2025年4月9日
高輝度光科学研究センター
・2次元のX線回折像から、筋肉細胞内の微細な3次元構造を可視化
・計算機をレンズ代わりに使う「レンズレス・イメージング」の手法を発展
・X線自由電子レーザー施設でなく、従来型の蓄積リング放射光でも実現可能
筋肉細胞の内部には、収縮をつかさどるタンパク質が規則的に並んでいます。このため、筋肉にX線を当てると、タンパク質によって散乱されたX線が互いに干渉を起こして、きれいな干渉のパターン(回折像)が記録できます。この回折像には、筋肉の微細な内部構造や、その動きに関する情報を多く含まれています。ただし、それを正しく解釈するためには難解な回折理論の理解が必要でした。 |
X線は可視光と同じ電磁波ですが、波長は遥かに短くて0.1ナノメートル(1ミリの1千万分の1)程度です。これは分子や原子の大きさです。顕微鏡で小さなものが見える限界は、理論上は使う光の波長程度なので、X線を使った顕微鏡を作れば、分子や原子が見えると期待されます。ところが、X線用のレンズを作るのは非常に困難なので、分子や原子が見えるX線顕微鏡は実現できません。そこで、試料にX線を当てて、散乱したX線のパターン(散乱像、回折像という)を直接解析するのですが、これには難解な回折理論の理解が必要で、解釈を誤ることもあります。顕微鏡のように、直接に拡大像を結像できれば、それが望ましいと言えます。
数学的にいうと、散乱像、回折像というのは試料の形状をフーリエ変換したものです。これをもう一度フーリエ変換(逆フーリエ変換)すると、試料の拡大像が結像されます。光学顕微鏡のレンズは、この逆フーリエ変換をやっているわけです。それならばX線散乱像、回折像を逆フーリエ変換すれば拡大像が結像できると思うわけですが、それはうまくいきません。なぜなら正しい拡大像を得るためには散乱した波の「振幅」と「位相」という2種類の情報が必要で、「位相」情報は散乱像、回折像を記録するときに消えてしまうからです。
最近、この一旦消えてしまった位相情報を計算によって回復するアルゴリズムが開発され、計算によって試料の拡大像を得る方法が考案されました。これはレンズの代わりに計算機を使う手法なので、レンズレス・イメージング(レンズを使わない結像法)、またはコヒーレント回折イメージング(CDI)[3]と呼ばれます。
今回の論文は、この手法を発展させ、著者の長年の研究材料である筋肉の内部にある分子の3次元構造を立体的に「結像」させることを目指しています。
図1 筋肉の微細構造の模式図(左、A)とタガメ飛翔筋のX線回折像(右、B)
図1は、筋肉の微細構造の模式図(図1A)と、昆虫(タガメ)の飛翔筋(羽ばたくのに用いられる筋肉)のX線回折像(図1B)を示します。回折像は、SPring-8のBL45XUビームラインで記録されたものです。図1Aは、サルコメア(筋節)[4]と呼ばれる筋収縮機能の最小単位で、長さ、幅ともに2マイクロメートル(1マイクロメートルは1ミリの千分の1)程度です。この中には収縮を司る各種のタンパク質が規則的に並んでいます。図1Bの回折像を使って、図1Aのサルコメアの構造を立体的に結像するのが本研究の目標です。
レンズレス・イメージングが原理的に可能なことは前世紀から分かっていましたが、実際に記録されたX線回折像を用いて2次元の結像に成功したのは1999年です。現在、レンズレス・イメージングは金属ナノ粒子のような孤立したコントラストの高い試料を用いると、非常にうまくいくことが分かっています。
しかしこれを上記のサルコメアの構造の立体的(3次元)結像に発展させるには、以下に述べる多数のハードルを乗り越える必要があります。
(1) 孤立粒子でなく、繊維状の試料であること
(2) 3次元に拡張する必要があること
(3) 用いるX線回折像が、回転平均化されていること。筋肉に多数含まれるサルコメアの回転方向の向きがランダムなので、回折像は回転平均化されて情報量が大幅に減ります。
(4) 実際に記録された回折像は不完全で、多くの欠陥を含むこと。
論文では、これらのハードルを乗り越えていく過程が詳細に記述されています。
これらの問題の解決には、まず計算機実験で問題がクリアできることを確認します。計算機実験では、実際の試料の代わりにデジタルデータの試料を作成し、それの回折像を計算します。そうすると欠陥のない理想的な回折像が計算され、位相情報も失われません。正解も分かっているわけです。このときに、わざと位相情報をランダムなものに置き換えたあと、誤差が小さくなるように繰り返し計算を行い、正しい試料の像が結像されるかを試します。誤差が小さくなると最初に作成した試料と区別のつかないものが再生され、位相も正しいものになります。それを、計算が収束するといいます。
図2 SPring-8のロゴを用いた2次元レンズレス・イメージング計算機実験のデモンストレーション。A,B,Cは繰り返し計算でロゴが再生されていく経過。Dは最初のデジタルデータ、Eは最終的に再生された像。
図2はよく用いられるデモンストレーションで、SPring-8のロゴを試料としたものです。このような試料を用いると、数百回の繰り返しのうちに計算が収束し、正しくロゴが再生されます。
図3 繊維状の試料を用いた2次元レンズレス・イメージング計算機実験のデモンストレーション。Aは文字”a”の列、Bは筋肉中にあるアクチン繊維の投影像で、それぞれ左側が最初のデジタルデータ、右が再生された像で、計算がうまくいかないことが分かる。
しかし、図3に示すように、繰り返し構造のある繊維状試料に対して繰り返し計算を行っても収束しません。これは試料に繰り返し構造があると、図1Bの回折像のように回折像が梯子の横木のように不連続な線状になって(層線反射という)、その間には情報がありません。このため情報量が足りなくなって、正しい位相が得られないためと考えられます。
図4 繊維状の試料を用いた3次元レンズレス・イメージング計算機実験のデモンストレーション。Aはアクチン繊維(図3B と同じ)、Bは精子などの運動を担う軸糸という構造。それぞれ左側が最初の3次元デジタルデータ、右が再生された3次元像で、完全に再生されているのが分かる。
この問題が未解決のまま、3次元の試料を解析しました。3次元の試料の場合は回折像も3次元となり、計算量が膨大になりますが、通常のPCで実行できる計算規模で計算機実験を進めます。すると意外なことに、繰り返し構造のある繊維状試料であっても3次元ならば計算が収束することが分かりました(図4)。
図5 サルコメア微細構造の回転平均化された回折像から3次元構造を復元する計算機実験。Aが最初の3次元デジタルデータ、Bが再生された3次元構造。完全ではないが、殆ど見分けがつかないほどよく再生されている。
次に、回転平均化された2次元の回折像から3次元の構造が結像されるかを試しました。これは図1Aに示したサルコメアの3次元構造のデジタルデータを作成し、それから3次元の回折像を計算し、これを回転平均化して使います。これの繰り返し計算には、3次元回折像の回転平均、2次元の回折像を3次元に戻すという操作が加わって、計算がさらに煩雑になりますが、結果は計算が収束し、最初のデジタルデータと同一とは言えませんが、かなり良く最初のデータが再現できました(図5)。
図6 実際に記録された回転平均化2次元回折像(図1B)から再生されたサルコメアの3次元構造。タンパク質繊維の基本的な周期構造(青、赤、マゼンタの三角形)が再生されている。
最後に、実際に記録された回折像(図1B)を使って3次元の構造が結像されるかを試しました。デジタルデータから計算されたものと違い、実際に記録された回折像にはノイズが乗っていたり、データが記録されていない画素があったりと、欠陥が多くあり、実際に記録された回折像を用いた計算は収束しないことが多いです。しかし種々の工夫をすることにより計算は収束し、サルコメアの3次元構造を結像することができました(図6)。再生された3次元構造の質は計算機実験の結果に劣りますが、サルコメア構造の基本的な特徴(周期性など)は再現されています。質が劣るのは計算機の容量の制限により、回折像をオリジナルの1000x1018画素から256x256画素以下に縮小した関係で細部の情報が失われたためであり、手法そのものの問題ではないと考えています。
回転平均化されて情報量の減った2次元回折像から、レンズレス・イメージングの手法により試料の3次元構造が結像できることを示し、実際に記録された回折像を用いても結像に成功したことは世界初のことです。3次元の結像能力をもつX線顕微鏡が実現したと言っていいでしょう。また重要なことは、今回の結像がX線自由電子レーザー施設でなく、通常の蓄積リングビームライン(BL45XU)で実現したことです。これは論文の査読者も驚いたことです。
本研究では計算機の容量の関係から256x256x256画素(ボクセル[5])の空間での計算しか行えませんでしたが、今後計算機の能力が向上し、さらに大きな空間で計算ができれば、計算の精度が上がり、質の高い3次元像が結像できるようになると思われます。また筋肉以外の試料にも応用を広げていくことも視野に入ります。
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費(19K06777)による助成を受けて実施されました。
【用語解説】
[1] X線自由電子レーザー施設SACLA
理化学研究所と高輝度光科学研究センターが共同で建設した日本ではじめてのX線自由電子レーザー(XFEL)施設。レーザーの性質をもつ輝度の高いX線を発生できる。2011年3月に施設が完成し、SPring-8 Angstrom Compact free electron LAserの頭文字を取ってSACLAと命名された。大きさが諸外国の同様の施設と比べてコンパクトであるが、同等の性能をもつ。
[2] 大型放射光施設SPring-8
理化学研究所が所有する兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高性能の放射光を生み出す大型放射光施設で、利用者支援等は高輝度光科学研究センターが行っている。SPring-8(スプリングエイト)の名前はSuper Photon ring-8 GeVに由来。SPring-8では、放射光を用いてナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究が行われている。
[3] コヒーレント回折イメージング
位相情報の失われた回折像から、計算によって位相を回復し、試料の形状を結像する方法。コヒーレントな光(レーザー光のように、光の波の波面が揃っている光)を用いて回折像を記録する必要がある(と一般に考えられている)ため、この名前がある。X線回折像に用いられることが多いが、紫外線や可視光でも実施可能である。
[4] サルコメア(筋節)
筋収縮機能の最小単位。この中で2種類の収縮タンパク質(アクチン、ミオシン)の繊維が互いに滑りあうことで収縮力を発生する。このサルコメアが直列に長くつながったものが筋原繊維で、筋原繊維が多数集まって筋細胞ができている。骨格筋や心筋のような横紋筋に見られる。
[5] ボクセル
平面画像データや2次元検出器の画素単位(通常正方形)のことをピクセル(pixel)というのに対し、3次元データの画素単位(通常立方体)のことをボクセル(voxel)という。体積(volume)とピクセル(pixel)を掛け合わせた言葉。
本件に関するお問い合わせ先 |
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(研究に関すること)
岩本 裕之(イワモト ヒロユキ)
公益財団法人 高輝度光科学研究センター 回折・散乱推進室
住所:兵庫県佐用郡佐用町光都1-1-1
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利用推進部 普及情報課
TEL:0791-58-2785 FAX:0791-58-2786
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(SPring-8 / SACLAに関すること)
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