった表面付近の磁性を詳しく調べた結果、表面から深くなるにつれて磁力が一原子層毎に増減している複雑な現象を世界で初めて明らかにし、この現象が約40年前に理論的に提案されていた「磁気フリーデル振動」であることを突き止めました。本成果は、人類が数千年にわたって使用してきた材料である鉄における新たな発見という点において、学術的に意義深いものです。我々研究グループでは、本開発により実現した局所磁性探査技術の特長を活かして、磁石のミクロな振る舞いにより動作するスピントロニクスデバイスなど高速・省エネルギーな次世代情報デバイスの開発を目指し、磁性材料など異なる材料をナノメートルスケールで積層した多層膜の各層の内部や界面の局所磁性の分析に活用していく予定です。
 本成果は12月4日(金)午前0時(日本時間)発行の米科学誌『Physical Review Letters』に、同誌が選ぶ特に重要な論文である“PRL Editors’ Suggestion”として掲載されました。


発表論文
雑誌名:Physical Review Letters
論文タイトル:Magnetic Friedel Oscillation at Fe(001) Surface: Direct Observation by Atomic-Layer-Resolved Synchrotron Radiation 57Fe Mössbauer Spectroscopy
著者:T. Mitsui, S. Sakai, S. Li, T. Ueno, T. Watanuki, Y. Kobayashi, R. Masuda, M. Seto, and H. Akai
DOI:https://doi.org/10.1103/PhysRevLett.125.236806


<研究の背景>
 磁石といえば、多くの人が鉄製のものを思い浮かべると思います。鉄は強磁性を示す代表的な金属であり、有史以来人類が磁石として利用してきたものです。ところが、その表面付近で磁性がどうなっているか、未だその真実は明らかではありませんでした。今回我々はその謎に迫りました。
 鉄が磁石となっている状態は、磁力を持った原子磁石(図1参照)が平行に整列している状態です(図2参照)。磁石はその外側に磁力を及ぼすとともに、その内側でも強い磁力が働いています。内側の深部では、原子磁石が一様に並んでおり、それぞれの原子磁石の磁力(磁気モーメント)も一定です。一方、表面では原子磁石の並びが寸断されるため、表面から原子数層ほどの深さまでは、深部とは異なる磁性が現れることが考えられます(図2参照)。
 しかし、この表面付近の磁性を実際に観察することは非常に困難です。一つには、鉄の最表面から原子一層レベルで深さ毎に磁性の違いを識別できる技術が必要です。もう一つ大事なことは、鉄は大変錆びやすい、つまり、酸化しやすいため、超高真空中で酸化を抑えた清浄な表面を用意する必要があることです。この二重の困難さのために、これまで鉄の表面付近の磁性の観察に成功した例はありませんでした。そこで、我々は、この2つ要素の技術開発を行い、且つ、これらの技術を組合せることにより、鉄の表面付近の磁性の謎に挑みました。


<研究内容と成果>
 本研究では、鉄の表面付近の磁性の謎を解明するために、高輝度放射光源を用いたメスバウアー分光法2)を利用して金属薄膜の磁性を一原子層単位で調べる新しい計測技術を開発しました。
 メスバウアー分光法は、特定のエネルギーを持ったⅩ線等を材料に照射して、そのⅩ線を共鳴吸収する元素の磁性等を調べる方法で、原子磁石の中の原子核の位置での「内部磁場」を計測することができます(図1参照)。この「内部磁場」と原子磁石の磁力(磁気モーメント)は、いずれも原子の中にある電子の自転(スピン)により図1のように互いに逆向きに生み出されるものであり、「内部磁場」を計測することにより原子磁石の磁性を評価できます。
 メスバウアー分光法には同位体3)(元素としては同一でも原子核の質量が異なるもの)を識別できる他手法にはないユニークな特徴があります。鉄の場合、同位体57Fe”3)は特定のエネルギーのX線が共鳴吸収されますが、同位体“56Fe”には吸収されません。この特徴を活かして、照射するX線に対して共鳴吸収を起こさない鉄(Fe)の同位体“56Fe”からなる鉄薄膜をまず用意しておき、そこに表面付近の注目する一層だけに共鳴吸収を起こす鉄の同位体“57Fe”を埋め込んだ試料を作製することにより、注目する原子層の磁性を計測できるようになります(図3参照)。
 ところが、従来のメスバウアー分光法では、指向性が全く無い放射性同位体を線源に用いるため、超高真空という特殊な環境下で、薄膜中の僅か一原子層の“57Fe”のスペクトルを観測することは極めて困難です。そこで、我々は、大型放射光施設SPring-84)の量子科学技術研究開発機構の専用ビームラインBL11XUで独自開発した高強度で指向性高い放射光メスバウアー線源5)を用いました。その輝度(明るさ)は、通常の放射性同位体メスバウアー線源の10万倍以上もあり、さらに、X線集光装置でマイクロビーム化することで表面付近を集中的に観察できるようにしました。
 これに加えて、酸化を抑えた清浄な鉄表面を測定するために、10-9Pa(大気の100兆分の1の圧力)に至る超高真空下で測定できるシステムを構築しました。このシステムでは試料搬送容器を、超高真空下で原子層を一層ずつ積み上げて薄膜試料作製ができる装置に組み込むことが出来ます。また、薄膜試料作製後はこの試料搬送容器を切り離して、超高真空を保ったまま放射光メスバウアー分光装置にドッキングさせることが出来るようになっています。こうして、注目する原子層に同位体を埋め込んだ鉄薄膜試料を、清浄な状態を保ったままで放射光メスバウアー分光測定ができるようになりました。図4に、放射光メスバウアー分光装置、および、薄膜試料作製装置、試料搬送容器で構成された原子層分解磁気構造解析システムを示します。
 今回我々は、表面から1層目、2層目、3層目、4層目、7層目に同位体“57Fe”を埋めこんだ5種類の鉄薄膜試料を用意して調べました。その結果、図5(左)のように、表面第1層の内部磁場の大きさは深部での値(バルクの値)に比べて15%も小さくなっている一方で、第2層目では深部よりも8%大きくなる、第3層目では振れ幅は抑えられるが再び深部より3%小さくなる、第4層目では僅かではあるが深部より大きくなる、というように内部磁場が原子一層毎に振動的に増減していることを明らかにしました。また、第7層目では、深部の原子磁石と同じ強さになっていることが分かりました。
 さらに我々は、この振動が約40年前に理論的に提案されていた「磁気フリーデル振動」であることも突き止めました。図5(右)には、実験条件に即して計算した鉄表面付近の内部磁場の磁気フリーデル振動です。実験と理論の結果がよく一致していることが分かります。鉄の表面付近に磁気フリーデル振動が誘起されると、原子磁石(磁気モーメント)の強度は、一原子層毎に内部磁場と逆パターンで増減します(図6参照)。このため、私達が体感できる鉄の磁力、即ち、原子磁石の強さは、表面の第1層では内部よりも強く、第2層目では内部よりも弱くなり、このプロセスを繰り返すことで、鉄表面の磁力が一原子層毎で振動的に強弱することが分かります。このように鉄の表面では非常に複雑な磁性の変化が起こっていることが初めて明らかとなりました。


<今後の展開>
 本開発により実現した一原子層単位での局所磁性探査技術は、材料表面のごく近傍だけでなく、より深い箇所まで一原子層の深さ分解能で観察できることに大きな特長があります。従来、深さ分解能のある計測法では計測深度が取れない一方で、計測深度のある方法では深さ分解能を追求できませんでした。本技術は、これらを両立させることを可能にする画期的な手法です。研究グループでは、上記のような特長を活かして、磁性材料など異なる材料をナノメートルスケールで積層した多層膜の各層の内部や界面の局所磁性の分析に活用していく予定です。現状における本技術の主要な計測対象元素は鉄ですが、磁気デバイスやスピントロニクスデバイスは鉄を含むものが大多数であるため、広範な適用が可能です。特に、スピントロニクスデバイスにおいては、デバイス内の多層膜に含まれる厚さが数ナノメートル程度の磁性層や各層の界面付近など原子層スケールの領域の磁性がデバイスの機能や性能に大きな影響を与えるため、本技術により狙った領域の局所磁性を見極めることで、これらの開発が加速されるものと期待されます。


図1.原子磁石の模式図。

図1.原子磁石の模式図。原子磁石の磁力(磁気モーメント)と原子核位置での内部磁場は、いずれも電子の自転(スピン)により互いに逆向きに生み出されます。本研究では、メスバウアー分光法1)を用いて原子核位置での内部磁場を計測し、それにより原子磁石の磁性を評価しました。



図2.鉄を構成する原子磁石の配列図。

図2.鉄を構成する原子磁石の配列。原子磁石の向きは平行に揃っています。原子磁石が一様に並んでいる深部では、原子磁石の磁力(磁気モーメント:緑の矢印)が一定であることは良く知られていますが、原子磁石の並びが寸断される表面付近の磁性はこれまで明らかになっていませんでした。表面では、隣にあるはずの原子がなく(点線〇の箇所)、その影響で表面付近の磁性は深部とは異なることが考えられます。



図3.メスバウアー分光法1)による同位体2)置換試料を用いた原子層分解磁気構造解析法の図。

図3.メスバウアー分光法1)による同位体2)置換試料を用いた原子層分解磁気構造解析法。照射するX線に対して共鳴吸収を起こさない鉄(Fe)の同位体2) “56Fe”からなる鉄薄膜について、注目する一層だけに共鳴吸収を起こす鉄の同位体“57Fe”を埋め込んだ試料を用意します。この試料から、注目する原子層だけの吸収スペクトルを得ます。吸収スペクトルは典型的には右図の形状をしており、ピーク間隔などのパターン解析から原子核位置での内部磁場を決定します。



図4.金属薄膜の原子層分解磁気構造解析システム写真。

図4.金属薄膜の原子層分解磁気構造解析システム。まず、試料搬送容器を、薄膜試料作製装置に取付けて同位体2)を埋め込んだ試料を作製します。次に、この試料搬送容器を放射光メスバウアー分光装置に超高真空を保ったまま付け替えて原子層分解磁気構造解析を行います。



図5.本研究で決定した鉄表面付近の原子層毎の内部磁場の大きさ:実験値(左)、理論値(右)の図。

図5.本研究で決定した鉄表面付近の原子層毎の内部磁場の大きさ:実験値(左)、理論値(右)。


図6.鉄表面で生じる磁気フリーデル振動の模式図。

図6.鉄表面で生じる磁気フリーデル振動の模式図。私達が体感できる鉄の磁力、即ち、原子磁石(磁気モーメント)の強さは、表面の第1層では内部よりも強く、第2層目では内部よりも弱くなり、このプロセスを繰り返すことで、一原子層毎に磁力が振動的に増減することが分かりました。



※研究グループ
量子科学技術研究開発機構 量子ビーム科学部門
関西光科学研究所
上席研究員 三井隆也(みつい・たかや)
次長 綿貫徹(わたぬき・てつ)
主任研究員 上野哲朗(うえの・てつろう)
高崎量子応用研究所
上席研究員 境誠司(さかい・せいじ)
主任研究員 李松田(Li・Songtian)

京都大学
複合原子力科学研究所
教授 瀬戸誠(せと・まこと)
助教 小林康浩(こばやし・やすひろ)

弘前大学
大学院理工学研究科数物科学科
助教 増田亮(ますだ・りょう)

東京大学
物性研究所
特任研究員 赤井久純(あかい・ひさずみ)


【用語解説】


1) スピントロニクス
スピントロニクスは、固体中の電子が持つ電荷とスピンの両方を工学的に利用、応用する分野のことです。スピンとエレクトロニクス(電子工学)から生まれた造語です。


2) メスバウアー分光法
多様な原子核に放射光を共鳴吸収させて物質の性質を調べる方法で、磁性や電子状態、化学状態を局所的に調べることが出来ます。微小部サイズ高指向性の放射光メスバウアー線源を用いれば金属中に含まれる僅か一原子層の57Feでも観測できます。


3) 同位体
同じ原子番号を持つ元素の原子のうち、原子核に含まれる中性子の数(つまりその原子の質量数)が異なる原子のことを同位体と呼びます。同位体は種類ごとに自然界で一定の割合(天然存在比)で存在します。今回用いた57Feと56Feは自然にそれぞれ2.2%、91.7%含まれており、放射性の無い(放射線がでない)安全な同位体です。57Feと56Feとでは、原子核に含まれる陽子の数はどちらも26個ですが、中性子の数はそれぞれ31個と30個であり異なっています。


4) 大型放射光施設SPring-8
兵庫県の播磨科学公園都市にある超強力なX線を生み出す施設です。SPring-8の名前は、Super Photon ring-8 GeVに由来しています。放射光は、光速近くまで加速された電子の軌道を磁場で曲げた際に生じる指向性の高い光であり、赤外線からX線までの広い波長範囲に渡る白色光です。SPring-8では、この放射光を用いて、ナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用に渡る幅広い研究が行われています。


5) 放射光メスバウアー線源
放射光メスバウアー線源は、57Fe同位体を富化した磁性体57FeBo結晶の核共鳴線のみを反射する散乱現象を利用して、放射光から57Feの核共鳴エネルギーを持ったX線を生成できます。その波長の広がりは、通常の放射光に比べて一億分の一まで狭められており、X線の輝度(明るさ)は、通常の放射性同位体メスバウアー線源の10万倍以上に達します。このため、従来のメスバウアー分光では困難な回折、斜入射やマイクロビームを用いた未踏の実験を開拓できます。


【問合せ先】
(研究内容について)
国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構 量子ビーム科学部門
関西光科学研究所 磁性科学研究グループ
上席研究員 三井 隆也 
 TEL:0791-58-2640 
 E-mail:mitsui.takayaatqst.go.jp

高崎量子応用研究所 二次元物質スピントロニクス研究プロジェクト
プロジェクトリーダー 境 誠司 
 TEL:027-346-9370
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(SPring-8 / SACLAに関すること)
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 TEL:0791-58-2785
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